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2017/05/06

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その13)

 

[やぶちゃん注:★定本ではここに、本書では次の次の章としてある蛾の話が移行されてある。★]

 

    *    *    * 

      *    *    * 

 彼は眠ることが出來なくなつた。

 最初には、時計の音がやかましく耳についた。彼は枕時計も柱時計も、二つともとめてしまつた。全く、彼等の今の生活には、時計は何の用もな居いただやかましいだけのものにしか過ぎなかつた。それでも、彼の妻は、每朝起きると、いい加減な時間にして、時計の振子を動かした。彼の女は、せめて家のなかに時計の音ぐらゐでもして居なければ、心もとない、あまり淋しいといふのであつた。それには彼も全く同感である。何かの都合で、隣家の聲も、犬の聲も、鷄の聲も、風の聲も、妻の聲も、彼自身の聲も、その外の何物の聲も、音も、ぴつたりと止まつて居る瞬間を、彼は屢經驗して居た。その一瞬間は、彼にとつては非常に寂しく、切なく、寧ろ怖ろしいものであつた。そんな時には、何かが聲か音かをたててくれればいいがと思つて、待遠しい心持になつた。それでも何の物音もないやうな時には、彼は妻にむかつて無意味に、何ごとでも話しかけた。でなければ、ひとりごとを言つたりした。

 けれども夜の時計の音は、あまりやかましくて、どうしても眠つかれなかつた。それの一刻みの音每にそそられて、彼の心持は一段一段とせり上つて昂奮して來た。それ故、彼は寢牀に入る時には、必ず時計の針をとめることにした。さうして每朝、妻は、夫のとめた時計を動かす。時計を動かすことと、止めることと、それが每朝每夜の彼等の各の日課になつた。

[やぶちゃん注:「各」「おのおの」。]

 時計の音をとめると、今度は庭の前を流れる渠のせせらぎが、彼には氣になり初めた。さうして今度はそれが彼の就眠を妨げるやうに感じられた。每日の雨で水の音は、平常よりは幾分激しかつたであらう。或る日、彼はその渠のなかを覗いて見た。其處には幾日か以前に――彼がこの家へ轉居して來たてに、この家の廢園の手入れをした時に、渠の土手にある猫楊から剪り落したその太い枝が、今でも、その渠のなかに、流れ去らずに沈んで居て、それが笧のやうに、水上からの木の葉やら新聞のきれのやうなものなどを堰きとめて、水はその笧を跳り越すために、湧上り湧上りして騷いで居た。あの騷々しい夜每の水の音は、成程この爲めであつた。彼はひとりでさう合點して、雨に濡れながら、渠のなかに這入つて、その枝を水の底から引き出した。澤山の小枝のあるその太い枝の上には、ぬるぬるとした靑い水草が一面に絡んで上つて來た。彼はそれを一先づ路傍へひろひ上げた。さてもう一度、水のなかを覗くと、今まで猫楊の枝の笧にからんで居た木の葉やら、紙片やら、藁くづやら、女の髮の毛やらの流れて行く間に雜つて、其處から五六間の川下を浮きつ沈みつして流れて行く長いものに、ふと目をとめた。

[やぶちゃん注:「笧」「しがらみ」。柵(しがらみ)。

「五六間」約九~十一メートル。] 

 見れば、それはこの間の晩、犬を打つてから水のなかへたたきつけたあの銀の握のある杖であつた。

 彼は不思議な緣で、再びそれが自分の手もとにかへつたことを非常に喜んだ。何といふことなく恥しく、馬鹿ばかしくつて、それを無くしたことを妻にも隱して居たのに、つひうつかり話してしまつたほどであつた。さうして彼は考へた――あの騷々しい水音は、きつと、この杖のさせた聲であらう。杖はさうすることに依つて、それを搜し求めて居る彼に、杖自身の在處を告げたのであらうと。

[やぶちゃん注:「在處」「ありか」。定本でもかくルビする。] 

