靑猫を書いた頃 萩原朔太郎
[やぶちゃん注:以下は昭和一一(一九三六)年六月号『新潮』初出し、昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」に収録された随筆である。
昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本としたが、私は同全集の過剰な消毒をした校訂本文が、実は嫌いである。三箇所を「校異」に従って初出形に戻しておいた。
また、引用される詩篇は既にブログで当該詩篇或いは初出形等を電子化してあるので(何篇かはずっと昔に、何篇かは今回のこの電子化のため直前に)、本文の当該詩篇題の箇所にリンクを張って参考に供した(正直言うと、実は萩原朔太郎のここでの引用は杜撰で正確でない部分があるので(例えば初っ端の「憂鬱の川邉」の引用冒頭は頭の「げに」が脱落しているし、最後の「怠惰の曆」の引用冒頭は「むかしの戀よ 愛する猫よ」であるべきところが「むかしの人よ 愛する猫よ」となってしまっている)、必ずリンク先の正しいそれを参照されたい。但し、一部は初出形を主体とし、注で、後の再録の幾つかを参考に示したものの場合もある。将来的には萩原朔太郎の単行詩集の電子化注(但し、後年の再録改変詩篇はどうも好きになれない改悪も含まれているので、全部を無批判に採ることは恐らくはしない)をやり遂げたいとは思っている)。
「ソファ」は底本では古式通りの「ソフア」であるが(ルビは現代仮名遣でも原則、拗音表記しないという底本出版当時の印刷業界の常識である)、本文に徴して拗音化して読みを附した。
なお、表題通り、「靑猫を書いた頃」であって、実は初版「靑猫」に所収しない詩篇も引用されているので注意されたい。引用された詩篇の後に附された丸括弧内の題名は、ブログのブラウザ上の不具合を考えて一部の字配は底本に従っていない。太字は底本では傍点「ヽ」である。
第六段落に出る「スペードの9」というのは、占いに興味のない私は知らなかったが、ネット上の情報によれば、トランプ占いに於いて全部のカードの中で最も悪いカードを意味するそうで、「病気・損失・紛失・喪失・危険・災難・幸運を不運に変える・家族との終わりのない意見の相違」等の最悪の予兆だそうである。
詩篇「猫の死骸」を語る際に言っている「リヂア」とは、恐らくはポーランドの作家ヘンリク・アダム・アレクサンデル・ピウス・シェンキェーヴィチ(ラテン文字転写:Henryk Adam Aleksander Pius Sienkiewicz 一八四六年~一九一六年)が一八九五年に発表した、ローマ皇帝ネロの統治時代の、若いキリスト教徒の娘リギアとローマの軍人マルクス・ウィニキウスの間の恋愛を中心として、糜爛したローマ帝国を描いた“Quo Vadis: Powieść z czasów Nerona”(クォ・ヴァディス(「あなたは何処へ行くのか?」): ネロの時代の物語」:“Quo Vadis”はラテン語。「ヨハネによる福音書」第十三章第三十六節でペトロが最後の晩餐でイエスに投げかけた問い、“Quo vadis, Domine”(「主よ、どこに行かれるのですか?」)に由来し、この語は後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとしてしばしば使われる)のヒロイン、リギア(英語表記: Lycia)のことであろう。]
靑猫を書いた頃
靑猫の初版が出たのは、今から十三年前、卽ち一九二三年であるが、中の詩は、その以前から、數年間に書き貯めたものであるから、つまり一九一七年ら一九二三年へかけて書いたもので、今から約十七年も昔の作になるわけである。十年一昔といふが、十七年も昔のことは、蒼茫して夢の如く、概ね記憶の彼岸に薄らいで居る。
しかし靑猫を書いた頃は、私の生活のいちばん陰鬱な梅雨時だつた。その頃私は、全く「生きる」といふことの欲情を無くしてしまつた。と言つて自殺を決行するほどの、烈しい意志的なパッションもなかつた。つまり無爲とアンニュイの生活であり、長椅子(ソファ)の上に身を投げ出して、梅雨の降り續く外の景色を、窓の硝子越しに眺めながら、どうにも仕方のない苦惱と倦怠とを、心にひとり忍び泣いてるやうな狀態だつた。
