甲子夜話卷之四 4 甲州初て御手に入て神祖命令の事
4-4 甲州初て御手に入て神祖命令の事
甲州神祖の御手に入たる初に、令を出し給には、甲州の政は何事も信玄の致置候所に違ふ可からず。但毒箭を軍用に施し候こと計は、停止たるべしとなり。甲州の人民、立所に神祖の御厚德に伏し奉りしと云。いかさま合戰の勝負は武士の常なり。敵毒を以て人を苦しまするは武の道に非るべし。仰感も餘りある御事なり。
■やぶちゃんの呟き
「神祖」徳川家康。家康は天正一〇(一五八二)年の天正壬午(てんしょうじんご)の乱(甲斐・信濃・上野に於いて行われた主に徳川家康と北条氏直の戦い)後、国主不在(実効支配していた河尻秀隆は本能寺の変後に発生した旧武田領の各地で武田遺臣による国人一揆によって三井弥一郎に天正十年の六月十八日に殺害されていた)となっていた甲斐を支配下に置いた。
「政」「まつりごと」。
「信玄」武田信玄晴信(大永元(一五二一)年~元亀四(一五七三)年)。因みに、彼が父信虎を駿河に追放し、武田家第十九代として家督を相続して甲斐守護も継承したのは天文一〇(一五四一)年六月であった。信玄はさんざん家康を苦しめたが、それだけに戦国武将としての信玄の戦略や戦術は家康のメソッドに対して大きな影響を与えた敵将でもあった。
「但毒箭を軍用に施し候こと計は、停止たるべしとなり」「但(ただし)、毒箭(どくや)を軍用に施(ほどこ)し候(さふらふ)こと計(ばかり)は、停止(ちやうじ)たるべしとなり」。
「敵毒を以て人を苦しまするは」読み方がよく判らぬ。「敵」(かたき)とても「毒を以て人を苦しまするは」の意でとっておく。
「仰感」「ぎやうかん(ぎょうかん)」。仰いで君恩に感ずること。
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