甲子夜話卷之四 7 加州の家風は儉遜なる事
4-7 加州の家風は儉遜なる事
加州の家風はさまざま他と殊なることある内に、大家の威に誇らずして、官家を敬する意の感ずべき事あり。火事あるとき、途中にて御使番衆橫道より出ることあれば、行列をいづれと云場所も無く橫に切らせて通すことの速なるは、他に無きことと云。たとへば、駕籠の前にても跡にても、その外先徒の間、挾箱の間、跡供などは云までもなし、何にても御使番衆の馳來る所へ、押足輕兩人走り來り立て、その中を通す作法なり。或人途中にて見しが、誠に見事なることなりしと云。一日、池の端の中町にて、林祭酒と行遇ふ。此處は通り殊に狹くして、大名の行列にては通難き程なり。此時加州の先箱を雁行にして、徒士皆雁行に供を立て直ほし、道を半分讓りて行たり。祭酒は小勢なれども、少しもさはらず其半分を通れりとぞ。いかにも公平なることにて、大より小へ屈する作法、却て大家の體を得、見事に有しと林氏話れり。又四品以上しぢら熨斗目を着る中に、加侯は平織の熨斗目にてしぢらに非ず。登營のときも如ㇾ此。これは極貴ゆへ、却て五位と紛れぬ故もあるか。御三家もしぢらになきのしめ折折着せらる。
■やぶちゃんの呟き
「加州」加賀国の加賀藩前田家。「甲子夜話」の起筆は文政四(一八二一)年十一月で、当時の藩主は加賀前田家第十二代の第十一代藩主前田斉広(なりなが)。
「儉遜」倹素(倹約)にして謙遜の謂いか。或いは単に「謙遜」の謂いか。
「官家」「くわんけ(かんけ)」で、ここは幕府やその官僚・関係者を指していよう。
「御使番」元来は戦場での伝令・監察・敵軍への使者などを務めた役職。ウィキの「使番」によれば、江戸幕府では若年寄の支配に属し、布衣(ほい)格(六位叙位相当)と見なされた。で菊之間南際襖際詰。元和三(一六一七)年に定制化されたものの、その後は島原の乱以外に『大規模な戦乱は発生せず、目付とともに遠国奉行や代官などの遠方において職務を行う幕府官吏に対する監察業務を担当する』ようになった。『以後は国目付・諸国巡見使としての派遣、二条城・大坂城・駿府城・甲府城などの幕府役人の監督、江戸市中火災時における大名火消・定火消の監督などを行った』とある。
「速なる」「すみやかなる」。
「跡にても」後にても。
「先徒」「さきかち」。
「挾箱」「はさみばこ」。
「跡供」「あととも」。
「押足輕」(おしあしがる)は中間・小者を指揮する役目の足軽。
「池の端の中町」池之端仲町。現在の東京都台東区池之端(いけのはた)一丁目の旧称。不忍池の西方から南方向一帯。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「林祭酒」何度も出た静山の友人で林家第八代林大学頭(だいがくのかみ)述斎。「祭酒」は大学頭(幕府直轄の昌平坂学問所を管理した役職)の唐名。
「行遇ふ」「ゆきあふ」。
「通難き程なり」「とほりがたきほどなり」。
「雁行」空を飛ぶ雁の列から、斜めに並んで行くこと。ここは二列縦隊の行列を少し斜めにずらした形で間に入れ、幅を短くしたことを指す。
「話れり」「かたれり」。
「四品」「しほん」は「四位」と同義で、官位が四位以上の位階であること。
「しぢら熨斗目」「しぢらのしめ」は「しじら」は「縬」と書き、経(たて)糸の張り方を不均衡にしたり、太さの事成る糸や、織り方の違う組織を混ぜて織ることで、表面に「しぼ」(細かいちぢれた感じの様態)を作った織物を言う。「熨斗目」は熨斗目小袖で、練貫(ねりぬき:生糸を経糸,練糸を緯(よこ)糸にした絹織物)の一種で、普通は経糸をやや粗く織ったものを指す)で仕立てた小袖(本来は厚い装束の下に下着として着用されたものを言う)で、江戸時代には武家の礼装の裃(かみしも)や素襖(すおう)の下に着た。
「平織」「ひらをり」。経糸と緯糸を交互に交差させて織る最も単純な織り方で製した織物。
「登營」江戸城への登城。
「極貴ゆへ」「ごくたふときゆへ」と訓じておく。
「却て」「かへつて」。
「しぢらになきのしめ」縬織りではないシンプルな熨斗目。
「折折」「をりをり」。
「着せらる」「ちやくせらる」。
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