ブログ940000アクセス突破記念 煙草の害について アントン・チェーホフ作・米川正夫譯
[やぶちゃん注:これはアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов/ラテン文字転写 Anton Pavlovich Chekhov 一八六〇年~一九〇四年)が一八八六年に「アントーシャ・チェーホンテ」(Антоша Чехонте)のペン・ネームで発表した独り芝居の一幕物喜劇“O vrede tabaka”の全訳である。
底本は昭和一四(一九三九)年岩波文庫刊の米川正夫譯「チェーホフ一幕物全集」(正字正仮名)を用いた。訳者米川正夫は昭和四〇(一九六五)年十二月二十九日逝去でパブリック・ドメインである。
底本のポイント違い(ト書き丸括弧挿入部全体がポイント落ち等)は無視し、また台詞の二行目以降の一字下げは行わなかった。本作は独り芝居であるため、この処理は特に読むのに違和感はないはずである。踊り字「〱」「〲」は正字化した。
一箇所、「南京蟲を退治したり」の箇所は、底本では「南京蟲を退治たり」となっている。私が朗読するなら、「やつつけたり」と訓ずるところだが、特にルビを振っておらず、直後に「鼠を退治したり」がある以上、「り」の脱字と断じて、特異的に補った。
本作は実に二十八歳の時、高校三年の現代文の教科書に載っていた。私は教材として選ばなかったのだが、ある女生徒から『最後の授業でどうしても演じて下さい』と懇望され、その一クラスだけで、一度だけ、表現読みをしたことがある、遠い、懐かしい思い出である。私はしかし、本作を、あれ一度きりとはいえ、「公演」しただけよかったと思う(以下、モノローグ)……私は嘗てどうしても演じたかった今一つの独り芝居があった……サミュエル・ベケットの「クラップ最後のテープ」だ……あの芝居も誰かが徹底的にインスパイアしないと、最早、リール・テープではレーゼ・ドラマとしてしか読まれんだろうなぁ……でも、私はあれは「カラカラ」と回るリール・テープだからこそ――いい――だからこそ、絶妙の小道具となると思っているのだ……あれはしかし……高校生相手ではとても表現読み出来る内容ではなかったからなぁ……まあ……仕方……ないか…………
底本が戦前の刊行物であることから、若い読者には読み難いと思われる語句が思いの外、見受けられるので、ごく簡単に先に注しておくこととする。杞憂だと思われる方は、以下は飛ばして本文をお読みあれ。
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「孜孜」は「しし」と読み、熱心に努め励むさまを意味する。
「我關せず焉ですよ」「焉」は「えん」と読む。「焉」は漢文で断定の意を表す助辞で通常は置字として読まないが、この「我れ関せず焉」とした場合のみかく音読みする。自分には何ら関係がないという主張で、対象の状況などから超然としている様子指す。
「耳をお藉しにならなくても」「お藉し」は「おかし」。「お貸し」。
「溢す」「みたす」。
「一哥」「いちカペイカ」(ロシア語:копейка/ラテン文字転写:kopek/copeck)。「カペイカ」(「哥」は当て字)はロシアの通貨単位であるルーブル(ルーブリ/ロシア語:рубль/同前:rouble/ruble)の補助通貨単位。一ルーブルは百カペイカ。
「鐚錢一枚ない」「びたせんいちまい」。やはり日本風の解説になるが、最低の粗悪貨幣の「一文たりとても持ってない」の意。
「狆」犬の犬種の「ちん」。
「薄餅(プリン)」はロシア語で“блин”(ブリン:ラテン文字転写:blin)のこと。これは我々がそのルビから想像する「プリン」でも「プティング」でもない。ホットケーキ風の焼き菓子、というか、より薄いパン・ケーキやクレープのようなものを想起した方がよろしいか。これだけ言ってもイメージ出来ない方は、雪こぐま氏のサイト「本嫌いさんの読書感想文~カラマーゾフの兄弟はいつも貸出中?!」の「アリョーシャと一緒にプリンを食べよう」を見て戴ければ、一目瞭然。
「吩咐ましたが」「いひつけましたが」。言いつけましたが。
「頓痴奇」「とんちき」。一般には「頓痴氣」と書くが当て字。頓馬(とんま)・間抜けなどの蔑称語の一つ。
「彼奴ら」「きやつら(きゃつら)」。卑称三人称複数。
「くそ食へ」「くそくらへ」。糞喰らえ。
「薩張りない」「さつぱりない」。さっぱり無い。