 彼はその杖を片手に持つて、とどこほりなく押し流れて行く水の面をぢつと見た。これならば、今夜はもう靜かだ、安心だと思つた。併し、それは間違ひであつた。その夜も、前夜よりは騷がしいかと言つても、決して靜かではないせせらぎの音が、それはもともと極く微かなものであるのに、彼にはひどく耳ざわりで、それが彼の睡眠を妨げたことは、前夜と同じことであつた。

 けれども、そのせせらぎの音は、もうそれ以上どうすることも出來なかつた。その外に、もう一つ別に、彼の耳を訪れる音があつた。それは可なり夜が更けてから聞える、南の丘の向側を走る終列車の音であつた。然も、それはよほどの夜中なので――時計は動いて居ないから時間は明確には解らないけれども、事實の十時六分?にT驛を發して、直ぐ、彼の家の向側を、一里ほど遠くに、丘越しに通り過ぎる筈の終列車にしてはそれは時間があまりに晩すぎた。そればかりかそれは一夜中に一度ではなく、最初にそれほどの夜更けに聞いてから、また一時間ばかり經過するうちに、又汽車の走る音がする。どうしてもそれは事實上の列車の時間とは、すべて違つて居る‥‥たとひ、それが眞黑な貨物列車であつても、こんな田舍鐵道が、こんな夜更けに、それほど度々貨物列車を出す筈はない。さうして、それほどはつきり聞かれる汽車の音を、彼の妻は決して聞えないと言ふ。

[やぶちゃん注:こうした聴覚過敏や幻聴或いは聴覚認識及び同短期記憶の錯誤は、神経過敏や強迫神経症或いは精神疾患の初期症状として教科書的に典型的で、またそのようにかなり正確に叙述されてもある。しかも、そうした粘着的叙述自体が、そうした精神疾患等の予後に見られる特徴でもある。

T驛」不詳。当時の横浜線の駅名にイニシャル「T」の駅名はない。

「一里」モデル・ロケーションに非常に正確である。佐藤春夫が住んだ位置から地図上で測ると、現在の横浜線の最短位置の距離は三・九キロメートル強である。] 

 時計のセコンドの音。渠のせせらぎ。汽車の進行するひびき、そんな順序で、遂に彼は、その外のいろいろな物音を夜每に聞くやうになつた。その重なるものの一つは、彼が都會で夜更けによく聞いた、電車がカアブする時に發する遠くの甲高な軋る音である。それが時々、劇しく耳の底を襲うた。或る夜には、うとうと眠つて居て、ふと目がさめると、直き一丁ほどのかみにある村の小學校から、朗らかなオルガンの音が聞え出して來た。もう朝も遲くなつて、唱歌の授業でも始つて居るのかと、あたりを見ると、妻は未だ睡入つて居る。戶の𨻶間からも光もささない。何の物音も無い‥‥そのオルガンの音の外には。深夜である。睡呆けて居るのではないかと疑ひながら一層に耳を確めた。オルガンの音は、正にそれの特有の音色(ねいろ)をもつて、よく聞きなれた何かの進行曲を、風のまにまに漂はせて來るではないか‥‥彼は恍惚としてその樂の音に聞き惚れて居た。或る夜にはまた、活動寫眞館でよく聞く樂隊の或る節が‥‥これもやはり何かの進行曲であるが‥‥何處からとしもなく洩れ聞えて來た。其等の樂の音を感ずるやうになつてからは、水のせせらぎは、一向彼の耳につかなくなつた。さうして彼はもう眠らうといふ努力をしない代りに、眠れないといふことも、それほどに苦しくはなかつた。それ等のもの音は、電車のカアブする奴だけは別として、その外のは皆、快活な朗らかなそれぞれの快感をともなうて居て、彼はそれらの現象を訝しく感ずるよりも前に、それを聽き入つて居ることが、寧ろ言ひ知れない心地よさであつた。就中、オルガンの音が最もよかつた。次には樂隊のひびきであつた。樂隊は殆んど每夜缺かさずに洩れ聞えた。彼はそれを聽き入りながら、ついそれの口眞似をして、その上、臥て居る自分の體を少し浮上がらせる心持にして、體全體で拍子をとつて居た。それは一種性慾的とも言へるやうな、卽ち官能の上の、同時に精神的ででもある快樂の一つであるかのやうであつた。若しこれが修道院のなかで起つたのであつたならば、人々はそれを法悅と呼んだかも知れない。

