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« 甲子夜話卷之四 12 白熊 | トップページ | 南方熊楠 履歴書(その24) 小畔四郎との邂逅 »

2017/05/04

改版「風は草木にささやいた」異同検証 「Ⅷ」パート

 

   Ⅷ

 

[やぶちゃん注:「世界の黎明をみる者におくる詩」は二行目の「からす」への傍点「ヽ」がない。]

 

[やぶちゃん注:「自分は此の黎明を感じてゐる」は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:「偉大なもの」は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:強者の詩は「からすや雀も一しよであるのか」の傍点「ヽ」がない。]

 

 

[やぶちゃん注:病める者へ贈物としての詩は異同なし。]

 

 

[やぶちゃん注:或る日曜日の詩は異同なし。]

 

 

 

 朝の詩

 

しののめのお濠端に立ち

お濠に張りつめた

氷をみつめる此の氣持

此のすがすがしさよ

硝子(がらす)のやうな手でひつつかんだ

石ころ一つ

その石ころに全身の力をこめて

なげつけた氷の上

石ころはきよろきよろと

小鳥のやうにさえずつてすべつた

おお太陽!

此の氣持で

人間の街へ飛びこまう

 

[やぶちゃん注:朝の詩初版の三行目の「硝子(ぐらす)」のルビが「硝子(がらす)」に変わっている。また、初版の「小鳥のやうにさへずつてすべつた」が「小鳥のやうにさえずつてすべつた」になっており、歴史的仮名遣は「さへづつて」が正しいから、改版は誤りを増やしてしまっている。更に初版の「(おお太陽!)」の丸括弧は改版では存在しないし、次行の「おお此の氣持で」の頭の「おお」も除去されている。決定打は最終行「あの石ころのやうに」がカットされていることである。歴史的仮名遣の誤りの増加は痛いが、詩篇全体としては整理されて、氷のようにキン引き締まった響きがあり、太陽の温もりを持って「街へ飛びこ」もうとする詩人の魂が直喩の煩わしさから解放されていると私は感じる。]

 

 

 

[やぶちゃん注:大風の詩は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:農夫の詩は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:人間の詩は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:姙婦を頌する詩は初版の第一連と第二連が連続して一連になっている。個人的には、朗読しても、流れの内在律から言っても、繋げるのはいただけない。初版がよい。]

 

[やぶちゃん注:妹におくるは異同なし。]

 

[やぶちゃん注:十字架は初版の最終行「主よ、人間のこの強さを‥‥」のリーダが除去されている。ここは毅然として終わらねばならぬと私は思うので、リーダがない改版版を支持する。]

 

[やぶちゃん注:鞴祭の詩は異同なし。]

 

[やぶちゃん注:鴉祭の詩は「ほぢくる」が「ほじくる」に正されてある。]

 

[やぶちゃん注:初版でここにある貧者の詩改版ではカットされている。]

 

[やぶちゃん注:「單純な朝餐」は異同なし。初版の第三連三行目の「みろ」(独立二字一行)が「みよ」に変えられある。また、「ひもじさをじつと耐えて」の「じつと」が「ぢつと」に表記変更されている。なお、歴史的仮名遣をとる過去の有名な作家の中には、しばしば確かに「ぢつと」「凝(ぢ)つと」「(凝(ぢつ)と」表記する者が有意にいるのであるが、ここは「ぢ」ではなく「じ」で正しい。また、初版で独立した連(一行)となっている「此の食卓に祝福あれ!」が第三連の末行になってしまい、全体が三連構成に変更されてしまっている。この最後の変更については、私は断然、初版を支持する。]

 

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