「大祭日」イエス・キリストの復活を記憶する正教会に於いて最も重要な祭日である「パスハ」、「復活大祭日」のことであろう。日付は年によって異なるが、四月四日から五月九日までの孰れかの日曜日となる。
「自分の頰を指でぽんと彈く」ロシアでは一般には指で首を弾くと「酒」を意味する。
「脱れさへ」「のがれさへ」。逃れさえ。
「老い耄れ」「おいぼれ」。
「案山子」「かかし」。
「搔き毟りたい」「かきむしりたい」。
「Dixi et animan levavi」ラテン語。意味は米川氏の割注でどうぞ。
「濶然」闊然や豁然に同じい。からりと開ける様子。転じて疑いや迷いが消えて心が明るくひらけるさま。
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なお、本電子化はある邦人作家のある作品の電子化のための参考作品としてプレ公開するものであり、また、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが940000アクセスを越えた記念ともすることとする。【2017年5月5日 藪野直史】]
煙草の害について
――獨白劇一幕――
人物
イヷン・イヷーノヸッチ・ニューヒン 音樂教授および女子寄宿舍を經營する女流教育家の夫。
無臺は或る田舍倶樂部の演壇。
ニューヒン (鼻髭を剃り落し、長い頰髯を蓄へてゐる。大分くたびれた古い燕尾服を着て、堂々と登場。會繹して胴衣を正す)淑女及び少數の紳士諸君。(頬髯を搔き分ける)えゝ實は妻(さい)の方へ他から勸誘がありまして、わたくしに慈善の目的をもつて、こゝで何か通俗講話をするやうにとのことでした。よろしい、講話とあれば講話も結構――わたくしはそんなことなぞどつちだつて、一向構やしないんですからな。わたしは、無論、大學教授でもなければ、學位などといふものにも凡そ緣のない人間ですが、しかしそれでも、かうして既に二十年の間、殆ど自分の健康を害する迄に、孜々として純科學的な問題の研究と思索を續け、時としては、えゝその、論文の執筆さへもいたします。と申して、全然論文と言ふ譯でもありませんが、まづ言つて見れば、つまり論文風のものなのであります。就中、最近數日間に、わたしは『ある昆蟲の事に就いて』と題する堂々たる大論文を脱稿致しました。娘達は大變氣に入つた風でした。殊に南京蟲に關する條(くだり)の如きは、格別歡迎されたやうですが、しかしわたしは朗讀後直ちに破棄してしまひました。實際幾ら書いて見たところで、詮ずるところ蚤取粉なしには濟まない譯ぢやあませんか。何しろわたしの家では、ピアノの中にまで南京蟲がゐるんですからなあ‥‥さて今日の演題としてわたくしは、その、喫煙が人類に及ぼす害といふのを選びました。わたくし自身も煙草を用ひてをりますが、實は妻が今日煙草の害に就いて講演しろと命令いたしますので、從つてそれ以上、兎や角爭ふ餘地はありません。煙草の害なら煙草の害でよろしい――わたしはどつちだつて我關せず焉ですよ。とは云へ紳士淑女諸君、どうかこのわたくしのこの演説に對して、充分眞劍な態度をおとり下さるやうお願ひいたします。さもないと、何か面倒なことが起らんとも限りませんからね。もし無味乾燥な學術的講演に恐れを抱かれる方や、又さう言ふものをお好みにならない方は、耳をお藉しにならなくても差支へありませんし、或がご隨意に退場なさつても構ひません。(胴衣を正す)特にご來場の醫師諸君には、格別のご注意を促したいと思ふのであります。なぜならば、煙草はその有害なる作用のほかに、なほ醫藥としても使用されてゐますから、醫師諸君はわたくしの講演から、いろいろ有益な知識を汲み取ることがお出來になると思ひます。例へば、もし蠅を煙草入の中に閉ぢ込めて置きますと、必ず死んでしまひます。それは恐らく神經衰弱のためと想像せられます。煙草は主として植物でありまして‥‥えゝ、わたくしが講演をやります時、よく右の眼をぱちぱちさせますが、どうかそんなことに氣をお留めなさらんやう、お願ひいたします。これは興奮のためなのであります。わたくしは概して頗る神經質な人間でありますが、この瞬きをするやうになつたのは、千八百八十九年九月十三日、卽ちわたくしの妻が、そのう、四番目の娘のヷルヷーラを分娩した當日のことであります。宅の娘はみんな十三日に出産したのであります。尤も(時計な見る)時間の餘裕が充分ありませんから、本題から離れるのは止めにいたしませう。ちよつとお斷りして置きますが、妻は音樂學校と女子寄宿舍を經營してをります。なに、寄宿舍といふ程でもありませんが、ま、ま、さう言つた風なものであります。