その頃私は、高等學校を中途で止め、田舍の父の家にごろごろして居た。三十五、六才にもなる男が、何もしないで父の家に寄食して居るといふことは、考へるだけでも淺ましく憂鬱なことである。食事の度每に、每日暗い顏をして兩親と見合つて居た。折角たのみにして居た一息子が學校も卒業できずに、廢人同樣の無能力者となつて、爲すこともなく家に歸つて居る姿を見るのは、父にとつて耐へられない苦痛であつた。父は私を見る每に、世にも果敢なく情ない顏をして居た。私は私で、その父の顏を見るのが苦しく、自責の悲しみに耐へられなかつた。
かうした生活の中で、私は人生の意義を考へ詰めて居た。人は何のために生きるのか。幸福とは何ぞ。眞理とは何ぞ。道德とは何ぞ。死とは何ぞ。生とは何ぞや? それから當然の歸趨として、すべての孤獨者が惑溺する阿片の瞑想――哲學が私を捉へてしまつた。ニイチェ、カント、ベルグソン、ゼームス、プラトン、ショウペンハウエルと。私は片つぱしから哲學書を亂讀した。或る時はニイチェを讀み、意氣軒昂たる跳躍を夢みたが、すぐ後からショウペンハウエルが來て、一切の意志と希望とを否定してしまつた。私は無限の懷疑の中を彷徨して居た。どこにも賴るものがなく、目的するものがなく、生きるといふことそれ自身が無意味であつた。
すべての生活苦惱の中で、しかし就中、性慾がいちばん私を苦しめた。既に結婚年齡に達して居た私にとつて、それは避けがたい生理的の問題だつた。私は女が欲しかつた。私は羞恥心を忍びながら、時々その謎を母にかけた。しかし何の學歷もなく、何の職業さへもなく、父の家に無爲徒食してゐるやうな半廢人の男の所へ、容易に妻に來るやうな女は無かつた。その上私自身がまた、女性に對して多くの夢とイリュージョンを持ちすぎて居た。結婚は容易に出來ない事情にあつた。私は東京へ行く每に、町を行き交ふ美しい女たちを眺めながら、心の中で沁々と悲しみ嘆いた。世にはこれほど無數の美しい女が居るのに、その中の一人さへが、私の自由にならないとはどういふわけかと。
だがしかし、遂に結婚する時が來た。私の遠緣の伯父が、彼自身の全然知らない未知の女を、私の兩親に說いてすすめた。半ば自暴自棄になつて居た私は、一切を運に任せて、選定を親たちの意志にまかせた。そしてスペードの 9 が骨牌に出た。私の結婚は失敗だつた。
陰鬱な天氣が日々に續いた。私はいよいよ孤寂になり、懷疑的になり、虛無的な暗い人間になつて行つた。そしていよいよ深く、密室の中にかくれて瞑想して居た。私はもはや、どんな哲學書も讀まなくなつた。理智の考へた抽象物の思想なんか、何の意味もないことを知つたからだ。しかしショウペンハウエルだけが、時々影のやうに現はれて來て、自分の悲しみを慰めてくれた。槪念の思想のものではなく、彼の詩人的な精神が、春の夜に聽く橫笛の音のやうに、惱しいリリカルの息思ひに充ちて、煩惱卽口提の生の解脱と、寂滅爲樂のニヒルな心境を撫でてくれた。あの孤獨の哲學者が、密室の中に獨りで坐つて、人間的な欲情に惱みながらも、終生女を罵り世を呪ひ、獨身生活に終つたといふことに、何よりも深い眞の哲學的意味があるのであつた。「宇宙は意志の現れであり、意志の本體は惱みである。」とショウペンハウエルが書いた後に、私は付け加へて「詩とは意志の解脫であり、その涅槃への思慕を歌ふ鄕愁である。」と書いた。なぜならその頃、私は靑猫の詩を書いて居たからである。
げにそこにはなにごとの希望もない
生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ
梅雨(つゆ)だ
じめじめとした雨の點滴のやうなものだ
しかしああ、また雨! 雨! 雨!
(憂鬱の川邊)
と歌つた私は、なめくぢの這ひ𢌞る陰鬱な墓地をさまよひながら、夢の中で死んだ戀人の幽靈と密會して、
どうして貴女(あなた)はここに來たの?
やさしい、靑ざめた、草のやうにふしぎな影よ。
貴女は貝でもない、雉でもない、猫でもない。
さうしてさびしげなる亡靈よ!
