佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その14)
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[やぶちゃん注:アスタリスク位置はママ。]
今まで手に持つて居たものが、たとへばペンだとか、煙管だとか、そんなものが不意にどこかへ見えなくなることはよくあることだ。さうして一時姿を匿して居たそれらの品物は、後になつて、思ひもよらないやうな場所から、或は馬鹿ばかしいやうな場所から、出て來る。しかし搜す時には、決して現はれない。さういふことは誰にもよくある。併し、そのころ彼に起つた程そんなに屢々は決して誰にもあるものではない。彼には、その頃、そんな事が一日に少なくとも二三度は必ずあつた。そのふとしたことが、彼にはどんなに重大に見えたであらう。彼はそれを、寧ろフェイタルな出來事のやうにさへ感じた。そうして、彼の持ちものが斯うして、每日二三品づつひよつくり消え失せでもするやうに彼には感じられた‥‥‥‥
[やぶちゃん注:★本章は、定本では全面改稿やカットというのではなく、全く別の新しい一章に吸収されてある。★
「フェイタル」fatal。「致命的な・破滅的な・極めて重大な・運命を決するような・宿命的な・免れ難い」の意。]
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