大きな聲では申されませんけれど、妻は收入不足を溢すのが十八番ですが、しかし少し許り臍繰りを隱してをります。左樣、四萬か五萬くらゐはありませう。ところが、わたしと來たら、一哥も持つてやしません――それこそ鐚錢一枚ないんですからな――いや、こんなことを言つたつて始りませんよ! わたしは寄宿舍で會計係を受け持つてゐます。つまり食料品を買つたり、雇人の監督をしたり、支出をつけたり、生徒の手帖を綴ぢたり、南京蟲を退治したり、妻の狆を散步につれて出たり、鼠を退治したりするのです‥‥現に昨日の晩などは、炊事の女に麥粉とバタを出してやるのが、わたくしの役目になつてゐました。薄餅(プリン)を拵へなければならなかつたからです。そこで、手つとり早く申しますと、今日薄餅(プリン)がもうすつかり燒けた時、妻が臺所へ來て申しますには、寄宿生のうち三人は、扁桃腺を腫らしてゐるから、薄餅を食べさせてはならない、とかう言ふんです。そこで、つまり幾つか餘計な薄餅(プリン)が燒上がつた譯です。一體そいつをどうしたらいゝんでせう? 妻は初め穴藏へ持つて行くやうに吩咐ましたが、その後さんざん首を捻つた擧句、『えゝこの薄餅(プリン)を自分で食つてしまふがいゝ、間拔野郎!』と言ひました。妻はいつも機嫌の惡い時、わたしのことを間拔野郎とか、頓痴奇とか、鬼とか言つて呼ぶんです。ねえ一體わたしが鬼と見えますか? 妻はいつも機嫌が惡いのですよ。そこで、わたしは食べてしまつた、と云はうより碌々嚙みもしないで、丸呑みにして了ひました。何しろ、いつも腹が滅つてゐるもんですからね。現に昨日なんかも、妻はわたしに飯を食はしてくれないんです。『この間拔野郎、お前のやうな者を養つてやる譯がない。』と言ひましてな‥‥しかし(時計を見る)わたしは少し饒舌を弄しすぎて、少し本題を離れたやうです。さつきの續きを申し上げませう。尤も、無論あなた方はこんな講話よりも、何かの小唄か、洒落たシンフォニイか、それともこんな風な小歌曲(アリヤ)でも聞きたいとお思ひになるでせうな‥‥(唄ふ)『われ等は激しき戰ひの、そのさ中にも瞬きもせじ‥‥』えゝと、これは何の曲にあつたのか、はつきり覺えてゐませんな‥‥時に、申し忘れてをりましたが、妻の經營してゐる音樂學校では、わたしは會計係のほかに、なほ數學、物理、化學、地理、歷史、唱歌練習書(ソルフエージオ)、文學、その他の教授を擔當してをります。ダンスと唱歌と圖畫に對しては特別の料金が要ります。但しダンスと唱歌も、これ亦わたしが教授してゐるのですがね。わが音樂學校は五犬橫町(ピヤサパーチイ)の十三番屋敷にあります。つまり、恐らくそのために、わたしの生涯はかく失敗に終つたのでせう。つまり、わたし達が十三番屋敷に住んでゐるからですな。それに娘達もみんな十三日に生れるし、家の窓の數も十三と來てる‥‥いや、今更愚痴を言つたつて始まりませんて! もし、何かご相談でしたら、妻(さい)はいつでも宅にをります。また學校の規則書も、ご希望でしたら、玄關番が一部三十哥で賣つてをります。(衣囊から幾册かのパンフレットを取り出す)わたくしも、ご希望とあれば、お頒けしてよろしいです。一部三十哥! どなたかご希望の方はありませんか? (間)どなたもございません? ぢや二十哥! (間)いやはや殘念千萬な。左樣、十三番屋敷‥‥全くわたしは何一つ成功しないで、老い込んで老練してしまひました‥‥かうして講演をしてをりますと、見掛けは如何にも愉快さうですが、内心實は、ありつたけの声を出して呶鳴りつけた擧句、どこか世界の果へでも飛んで行きたいやうな氣がするんです‥‥でもお前には娘があるぢやないか、とかう仰つしやるかも知れません‥‥へん娘なんか何でせう? 彼奴らはわたしが何か話をしても、たゞせゝら笑つてるんですからね‥‥妻には娘が七人あります‥‥いや、失禮、どうやら六人らしいです‥‥(勢ひ込んで)七人です!一番頭はアンナと言つて、今年二十七です。一番下は十七になります。諸君!(後ろを振り返る)わたしは不幸な人間で、根つからやくざな馬鹿者になつてしまひましたが、しかし、實のところ、あなた方の前に立つてゐるのは、世間の父親の中でも一等幸福な人間です。實際それはさもあるべきで、わたしもそれ以外に申し上げる言葉がありません。全く皆さんにこの心もちが分つて頂けましたらなあ! わたしは妻と三十三年間一しよに暮しましたが、それはわたしの生涯中もつとも幸福な時代であつたと、かう申し上げることが出來ます。