「想山著聞奇集 卷の參」 「油を嘗る女の事」
油を嘗(なめ)る女の事
予がしれる板木(ばんぎ)師の何某、油を嘗(なめ)る女に出會(であひ)て、大(おほき)に驚きたるとの事故、能(よく)聞(きき)て書記(かきしる)しぬ。文政[やぶちゃん注:文政は一八一八年から一八三〇年。]の中頃の事のよし、或日、此男、連(つれ)壹人もなく、遲くより大師河原の大師[やぶちゃん注:現在の神奈川県川崎市川崎区にある真言宗の「川崎大師」。正しくは 金剛山平間寺(へいけんじ)。当時は附近が多摩川下流の河原であったことから「大師河原」と別称した。ここ(グーグル・マップ・データ)。]へ参詣をなせしに、歸るに隨ひて、天気惡敷(あしく)、鈴が森[やぶちゃん注:東京都品川区南大井。ここ(グーグル・マップ・データ)。]邊(あたり)より、一雫下づゝ雨降出して日暮と成(なり)、物すごく、道を急ぎて歸りしが、観音前[やぶちゃん注:位置的に見て、江戸三十三観音霊場三十一番霊場である、現在の品川区南品川にある真言宗海照山普門院品川寺であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。]よりは眞(しん)の闇となり、漸(やうやく)たどりて品川の宿も越懸(こしかか)りける時には、雨も頻(しきり)に降来(ふりきた)り、いかんともせんすべなきまゝ、據(よんどころ)なく、品川の宿の入口、新宿と云(いふ)【江戸より[やぶちゃん注:「寄り」。]の入口、少しの坂の有(ある)所なり】所の紅屋と云旗籠屋へ上りて息をつぎしに、若きものなど、彼是取持(とりもち)て、緣の下なる【此邊は海のかた坂故、緣の下にも座敷有なり。】奥の一間へ連行(つれゆき)、顔形ちもよき飯盛女を出(いだ)しければ、酒なども快(こころよく)呑(のみ)て、時もうつり、やがて雲雨の契りをもなしたり。然るに、此日は俄雨(にはかあめ)にて、客も多き故、女は外の客のかたへ行(ゆき)、蒲團(ふとん)被(ふすま)も薄く、殊に此座敷は海中へ造り出せし廣き座敷にて、次第に雨風も強(つよま)り、床(ゆか)の下へ汐の滿來(みちきた)りて打入(うちい)る音などすさまじく、段々夜も更るに隨ひ外の座敷の騷ぎもいつか静(しづま)り、物の音も絶果(たえは)て、一入(ひとしほ)、物すごくなりたる故、臥(ふし)もやらず、たゞ女の來るを待居(まちゐ)たる。其内に、彼(かの)女はいか成(なる)事にや、上は草履もなく[やぶちゃん注:意味不明。識者の御教授を乞う。]、かけ來れり、やれ嬉しやと心の内には思ひなから、空知らぬ顏して居ると、此女、側へ居(ゐ)よりて寢るかと思ふに、左にはあらず、寢息をかぐ[やぶちゃん注:探る。]樣子ゆゑ、是は何か癖の有(ある)女ならんと、彌(いよいよ)、空寢して居たるに、彼女、又、能(よく)寢たる樣子をためして、行燈(あんどん)を隅の方へよせ、能(よく)搔立(かきた)て、しばし考へ、又、側へそつと來りて、能(よく)寢息を嗅(かぎ)て、夫より又、行燈の所へ至り、又々掻立る故、これは大事の客の方へ遣す文(ふみ)などを書くものかとおもふに、左はなくて火口(ほぐち)を向ふになしたり。何か合點(がてん)の行(いか)ぬことゝ、目もはなさず、竊(ひそか)にながめ居たるに、さしもうつくしき顏に、ゑみを含(ふくみ)て、其まゝ行燈の中へ顏を差入(さしい)れ、油を吸(すひ)たれば、忽ち首筋より水をつぎ入らるゝごとくぞつとして、魂(たま)も消える斗(ばかり)恐ろ敷(しく)、如何(いかが)はせまじと思ふうちに、びたびたと舌打(したうち)をして甞(なめ)る有さま、こはきとも恐ろ敷(しき)とも、譬(たとふ)るに物なく、音羽屋【音羽屋と云(いふ)は尾上菊五郎と云劇場俳優にて妖物(えうぶつ)の眞似をなす事は古今獨步の名人、世擧(あげ)て知る所也。