萩原朔太郎 野鼠 (初出形)
野鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
坭土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧(わ)いてくるではないか。
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ぼうぼうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來はしない。
なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
私は日雇人(ひやうとり)のやうに步いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが野鼠のやうに走つて行つた
[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年五月刊『日本詩集』初出。歴史的仮名遣の誤りと「坭土」はママ。「めるとん」の傍線は無論、右傍線。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられており、大きな改変は最終行を二行に分かった点である。ここは「靑猫」が無論、いい。
*
野鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
坭土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
私は日雇人のやうに歩いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
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底本とした筑摩版全集は「坭土」を「泥土」に、「日雇人」を「日傭人」に〈訂し〉、後者のルビを「ひやうとり」に「ひようとり」に訂している。読みは当て読みであり、歴史的仮名遣から改変は正しいが、前の「坭土」と「日雇人」の改変は訂正とは言えない。「坭」は漢字として存在し、「泥」と同義であり、「日雇人」はそれで意味が過たず、読者に通ずるからである。以前から筑摩版のこの全集の勝手な〈訂正〉には不満があるが、ここでも不愉快極まりない。こんな消毒したものが萩原朔太郎の詩として読み継がれるとすれば、これは何か、奇体な字を前に逡巡しつつも、そこに雰囲気を摑める気持ちで読み進めるよりも、遙かに逆に虫唾が走る。]
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