いや、幸福といふ譯でもありませんが、まあ一段にさう言つた風なんです。一口に言へば、この三十三年間は、まるで幸福な一瞬間のやうに流れ去つてしまひましたが、その實くそ食へとでも言ひたいんですよ。(後ろを振り返る)尤も妻はまだ來ないやうです。幸ひあれがこゝにゐないから、何でも好きなことを言つて構ひません‥‥わたしは實に恐ろしいんです‥‥妻が睨みつけると怖くて堪らない。そこでわたしはかう申し上げたいのです、娘達があんなに長く嫁入り出來ないでゐるのは、多分當人達が内氣なせゐだらうと思ひますが、しかし何よりも若い男の目に觸れないのが、一番の原因らしいのです。妻は決して夜會なんかしようとしません。食事にお客を呼ぶことも薩張りないです。何しろ恐ろしく吝嗇(けち)で、怒りつぽくて、やかましい女だもんですから、誰一人うちへ遊びに來る者なんかありやしません。しかし‥‥内緒でお知らせいたしますが、(舞臺端に近寄る)‥‥わたしの妻(さい)の娘は、大祭日の時に叔母さんのナタリヤ・セミョーノヴナの所でご覽になることが出來ます。これは例のレウマチスを病んでゐる婦人で、いつも黃色い著物を著て步いとりますが、その著物は一面に黑いぽつぽつがついてゐて、まるで油蟲でもぶち撒けたやうな風なんです。この叔母さんの家では、ちよいとした料理も出ます。妻がゐない時には、こいつも飮(や)ることが出來ます‥‥(自分の頰を指でぽんと彈く)ちよつとお斷りしておきますが、わたしは杯一ぱいだけで醉つ拂ひます。そしてそのために、何とも言へないほどいゝ心持でもあり、また同時に淋しくて堪らなくもあるのです。なぜか若い時のことが思ひ出されて、なぜか逃げだしたくなるんです。あゝ、それがどんなに切ない心持か、迚もあなた方にはお分りにならんでせうなあ! (夢中になつて)逃げだすんです、何もかもうつちやらかして、後をも見ずに逃げだすんです‥‥どこへ? どこだつて構やしません‥‥たゞこのやくざな、安つぽい、俗な生活から脱れさへすればいゝ、わたしをみじめな、老い耄れの馬鹿者にしてしまつた生活から逃げだすんです。三十三年間わたしをいじめ拔いた、あの低能で淺薄な、意地の惡い、惡い、惡い、慾張婆の妻の傍から逃げだすんです。音樂や、臺所や、妻の臍くりや、さうした一切の俗な下らない事から脱れるんです‥‥そしてどこか遠い野中に立ち止つて、廣い大空の下で木か、柱か、それとも大きな案山子にでもなつて、自分の頭の上に明るい月が靜かに懸かつてゐるのを、一晩中じいつと眺めつくしながら、何もかも忘れたいんです、すつかり忘れたいんです‥‥あゝ、わたしは本當に何一つ覺えてゐたくない! 三十年前、結婚式の時に使つた、この俗な古ぼけた燕尾服を、どんなに自分の體から搔き毟りたいと思つてゐるか、所詮あなた方にやお分りにならんでせう‥‥(燕尾服を引き毟る)わたしはいつもこいつを著て、慈善の目的で講演をやつたもんだが‥‥かうしてくれる! (燕尾服を踏みにじる)かうしてくれる! わたしは老い耄れて、みじめな憐むべき人間だ、丁度背のすり切れた著古したこの胴衣と同じやうに‥‥(背を向けて見せる)わたしはもう何もいりません! わたしはこんなものよりずつと純潔で、ずつと高尚なんです。わたしも曾て以前は若々しくつて、大學で勉強したこともあります。空想したこともあります。自分を人間だと思つたこともあります‥‥しかし今は、もう何も要りません! 休息よりほか‥‥休息よりほかには何も要りません! (脇の方をちらと見て急いで燕尾服を著る)しかし樂屋の方に妻が立つてゐます‥‥今やつて來て、あすこでわたしを待つてゐるんです‥‥(時計を見る)もう時間が來ました‥‥もし妻が訊いたら、どうかお願ひですから、さう言つて下さい‥‥講演は中々面白かつた、そして‥‥案山子、ではない、わたしの態度は堂々たるものであつたとね。(脇を向いて咳拂ひする)妻はこちらを見てゐます…(聲を高めて)只今わたしの申し上げました通り、煙草は恐るべき毒素を含有してをりますので、その點から出發いたしまして、如何なる場合にも喫煙を許すわけにはゆかんといふ、結論に到達するのであります。右の次第でありまして、『煙草の害に就いて』と題するわたしの講演も、何等かの益を世に齎すであらうことを、敢て自負する次第であります。これでわたくしの言はんと欲するところは盡きました。Dixi et animan levavi(言ふべきことを言ひ終つて心濶然たり)
會釋して堂々と退場。
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