柴田宵曲 續妖異博物館 「首なし」(その2) / 「首なし」~了
「宣室志」の黃魚は事前に頻りに訴へたに拘らず、その意志が柳宗元に通じないで首を切られてしまつた。幽靈になつて現れる場合、首はあつてもよささうなものであるが、黃魚としてはその形を柳宗元に見せて、遺恨を示したかつたのかも知れぬ。倂し首を失ふのは魚になつた者には限らない。北齊の朱世隆が尚書令であつた時、晝寢をしてゐると、その妻の奚氏が誰か世隆の首を持ち去るのを目擊した。びつくりして世隆のところへ行つて見たら、彼は依然としてぐうぐう寢てゐたが、目がさめて後、先刻首を切られた夢を見た、そのせゐかどうも氣分がよくない、と云つた。久しからずして誅せられたと「集異志」に見えてゐる。
[やぶちゃん注:「北齊」(ほくせい 五五〇年~五七七年)は中国の南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単に「斉」であるが、春秋戦国時代の「斉」や南朝の「斉」などと区別するために「北斉」或いは「高斉」と現在は呼称する。しかし、以下の主人公と時代が合わない。
「朱世隆」爾朱世隆(じしゅ せいりゅう 五〇〇年~五三二年)は北魏の軍人で、権力の限りを尽くしたが、謀略を起こして処刑されている。詳しくはウィキの「爾朱世隆」を参照されたい。
以上は「太平廣記」の「徵應八人臣咎徵」の「爾朱世隆」に、「廣古今五行記」からの引用として出る以下のものと同話である。
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後魏僕射爾朱世隆、晝寢。妻奚氏、忽見有一人、攜世隆頭出。奚氏遽往視之、隆寢如故。及隆覺、謂妻曰、「向夢見有人、斷我頭將去。」。數日被誅。
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けれども夢に見るうちはまだよろしい。「夜譚隨錄」にある護軍の永某は、阜成門内に凶宅があり、借りて住む者は往々驚きの餘り死を致すと聞き、挺身してその家に住んで見ようと云ひ出した。護軍仲間の承諾を得て、日暮れ方から獨り酒肉を携へ、夜具なども用意して出かけて行つた。夜の十時頃になると、相當に醉ひが𢌞つて來たので、劍を拔いて柱を擊ち、化物がゐるなら何故姿を現さんのだ、隱れてゐるのは卑怯だぞ、と大きな聲でどなり立てた。倂し家の中は相變らず靜まり返つてゐる。これは豪傑を以て任ずる人のよくやる手だが、眞に肝玉(きもつたま)の据わつた人のやることではない。江戸の小咄はかういふ先生を捉へて、化物屋敷で醉ひ潰れ、夜が明けてから大威張りで門を出ると、化物が、べらぼうめ、出る時は寢てゐやがつて、といふ滑稽を描いてゐる。永某もこの同類であつたかどうかわからぬが、とにかく大いに笑つて橫になつた。然るにうとうとしたかせぬのに、何かの足音が耳に入つて飛び起きた。向うの室内にはいつの間にか明るい灯がついてゐる。彼は用意の劍を提げ、ひそかに門の隙から覗いて見たところ、灯の下に一人の首なし婦人の坐つてゐるのが見えた。彼女は一方の手を膝の上に置き、一方の手で髮を梳いてゐる。しかもその兩眼は炯々として永の覗く門の隙を見詰めてゐるのだから、永は少からず驚いて、もう足を動かすことが出來ない。婦人は已に髮を梳き了つたのであらう。兩手で耳を捉へて身體の上に置き、きよろきよろしながら立ち上つて、外へ出て來ようとしする。永は覺えず恐怖の叫びを揚げて逃げ出したので、これを聞きつけた鄰家からは、松明(たいまつ)を持つたり武器を携へたりして人が出て來る。永は已に階下を匍ひ𢌞つて、肘も膝も疵だらけになつてゐた。永から委細を聞いた人々は皆驚いたが、永もこの凶宅から引揚げて後、幾日も病氣になり、爾來彼は仲間から嘲笑されても、一言の辯解も出來なかつた。自分の首を膝に置いて、しづかに髮を梳く婦人の正體は何だかわからない。首と胴と離れながら、炯々たる光りを放つ兩眼の凄さはまた格別である。
[やぶちゃん注:「夜譚隨錄」清の和邦額の撰になる志怪小説集。以上は「卷二」の「永護軍」。柴田の梗概はちょっと不親切(確信犯かも知れぬが)で、首なしの婦人は首を膝の上に置いてその自身の首の髪を梳いているのであり、その膝の上の生きた首の両眼がおどろおどろしくも炯々と耀いているのである。