[やぶちゃん注:話柄内の時期と、この条件に最も合うのは三代目尾上菊五郎(天明四(一七八四)年~嘉永二(一八四九)年)。生世話物や「東海道四谷怪談」などの怪談物のケレンに長じ、「尾上菊五郎」の名跡を一代で江戸歌舞伎を代表する大看板の一つにのし上げた名優。]】妖猫(えうびやう)に成(なり)て油をなめしは、戲場の狂言にてさへ恐ろ敷(しく)思ひしに、是は夢にてもなく、斯(かく)眼前、妖物に出會(であふ)とはいか成(なる)事にや、猫俣(ねこまた)[やぶちゃん注:猫又・猫股。猫の妖怪。]にもせよ、古狸にもせよ、斯(かく)人遠(ひととほ)き奧座敷にて聲を立(たつ)るもいかゞ、今暫くこらへんと、轟く胸を落付(おちつけ)て見居たるに、やがて顏を出し口などを拭ふ風情(ふぜい)。心のまよひにや、初(はじめ)の美麗に引替(ひきかは)り、變なる顏と成(なり)たる樣(やう)の心持して、彌(いよいよ)、氣味惡く、ぞつと立(たつ)る身の毛もよだつ心地して、齒の根も合兼(あひかね)、此上はいかゞなすやと、猶、息をころして臥し居るに、何くはぬ顏して、やがて側へ來り、被(ふすま)をまくりて共に床に入(いら)んとせし故、其拍子にずつと起(おき)て、廊下へ駈出(かけだ)すと、女も直(ぢき)に付來(つききた)り、手水(てうづ)に行(ゆき)給ふのかといへども、聞(きき)もいれず、階子(はしご)を上らんとすると、先にても歸るのかと思ひしにや、かけ來りて、階子の下にて引留(ひきとめ)られたるときは、更に生(いき)たる心地もなく、力に任せてもぎはなち、階子を上ると、女も共に付來る。勝手には、寢ず番の男も居て、いか成(なる)事と云(いひ)、女もいか成事といへども耳にもいれず、我等は八つ時[やぶちゃん注:午前二時頃。]には歸らねば、宅の都合惡敷(あしき)に、寢過(ねすご)したり、歸る也と云(いふ)と、若き者もとめ、女も留(とどむ)れども、ぜひに歸り度(たし)と云故、若き者、女を叱り、おまへの勤めかたが惡敷(あしき)故ならんと云へば、女も困りたる顏色にて、何卒、堪忍して、朝迄居て下されと淚ぐみたる顏付を、大行燈の前にて能(よく)見ると、ぞつとする程うつくしく、この位の安見世(やすみせ)に、かばかりの美人は又有べきとも思はねば、彌(いよいよ)もつて油斷はならず、慥(たしか)に妖物なりと云(いひ)たらば、喰付(くひつく)るゝも量り難し、何にもせよ、此家を無事に遁(のが)れ出(いづ)るより外にてだてなしと、色々と詫(わび)て歸ることゝなり、扨(さて)、夫(それ)より此女、紙入や上着も取來(とりきた)りて取?し呉(くる)る風情、容貌のみならず、すなほにして氣高き有樣は、我目にのみ、か樣にうつくしく見するのかと、不審に思ひつゝ逃出(にげいで)たれど、雨は益(ますます)降り、暗さはくらし、今の妖物が目の前に來る心地して恐ろ敷(しく)、夫より直(ぢき)其隣をあわたゞしく叩くと、何事也と答ふ。遊ばせ呉(くれ)よと云に、最早、今晩は能(よき)女もこざらねばおことはり[やぶちゃん注:ママ。]申(まうす)と云故、雨に逢(あひ)、難儀也、女は有(あり)てもなくてもよし、兎も角も先(まづ)あけて呉(くれ)よと段々賴みて、むりに内に入り、漸(やうやう)ほつと息をつぎ、茶などたべても中々動氣(どうき)[やぶちゃん注:動悸。]も靜(しづま)りかね、夫より相談して、又、酌女(しやくをんな)も出し呉れ、盃など出して後、漸(やうやう)人心地(ひとごこち)と成(なり)たれども、先(さき)にても不審に思ひしか、どふなされしや、唇の色迄替り、只ならぬ顏色也と申(まうす)故、何をか隱さん、今迄、隣に居たるが、我(われ)買(かひ)し女は妖物と見え、そろそろと起出(おきいで)ると云(いふ)うちに[やぶちゃん注:隣りの家での怪異を語るうちに。]