……………………(中略)
さうしてただ何といふ悲しさだらう。
かうして私の生命(いのち)や肉體はくさつてゆき
「虛無」のおぼろげなる景色の中で
艶めかしくも、ねばねばとしなだれて居るのですよ。
(艶めかしい墓場)
と、肉體の自然的に解消して行く死の世界と、意志の寂滅する涅槃への鄕愁を切なく歌つた。
蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で
わたしはくづれてゆく肉體の柱をながめた。
それは宵闇にさびしくふるへて
影にそよぐ死びと草のやうになまぐさく
ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。
……………………(中略)
それは風でもない、雨でもない
そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ。
さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に
わたしのくづれて行く影がさびしく泣いた。
(くづれる肉體)
と、ショウペンハウエル的涅槃の侘しくやるせない無常感を、印度の蛇使ひが吹く笛にたとへて、鄕愁のリリックで低く歌つた。自殺の決意を持ち得ないほど、意志の消耗に疲れ切つて居た當時の私は、物倦く長椅子(ソファ)の上に寢たままで、肉體の自然的に解消して物理學上の原素に還元し、一切の「無」に化してしまふことを願つて居た。
どこに私らの幸福があるのだらう
泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよ深く湧いてくるのではないか。
……………………(中略)
ああもう希望もない、名譽もない、未來もない。
さうして取りかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
(野鼠)
それほど私の悔恨は痛ましかつた。そして一切の不幸は、誤つた結婚生活に原因して居た。理解もなく、愛もなく、感受性のデリカシイもなく、單に肉慾だけで結ばれてる男女が、古い家族制度の家の中で同棲して居た。そして尙、その上にも子供が生れた。私は長椅子(ソファ)の上に身を投げ出して、昔の戀人のことばかり夢に見て居た。その昔の死んだ女は、いつも紅色の衣裝をきて、春夜の墓場をなまぐさく步いて居た。私の肉體が解體して無に歸する時、私の意志が彼女に逢つて、燐火の燃える墓場の陰で、悲しく泣きながら抱くのであつた。
ああ浦、さびしい女!
「あなた いつも遲いのねえ。」
ぼくらは過去もない、未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた……
浦!
このへんてこに見える景色の中へ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
(猫の死骸)
浦は私のリヂアであつた。そして私の家庭生活全體が、完全に「アッシャア家の沒落」だつた。それは過去もなく、未來もなく、そして「現實のもの」から消えてしまつた所の、不吉な呪はれた虛無の實在――アッシャア家的實在――だつた。その不吉な汚ないものは、泥猫の死骸によつて象徴されてた。浦! お前の手でそれに觸るのは止めてくれ。私はいつも本能的に恐ろしく、夢の中に泣きながら戰いて居た。
それはたしかに、非倫理的な、不自然な、暗くアブノーマルな生活だつた。事實上に於て、私は死靈と一緒に生活して居たやうなものであつた。さうでもなければ、現實から逃避する道がなく、悔恨と悲しみとに耐へなかつたからである。私はアブノーマルの仕方で妻を愛した。戀人のことを考へながら、妻の生理的要求に應じたのである。妻は本能的にそれを氣付いた。そして次第に私を離れ、他の若い男の方に近づいて行つた。
すべては不吉の宿命だつた。私は過去を囘想して、ポオの「大鴉」の歌のやうに、ねえばあ、もうあ! ねえばあ、もうあ! と、氣味惡しく叫び續けるばかりであつた。しかしそんな虛無的の悲哀の中でも、私は尙「美」への切ない憧憬を忘れなかつた。意志もなく希望もなく、疲れ切つた寢床の中で、私は枕時計の鳴るオルゴールの歌を聽きながら、心の鄕愁する侘しい地方を巡歷した。
馬や駱駝のあちこちする
光線のわびしい沿海地方にまぎれて來た
交易をする市場はないし
どこで毛布(けつと)を賣りつけることもできはしない。
店鋪もなく
さびしい天幕が砂地の上にならんでゐる。
(沿海地方)
そんな沿海地方も步いたし、蛙どもの群つてゐる、さびしい沼澤地方も巡歷したし、散步者のうろうろと步いてる、十八世紀頃の侘しい裏街の通りも步いた。
太陽は無限に遠く
光線のさしてくるところに、ぼうぼうといふほら貝が鳴る。
お孃さん!
