萩原朔太郎 憂欝の川邊 (初出形)
憂欝の川邊
川邊で鳴つてゐる
芦(よし)や葦(あし)のさやさやといふ音はさびしい
しぜんに生えてゐる
するどい ちひさな植物 草本の莖の類はさびしい
私は眼を閉ぢて
なにかの草の根をかまふとする
なにかの草の汁を吸ふために、憂愁の苦い汁を吸ふために
げにそこにはなにごとの希望もない
生活はただ無意味な幽欝の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の点滴のやうなものだ
しかし ああ また雨 雨 雨
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽虫の類
それは憂欝に這ひまはる岸邊にそうて這ひまはる
じめじめとした川の岸邊を行くものは
ああこの 光るいのちの葬列か
光る精神の病靈か
物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草から
雨に光る木材質のはげしきにほひ。
[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年四月号『感情』初出。歴史的仮名遣の誤り及び「幽欝」「点」「虫」はママ。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられている。大きな変更は終りから二行目であるが、以降の詩集類ではこれ総て「草むら」であるから、これは初出の誤植の可能性が高いとも言えるが、断定は出来ぬ。なお、最後の詩集となる昭和一四(一九三九)年九月創元社刊の「宿命」でのみ、終りから三行目の「精神」に「こころ」とルビされる大きな改変がなされてある。底本は昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を用いた。
*
憂鬱の川邊
川邊で鳴つてゐる
蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい
しぜんに生えてる
するどい ちひさな植物 草本(さうほん)の莖の類はさびしい
私は眼を閉ぢて
なにかの草の根を嚙まうとする
なにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふために
げにそこにはなにごとの希望もない
生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の點滴のやうなものだ
しかし ああ また雨! 雨! 雨!
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽蟲の類
それは憂鬱に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはる
じめじめとした川の岸邊を行くものは
ああこの光るいのちの葬列か
光る精神の病靈か
物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら
雨に光る木材質のはげしき匂ひ。
*]