「護軍」皇帝の親衛隊職か。
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阜城門内某胡同、有空宅一區、甚凶、稅而居者、往往驚狂致死。護軍永某、素以膽勇自詡、同人欲以凶宅試之、謂有人敢宿其中者、當醵金具酒食相款。永曰、「舍我其誰。」。挺身請往、眾許之。既暮、獨攜酒肉襆被以往。二更後、飲至半酣、拔劍擊柱、大言曰、「果有鬼物、何不現形一鬧。卻躲何處去耶。」。久之、寂然、永大笑、尋亦就枕。甫交睫、似有步履聲、張目視之、見內室燈光瑩瑩、急起捉刃、潛於門隙窺之、則燈下坐一無婦人、一手按頭膝上、一手持櫛、梳其發、二目炯炯、直視門隙。永駭甚、不能移步。既而梳已、以兩手捉耳置腔上、矍然而興、將啟戸、欲出。永失聲卻走、鄰家聞之、明炬操兵來探、永已訇匍階下、肘膝皆傷。述其所見、聞者胥驚。永歸、病數日方起、同人見則嘲笑之、永不複置辯焉。
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王鑑なる者は剛強な性格で、常に鬼神を侮つて居つたが、或時醉ひに乘じて部外の別莊まで出かけた。五六年以上來たことのない道なので、十里ばかり來るうちに日が暮れてしまつたが、林の下から一人の婦人が現れて一つの包みを渡したかと思ふと、直ぐ見えなくなつた。中から出たのは紙錢とか枯骨とか、墓に緣のあるものばかりで、普通の人なら氣にしさうなところを、鑑は笑つて行き過ぎた。今度は路傍に火を焚いて、十何人もの人が煖を取つてゐる。寒くもあり、道が暗くもなつたので、馬を下りてその側に寄り、氣輕に話しかけて見たけれど、一人も答へる者がない。焚火明りでその人達の顏を見れば、半ばは首がなく、首のある者は皆面衣を掛けてゐる。これにはさすがの鑑も驚懼して、馬に飛び乘るが早いか一散に駈け出した。別莊に到著した時は夜も大分更けて居り、莊の門は固く鎖されて、いくら敲いても出て來る者がない。腹立ちまぎれに大聲で罵つてゐると、一人の下男がしづかに門を明けた。こゝの召使どもは今どこに居るか、と云ひながら、下男の持つた灯を見れば、その色が甚だ靑い。鑑は思はず鞭を振り上げて下僕を打たうとした途端、その男は陰に籠つた聲で、實は旦那様、この十日間にこゝに居つた者は七人とも、皆急病で亡くなりました、と云つた。それでお前はどうしたのか、と尋ねると、私も亡くなつたのです、先刻から旦那樣があまりお呼びになりますので、その屍がちよつと立ち上つて來たのです、と云ふなりそこに倒れてしまつた。鑑は日頃の勇氣を全く喪失し、どこをどう通つたかわからずに家に歸つたが、一年ばかりして彼も亡くなつた。
[やぶちゃん注:「面衣」死者の顔に掛ける白い布である「幎冒(べきぼう)」のことであろう。]
「靈異集」に出てゐるこの話に至つては、氣味が惡いとか物凄いとかいふ域を遙かに越えてゐる。林下の婦人も焚火の人も無言なのが殊に凄涼の感を強めるやうな氣がする。首の有無の如きは深く問題とするに足らぬが、首なしの話の最後にこれを列べて置く。
[やぶちゃん注:唐代伝奇の一つである張薦の撰になる「靈怪集」のことであろう。同話は「太平廣記」の「鬼十五」に「王鑑」として「靈怪集」から引いたと出るからである。以下。
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兗州王鑑、性剛鷙、無所憚畏、常陵侮鬼神。開元中、乘醉往莊、去郭三十里。鑑不渉此路、已五六年矣。行十里已來、會日暮。長林下見一婦人、問鑑所往。請寄一襆。而忽不見。乃開襆視之。皆紙錢枯骨之類。鑑笑曰。愚鬼弄爾公。策馬前去。忽遇十餘人聚向火。時天寒、日已昏、鑑下馬詣之。話適所見、皆無應者。鑑視之、向火之人半無頭、有頭者皆有面衣。鑑驚懼、上馬馳去。夜艾、方至莊、莊門已閉。頻打無人出、遂大叫罵。俄有一奴開門、鑑問曰。奴婢輩今並在何處。令取燈而火色靑暗。鑑怒、欲撻奴、奴云。十日來、一莊七人疾病、相次死盡。鑑問汝且如何。答曰。亦已死矣。向者聞郎君呼叫、起尸來耳。因忽顛仆。即無氣矣。鑑大懼、走投別村而宿。周歲、發疾而卒。
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