[やぶちゃん注:この最後の部分は精神医学的にも文学的にもすこぶる興味深い。

「甲高な軋る音」「かんだかなきしるおと」。

「直き一丁ほどのかみにある村の小學校」「かみ」は川上ととれ、実際に佐藤の住んだ位置から谷本(やもと)川(鶴見川の上流域名)の川上方向に、現在も横浜市立鉄(くろがね)小学校がある。但し、現在の地図上ではその距離は四百メートルはある(一町は百九メートル)。しかし、昭和初期の地図を見ると、現在の鉄小学校の位置は完全に水田であり、「文」のマークは、もっと佐藤の住居寄り、現在の交番のある東北直近に打たれてある。ここだと、百メートル強となり、一致する

「進行曲」二箇所ともママ。定本では二箇所とも「行進曲」となっている。

「臥て」定本では「臥(ね)て」とルビする。] 

 幻聽は、幻影をも連れて來た。或は幻聽の前觸れがなしに一人でも來た。その一つは極く微細な、併し極く明瞭な市街である。これの一部分である。ミニアチュアの大きさと細かさとで、仰臥して居る彼の目の前へ、ちようど鼻の上あたりへ、そのミニアチュアの街が築かれて、ありありと浮び出るのであつた。それは現實にはないやうな立派な街なので、けれども、彼はそれを未だ見たことはないけれども、東京の何處かにきつとこれと同じ場所がありさうに想像され、信じられた。それは灯のある夜景であつた。五層樓位の洋館の高さが、僅に五分とは無いであらう。それで居て、その家にも、それよりももつと小さい ――それの半分も三分の一の高さもない小さな家にも、皆それぞれに、入口も、灯のきらびやかに洩れて來る窓もあつた。家は大抵眞白であつた。その窓掛けの靑い色までが、人間の物尺(ものさし)にはもとより、普通の人の想像そのもののなかにもちよつとはありさうもないほどの細かさで、而も實に明確に、彼の目の前に建て列ねられた。いやいや、未だそればかりではない。それらの家屋の塔の上の避雷針の傍に星が一つ、唯一つ、きつぱりと黑天鵞絨(くろびらうど)のなかの銀絲の點のやうに、鮮かに煌いて居る‥‥不思議なことには、立派な街の夜でありながら、どんな種類にもせよ車は勿論、人通り一人もない‥‥柳であらう街樹の並木がある。‥‥しんとした、その癖、何處にとも言へぬ騷々しさを湛へて居ることは、その明るい窓から感じられる‥‥その家はどういふ理由からか、彼には支那料理の店だと直覺出來る‥‥‥‥それをよくよく凝視して居ると、その街全體が、一旦だんだんと彼の鼻の上から遠ざかつて、いやが上に微小になり、もう消えると見るうちに、非常な急速度で景色は擴大され、前のとその儘の街が、非常な大きさに、殆んど自然大に、それでもまだやまずにとめどなく巨大に、まるで大世界一面になつて‥‥それをぼんやり見て居ると、その街はまた靜かに縮小して、もとのミニアチュアの街になつて、それとともに再び彼の鼻の上のもとの座に歸つて來た。彼はかうして數分間か、それとも數秒間に、メルヘンにある、小人國と、巨人國とへ、一翔りして往復して居る心地がした。何かの拍子に、その幻の街が自然大位の巨大さで、ぱつたり動かなくなる時がある。彼は、突然、實際そんな街へでも自分は來て居るのではなからうかと、慌てて手さぐりでマツチを擦つて、闇のなかで自分のすすけた家の天井を見わたした事があつた。

[やぶちゃん注:「五分」一・五センチメートル。

「煌いて」「きらめいて」。

「一翔り」「ひとかけり」。] 

