明恵上人夢記 54
54
一、建保七年正月、夢に云はく、京の邊近き處に住房有り。上師とともに此處に在り。師、忽ちに出でて外へ行き給ふ。予、御送りに庭へ下る。一丁許り行きて、上師止めしめ給ふ。予思はく、京にては知らず、迎ふるに良(まこと)に還らむと欲す。顧れば大きなる門有り。師に問ひて云はく、「住房は彼の門の處か。」答へて曰はく、「少しき肱折れて至る也。」卽ち其處より還る。心に思はく、上師、此處を出で、暫く勝れたる處に至りて、彼の處より本の住處へ還り給ふべき也と云々。
[やぶちゃん注:「建保七年正月」一二一九年。まさに、この建保七年一月二十七日(一二一九年二月十三日)に第三代将軍源実朝が公暁に暗殺されているが、暗殺日と内容(それらしい衝撃を語っていない点)から見て、この夢はそれよりも前の可能性が強い。
「上師」以前にも述べたが、彼が書く言った場合、かの文覚上人或いは母方の叔父で出家最初よりの師で伝法灌頂を受けている上覚房行慈で、それぞれの生没年は、
文覚 保延五(一一三九)年~建仁三(一二〇三)年七月二十一日
上覚 久安三(一一四七)年~嘉禄二(一二二六)年十月
であるから、文覚なら既に亡くなっており、上覚ならまだ存命である。この場合、軽々には孰れとも断ずることは出来ぬものの、最後の夢中での明恵の妙に現実的な主張からは、生きている上覚である可能性が高いように思われる。
「一丁」百九メートル。
「京にては知らず、迎ふるに良(まこと)に還らむ」難解である。これはまず後半は――師とともに新たに住まうべき、「在るべきまことの場所」「常住の地」(後に出る「本」(もと)はその含みと読み、「京の邊近き處」の「本の」「住房」とは読まないということである)にこそ還りたい、還ろう――という謂いであろう。されば、前半は――京に近きところにてはそのような「在るべきまことの場所」はついぞ「知らない」、そのような場所は京(及びその周辺)にはない――という意味ではないか? たった「一丁」であってもそれは夢空間では一町が千里であってよいのである。
「肱折れて」「ひぢおれて」。角を曲がって。これは時空間の歪んだ表現であって、だからこそ前の私の一町千里的解釈と一致するものと考える。]
□やぶちゃん現代語訳
54
建保七年正月、こんな夢を見た。
京の辺り、大内裏に近き所に住房がある。私は上師とともに此処に住まっている。
師が、突然、その房を出て外へ行かれる。
私は師をお送りするために庭へと降りた。
二人して一町ばかり行くと、上師はそこで私をお停めになられた。
私がその時、心に思ったことは、
『――京にはそのようなところはない――師をお迎えし、我らもともにその「まことの在るべき常住の地」に還ろう――』
という強い願いであった。
後ろを顧みると、そこには大仰な如何にもな門があった。
私は師に問うて尋ねた。
「住房はかの門のところでしょうか?」
師は答へて仰せられた。
「――いや――少しき角を曲がって行きつく場所である。」
そこで、しかし、師は私を従えて、その路上より、元の住房へと帰ってしまわれた。
私は心に思った。
『上師は、この喧しく生臭い住房を出でて、一時、勝(すぐ)れたる「まことに在るべき」場所へとたどり着かれ、かの住房から、本(もと)「あるべきまことの」棲家へとお還りなさるべきである。』
と…………
« 進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(1) 序 / 一 增加の割合 | トップページ | 芥川龍之介 手帳7 (1) 雍和宮 »