星を聽く ─芋錢畫聖におくる 山村暮鳥
星を聽く
─芋錢畫聖におくる
頭痛がするからと
早寢をした妻
それをみると子ども達は
とりのこされた寂しさと腹立たしさとで
すねくれださずにはゐなかつた
だが、みむいてももらへず
たうとうこちらから折れて
そのかたはらに
ごろり、ごろりと
小さな南瓜のやうな頭を二つならべてすぐ寢轉んだ
子ども達がひつそりと
ねむつてしまうと
そのとき自分の認めてゐた借錢證書のうへに
ぱらぱら星が落ちはじめた
ほんとにひさしぶりだ
ひさしぶりで聽く夜ふけてのこの音のいいこと
愛のつぶつぶ
そのつぶつぶのきよらかさ
そのつぶつぶのしとやかさ
そのつぶつぶのしづかさ
それでゐて、また
肩の翼をひらひらと
あのラフワエロの描いたかはいい天の使の
たわむれてでもゐるやうな快活さ
星はぱらぱらと
まるでたねまきでもするやうに
屋根屋根の上
かうしてなんにもしらずにねむつてゐるものの上
また、ひとりしよんぼりと
めざめてゐるものの上に
ぱら ぱら
ぱら ぱら
自分はあへて雨とはいふまい
それにしてはあまりに此の世のものではないから
[やぶちゃん注:「芋錢」日本画家小川芋銭(うせん 慶応四(一八六八)年~昭和一三(一九三八)年)。本詩集(但し、刊行は山村暮鳥没後)の装幀も担当している。生前より親しかった。私はよく知っているが、知らない方のためにウィキの「小川芋銭」から引いておく。本名は茂吉。生家は『武家で、親は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り』、『農家となる。最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。横山大観に認められ、日本美術院同人となる』。『生涯のほとんどを現在の茨城県龍ケ崎市にある牛久沼の畔(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らした。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている。画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという』。『身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表したが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われている。また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている』。『芋銭はまた、絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があり、特に雨情は、当初俳人としての芋銭しか知らず、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ驚いたという逸話を残している』とある。
彌生書房版全詩集版。添え辞のダッシュの長さ以外は完全相同である。
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星を聽く
――芋錢畫聖におくる
頭痛がするからと
早寢をした妻
それをみると子ども達は
とりのこされた寂しさと腹立たしさとで
すねくれださずにはゐなかつた
だが、みむいてももらへず
たうとうこちらから折れて
そのかたはらに
ごろり、ごろりと
小さな南瓜のやうな頭を二つならべてすぐ寢轉んだ
子ども達がひつそりと
ねむつてしまうと
そのとき自分の認めてゐた借錢證書のうへに
ぱらぱら星が落ちはじめた
ほんとにひさしぶりだ
ひさしぶりで聽く夜ふけてのこの音のいいこと
愛のつぶつぶ
そのつぶつぶのきよらかさ
そのつぶつぶのしとやかさ
そのつぶつぶのしづかさ
それでゐて、また
肩の翼をひらひらと
あのラフワエロの描いたかはいい天の使の
たわむれてでもゐるやうな快活さ
星はぱらぱらと
まるでたねまきでもするやうに
屋根屋根の上
かうしてなんにもしらずにねむつてゐるものの上
また、ひとりしよんぼりと
めざめてゐるものの上に
ぱら ぱら
ぱら ぱら
自分はあへて雨とはいふまい
それにしてはあまりに此の世のものではないから
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