 それらの風景は、屢々彼の目に現れた。それの現はれる都度、それは前度のものとは決して寸毫も變つたところはなかつた。それもこの現象に伴ふところの一つの不思議であつた。

 ある時には、稀に、その風景の代りに自分自身の頭であることがあつた。自分の頭が豆粒ほどに感じられる‥‥見る見るうちに擴大される‥‥家一杯に‥‥地球ほどに‥‥無限大‥‥どうしてそんな大きな頭がこの宇宙のなかに這入りきるのであらう。と、やがてまたそれが非常な急速度で、豆粒ほどに縮小される。彼はあまりの心配に、思はず自分の手で自分の頭を撫ぜ𢌞して見る。さうしてやつと安心する。滑稽に感じて笑ひ度くなる。その刹那にキイイイと電車のカアブする音が、眉の間を刺し徹す。

 これらの幻視や、幻感は、しかし、幻聽とはさほど必然的な密接な關係をもつて現はれるものではないらしかつた。一體に幻聽の方は、彼にとつて愉快であつたに拘はらず、こんな風に無限大から無限小へ、一足飛びに伸縮する幻影は、彼にさへ不氣味で、また惱ましかつた。

 これらの怪異な病的現象は、每夜一層はげしくなつて行くのを彼は感じた。彼はそれ等の現象を、彼の妻から傳はつて來るものだと考へ始めた。汽車のひびき、電車の軋る音、活動寫眞の囃子、見知らぬ併し東京の何處かである街。それ等の幻影は、すべて彼の妻の都會に對する思ひつめたノスタルヂアが、恐らく彼の女の無意識のうちに、或る妖術的な作用をもつて、眠れない彼の眼や耳に形となり聲となつて現はれるのではなからうか、彼はさう假想して見た。それは最初には、ほんの假想であつたけれども、何時とはなく、それが彼には眞實のやうに感ぜられ出して來た。彼自身のやうに、殆んど無いと言つてもいい程に意志の力の衰えて居るものの上に、意志の力のより强い他の人間の、或はこの空間に犇き合つて居るといふ不可見世界のスピリツト達の意志が、自分自身のもの以上に、力强く働きかけるといふことはあり得べき事として、彼は認めざるを得なかつた。生命といふものは、すべての周圍を刻々に征服し、食つて、その力を自分のなかに吸集し、それを統一するところの力である。さうして、今や、その力は彼からだんだんと衰えて行きつつあつた。

[やぶちゃん注:「不可見世界」「ふかけんせかい」見ることが出来ない時空間。

「吸集」ママ。] 

 彼が、闇といふものは何か隙間なく犇き合ふものの集りだ、それには重量があると氣附付たのもこの時である。

[やぶちゃん注:「集りだ、」底本は「集りだ。」と句点であるが、特異的に訂した。定本も読点になっている。] 

 彼は、若し自分が今、修道院に居るとしたならば‥‥と或る時考へた。若し彼が彼の妻と一緖にこんな生活をして居るのではなく、永貞童女である美しいマリアの畫像を拜しながら、この日頃のやうな心身の狀態に居るならば、夜の幻影は、それは多分天國のものであつたらう。その不快なものは地獄のものであつたらう。さうして畫像のマリアは生きて彼にものを言ひかけたのであらう。さうして怖ろしいものはすべて畫家アンドレアス・タフィイが描いたといふ惡魔の釀さと怖ろしさをもつて、彼に現はれたであらう。修道院では生活や思想がすべて、そんな風な幻影を呼び起すやうに、呼び起さなければならないやうないろいろの仕掛で出來て居るのだから。

[やぶちゃん注:「畫家アンドレアス・タフィイ」不詳。識者の御教授を乞う。定本では「スピネロオ・スヒネリイ」に変わっているが、それはルネッサンス初期のトスカーナの画家パッリ・ディ・スピネッロ・スピネッリ(Parri Di Spinello Spinelli 一三八七年~一四五三年)のことであろう。] 

 彼はそんな事をも考へた。併しこの考へは、この當座よりも、ずつと後になつて纏つた。

 

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