、女も笑ひ出し、若き者もゑみを含みし故、笑ひ所にてはなきはと云(いふ)に、女が云には、油を甞(なめ)ましたかへと云故、其通りなり、知(しり)て居(を)るかと問ふと、其位のことは存(ぞんじ)て居(をり)まする、あれは妖物ではこざりませぬ、あゝいふ癖の女にて、皆さま御驚きなさるゝ故、大かた其樣(そのやう)なる事ならんとて、兩人ながら笑へども、まだ動氣も治りかねたれど、氣分も取直(とりなほ)し、少し心も落付、夫よりその譯を尋(たづね)しかども、どふ云(いふ)譯と云(いふ)事は存ぜねども、あゝ云(いふ)女は、たまたまには有(ある)ものと承りまする。舌が荒(ある)る性(しやう)故、油をぬるとしのぎよく、つひつひたべ馴(なれ)てすきに成(なる)と承り、藥にたべるなら、猪口などにてたべればよく候得共、燈火(ともしび)にて暖(あたたま)りたるを皿よりたべるがむまき[やぶちゃん注:底本では「む」の右に『(う)』と訂正注する。]と申(まうす)事也と咄すを聞(きき)て、又ほつとして、やれやれこわき目にあひたり、大笑ひなる事也と、始(はじめ)て心もとけ、夫より又、能(よく)きくに、元來、右女は生れも能(よく)、容儀も至(いたつ)て能(よく)、中々此邊の飯盛女となるべき者にはなけれども、あのきづにて、此安見世に成下(なりさが)り居(を)るとの咄しなれば、やうやう成程(なるほど)と合點行(ゆき)たれども、中々、唯今咄せばおかしくも思召(おぼしめす)べく候得ども、其時は活(いき)たる心地もなく、命拾ひをなせし程に恐敷(おそろしく)、もふ[やぶちゃん注:もう。]あのやうなるこわき事には、生涯、遭申間數(あひまうすまじき)と、その男、具(つぶさ)に咄したり。去(さり)ながら、夫(それ)切(せち)に逃歸(にげかへ)りなば[やぶちゃん注:この隣りの家に入らずに、自宅へ一散に帰ってしまっていたとしたならば。]、眞(まこと)の妖物となるべし。世にはか樣の間違(まちがひ)にて、妖物に逢(あひ)たりと云(いふ)事、いくらも有(ある)らん。心得置(こころえおく)べし。予が友、内藤何某の咄しには、或方の奧方に此病(やまひ)有(あり)との噂、聞置(ききおき)たる事も有(あり)との話も有れば、さして珍敷(めづらしく)もなき事にや。物には餘り驚ぬこそ宜(よろし)きか。しかし、驚かずして災(わざはひ)に逢(あふ)もまゝ有(あり)。その甚敷(はなはだしき)に至りては、妖魔の類に出會(であひ)して、命を失ふも、いくらも有(ある)事なれば、何とも申難(まうしがた)き事也。
[やぶちゃん注:所謂、病的症状としての「異食(いしょく)症・異味(いみ)症」(pica(パイカ):基本的には栄養価の殆んど全く無いものや非食用物質を無暗に食べたくなり、実際に食べる症状を指す。妊婦などで見られることがある。「pica」はラテン語で鵲(かささぎ)(鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica)を意味し、カササギは何でも口に入れることに由来する)であるが、彼女の場合、嘗める理由が舌が荒れるのが緩和される、或いは守られるという、相応に納得出来る理由があり、或いは、先天的な遺伝子疾患によって油を嘗めないと体長不良が起こるの特異体質である可能性も考慮せねばなるまい。孰れにせよ、そうした習癖によって賤しい飯盛り女にまで身を落さねばならなかった彼女は、何とも可哀想である。]
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