かうして寂しくぺんぎん鳥のやうに竝んでゐると
愛も肝臟も、つららになつてしまふやうだ。
……………………(中略)
どうすれば好いのだらう、お孃さん!
ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で、貝肉のやうにふるへてゐる。
そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし
こんなにも切ない心がわからないの? お孃さん!
氷島の上に坐つて、永遠のオーロラを見て居るやうな、こんな北極地方の侘びしい景色も、夢の中で幻燈に見た。
私のイメーヂに浮ぶすべての世界は、いつでも私の悲しみを表象して居た。そこの空には、鈍くどんよりとした太陽が照り、沖には沈沒した帆船が、蜃氣樓のやうに浮んで居た。そして永劫の宇宙の中で、いつも靜止して居る「時」があつた。それは常に「死」の世界を意味して居たのだ。死の表象としてのヴィジョンの外、私は浮べることができなかつたのだ。
むかしの人よ、愛する猫よ
私はひとつの歌を知つてる
さうして遠い海草の焚けてる空から、爛れるやうな接吻(きす)を投げよう。
ああこのかなしい情熱の外、どんな言葉も知りはしない。
(怠惰の曆)
詩集「靑猫」のリリシズムは、要するにただこれだけの歌に盡きてる。私は昔の人と愛する猫とに、爛れるやうな接吻(きす)をする外、すべての希望と生活とを無くして居たのだ。さうした虛無の柳の陰で、追懷の女としなだれ、艶めかしくもねばねばとした邪性の淫に耽つて居た。靑猫一卷の詩は邪淫詩であり、その生活の全體は非倫理的の罪惡史であつた。私がもし神であつたら、私の過去のライフの中から、この生活の全體を抹殺してしまひたいのだ。それは不吉な生活であり、陰慘な生活であり、恥づべき冒瀆的な生活だつた。しかしながらまたそれだけ、靑猫の詩は私にとつて悲しいのだ。今の私にとつて、靑猫の詩は既に「色の褪せた花」のやうな思ひがする。しかもその色の褪せた花を見ながら、私はいろいろなことを考へてるのだ。
見よ! 人生は過失なり――と、私は近刊詩集「氷島」中の或る詩で歌つた。まことに過去は繰返し、過失は永遠に囘歸する。ボードレエルと同じく、私は悔恨以外のいかなる人生をも承諾しない。それ故にまた私は色の褪せた靑猫の詩を抱いて、今もまた昔のやうに、人生の久遠の悲しみを考へてるのだ。
[やぶちゃん注:最後の「見よ! 人生は過失なり――と、私は近刊詩集「氷島」中の或る詩で歌つた」は昭和九(一九三四)年六月第一書房刊の詩集「氷島」の「新年」である。「新年」は同年三月発行の『詩・現實』を初出とするが、一部に有意な異同があるので、まず、初出を示し、而して「氷島」版を掲げて終りとする。定本はやはり筑摩書房版「萩原朔太郎全集 第二卷」に拠ったが、後者は歴史的仮名遣等が補正された本文ではなく、異同に従って詩集「氷島」のママを再現した。「凜然」は「寒さが厳しく身に沁み入るさま」を言う。底本校訂本文は「凛然」と〈訂する〉が「凜然」とも表記するから、従わない。
*
新年
新年來り
門松は白く光れり。
道路みな霜に凍りて
冬の凜烈たる寒氣の中
地球はその週曆を新たにするか。
われは尙悔ひて恨みず
百度(たび)もまた昨日の彈劾を新たにせむ。
いかなれば非有の時空に
新しき辨證の囘歸を待たんや。
わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ曆數の周期を知らむ
見よ 人生は過失なり
けふの思惟するものを彈劾して
百度(たび)もなほ昨日の悔恨を新たにせむ。
* *
新年
新年來り
門松は白く光れり。
道路みな霜に凍りて
冬の凜烈たる寒氣の中
地球はその週暦を新たにするか。
われは尙悔ひて恨みず
百度(たび)もまた昨日の彈劾を新たにせむ。
いかなれば虛無の時空に
新しき辨證の非有を知らんや。
わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ暦數の囘歸を知らむ
見よ! 人生は過失なり。
今日の思惟するものを斷絕して
百度(たび)もなほ昨日の悔恨を新たにせん。
*]
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