柴田宵曲 續妖異博物館 「壁の中」
壁の中
アポリネエルの「オノレ・シユブラツクの消滅」といふ小説は、昔風に云へば妻敵討(めがたきうち)の片われである。愈々殺される土壇場に立つた時、摩訶不思議の事が起つて、彼は自ら希つた通り壁と同化してしまつた。そのため女は殺されても彼は生き殘つたのみならず、一旦緩急ある場合には、カメレオンの如く壁と同化して、相手の目をくらますことが出來るやうになつた。倂し彼は依然として狙はれつゝある。常に薄著をして、いつでも壁と同化出來る用意を怠らなかつたが、遂に最後の段階に至り、兵營の長い壁に消え失せたところを、追跡した相手にピストルを打ち込まれた。それ以來オノレ・シユブラツクはこの世に姿を見せず、兵營の壁には彼の顏の輪郭がうすぼんやりと認められる、といふのである。
[やぶちゃん注:フランスで活躍したイタリア生まれのポーランド人詩人で小説家、「surréalisme」という語の創造者、「Cubisme」の旗手にして私の偏愛する、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire 一八八〇年~一九一八年:本名:ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ Wilhelm Apollinaris de
Kostrowitzky:ポーランド語: Wilhelm Apollinaris de
Wąż-Kostrowicki)の幻想小説“La Disparition d'Honoré Subrac”(一九一〇年)。]
この小説はオノレ・シユブラツクの友人の立場で書かれてゐる。或夜中に自分の家に歸らうとして歩いて來ると、路傍の壁の中から名前を呼ぶ者があり、「往來にはもう誰もゐないか? おれだよ、オノレ・シユブラツクだよ」と云ふ。誰もゐない旨を告げたら、彼は忽然として壁から拔け出して來た。さうして地上に脱ぎ棄ててあつた僧服を頭から被り、スリツパを突つかけて步き出した。その友人がはじめて彼の壁と同化する祕密を聞いたのはこの時である。オノレ・シユブラツクはその後も依然として生命の不安に脅かされてゐたが、最後にピストルを持つた相手に襲はれた時も、この友人と一緒に道を歩いてゐた。友人は先づ壁から拔け出して來るオノレ・シユブラツクを見、また壁に消え失せるオノレ・シユブラツクを見てゐる。小説としては首尾を備へたものと云つてよからう。
こんな不思議な話は日本にはあまり見當らぬ。あれば支那だらうと思つてゐたら、やはりあつた。「列仙全傳」の中の麻衣仙姑は石室山に隱れ、家人達がその踪跡を探し求めても、容易に突き留めることは出來なかつた。ところが或日石室山に於て偶然出會つた者があり、その棲家を問ふと、一言も答へずに壁のやうに突立つた岩石の中に入つてしまつた。岩石は自然と口を開いて中に呑み込み、雷の如き恐ろしい響きと共に再びその口を閉ぢた。その時岩石の上に印した足跡は、後まで明かに殘つてゐたさうである。
[やぶちゃん注:以前に述べた通り、「列仙全傳」は所持しないので原典は示せない。]
世を遁れ人目を避ける點は同じであるが、麻衣仙姑とオノレ・シユブラツクとでは動機が違ふ。オノレ・シユブラツクの恐れるのはピストルを持つた一人に過ぎぬに反し、仙姑はあらゆる人の目から自分を裹み去らうとする。罪を犯した者と仙を希ふ者との相違である。共通點は人に遇つた刹那、突如として身を隱す方法だけであらう。仙姑の隱れ方はアリ・ババに似たところもあるが、岩石の扉を開く呪文などは無論傳はつてゐない。
呉道子が明皇帝の命により宮中の牆壁に山水を畫いた時は、先づ大盤に入れた墨汁を壁の上に撒かしめ、次いで幕を以てその上を覆うた後、やゝあつてその幕を取り去ると、山水の景がありありと現れた。山水ばかりではない、木も草も人も鳥も皆生動する思ひがある。呉道子はしづかにその畫の前に進み、一々その場所を説明したが、或岩を指して、この下には小さな洞があり、中に一人の仙人が住んで居ります、と云つた。呉道子が指で岩の上を輕く敲けば、そこに一つの門が現れ、中から一人の童子が出て來た。その時、呉道子は皇帝に對し、小臣が陛下の御案内を致しまして、この洞中の景色を御覽に入れませう、と云ひながら、門内に入つてしきりに帝をさしまねいた。帝が暫時躊躇されて、中に入る決斷が付かぬうちに、門の扉ははたと閉されて、今までそこに在つた山水の畫も、呉道子の姿と共に消え去り、牆壁はもと通りの白壁になつてしまつた。
[やぶちゃん注:「呉道子」盛唐の玄宗に仕えた画家呉道玄(生没年不詳)。「画聖」と呼ばれ、山水画の画法に変革を齎した。その画は後世も高く評価され、中国・日本の画家に多大な影響を与えた。但し、彼の真蹟は現存しないとされる。呉道子は初名。詳しくは参照したウィキの「呉道玄」などを見られたい。
「明皇帝」「めいこうてい」は玄宗の諡(おくりな)である「至道大聖大明孝皇帝」に基づく、後代の呼称。宋代の聖祖の諱(いみな)が「玄朗」の「玄」をであったことに基づく。]
これも「列仙全傳」中の世界である。畫中に消え去るのは支那人得意のところで、畫中に入つて人物の姿勢を直したりする話まであるが、ありふれた屛風や衝立(ついたて)の類でなしに、牆壁であるのが面白い。オノレ・シユブラツクは勿論、麻衣仙姑の話とも大分かけ離れて來る。仙界の幻術談の一つであるが、壁の中に消え去る一點に於てこゝに附け加へて置く。
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