夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅵ) 昭和五(一九三〇)年一月
昭和五(一九三〇)年
一月二日 木曜
◇屍体の血はこんな色だと笑ひつゝ
紅茶を匙でかきまはしてみせる
[やぶちゃん注:これは翌昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、
屍體の血は
コンナ色だと笑ひつゝ
紅茶を
匙でかきまはしてみせる
の表記違いの相同歌である。]
一月三日 金曜
◇木枯らしや提灯一つわれ一人
一月四日 土曜
◇死刑囚が眼かくしされて微笑した。
其の時黑い後光がさした。
[やぶちゃん注:同じく昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、
死刑囚が
眼かくしをされて
微笑したその時
黑い後光がさした
の表記違いの相同歌。]
一月四日 土曜
雪よふれ、ストーブの内みつめつゝ
昔の罪を思ふひとゝき
[やぶちゃん注:「獵奇歌」に類似したコンセプトのヤラセっぽいものは複数散見されるが、どうもこの一首は、私には不思議に素直に腑に落ちる。それらの〈ストーブ獵奇歌〉のプロトタイプとは言える。]
一月七日 火曜
◇闇の中に闇があり又暗がある。
その核心に血しほしたゝる。
◇骸骨があれ野を獨りたどり行く
ゆく手の雲に血しほしたゝる
[やぶちゃん注:「血しほしたゝる」は一時期の「獵奇歌」の常套的下句の一部であるが、このような内容のものは見当たらない。一首目は特に大真面目な観念的短歌ともとれなくもない。]
一月八日 水曜
◇投げ込んだ出刃と一所のあの寒さが
殘つてゐるやうトブ溜めの底
[やぶちゃん注:やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、
投げこんだ出刃と一所に
あの寒さが殘つてゐよう
ドブ溜の底
の初期稿。]
一月十日 金曜
◇ストーブがトロトロとなる
ズツト前の罪の思ひ出がトロトロと鳴る
[やぶちゃん注:二箇所の「トロトロ」の後半は底本では踊り字「〱」。六日の原形から派生した〈ストーブ獵奇歌〉の一首。やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の、
ストーブがトロトロと鳴る
忘れてゐた罪の思ひ出が
トロトロと鳴る
の初期稿であろう。]
一月十一日 土曜
◇黑く大きくなる吾が手を見れば
美しく眞白き首摑みしめ度し
一月十三日 月曜
◇赤い日に爍烟を吐かせ
靑い月に血をしたゝらせ狂畫家笑ふ
[やぶちゃん注:「爍烟」音なら「シヤクエン(シャクエン)」で、意味は光り耀く煙り或いは高温で眩しく発火している烟りのことか。孰れにせよ、音数律の破格が多過ぎ、韻律が頗る悪い。]
一月十五日 水曜
◇自殺しやうかどうしやうかと思ひつゝ
タツタ一人で玉を突いてゐる
[やぶちゃん注:この三ヶ月後の昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」の、
自殺しようか
どうしようかと思ひつゝ
タツタ一人で玉を撞いてゐる
の表記違いの相同歌。]
一月十六日 木曜
◇洋皿のカナリヤの繪が眞二つに
割れし口より血しほしたゝる
◇人間が皆良心を無くしつゝ
夜の明けるまで玉を撞いてある
[やぶちゃん注:一首目は昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、
洋皿のカナリアの繪が
眞二つに
割れたとこから
血しほしたゝる
の初稿。後者は前日のそれと同工異曲で同様のステロタイプが散見される〈陳腐獵奇歌〉の一つ。]
一月十八日 土曜
◇すれちがふ白い女がふりかへり
笑ふ唇より血しほしたゝる
[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、
すれ違つた白い女が
ふり返つて笑ふ口から
血しほしたゝる
の初期稿らしい。]
一月二十一日 火曜
◇眞夜中の三時の文字を長針が
通り過ぎつゝ血しほしたゝる
[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、
眞夜中の
三時の文字を
長針が通り過ぎつゝ
血しほしたゝる
の表記違いの相同歌。]
一月二十三日 木曜
◇子供等が相手の瞳に吾が顏を
うつして遊ぶそのおびえ心
◇老人が寫眞にうつれば死ぬといふ
寫眞機のやうに瞳をすゑて
[やぶちゃん注:この二首、なかなかいい。特に後者はその情景の浮かぶ、リアルな一首ではないか。この一首、久作はかなり思いがあったものか、六日後の一月二十九日(水曜)の日記にも全く相同のものを書き込んでいる(この日は日記本文に「獵奇歌」の歌稿を書き直していることが記されてある。但し、この二首は孰れも「獵奇歌」にはとられていない)。こういうことは彼の今までの日記には見られない特異点である。単なる書き込んだことを忘れていたということは私には考えにくいのである。]
一月三十日 木曜
◇夕暮れは人の瞳の並ぶごとし
病院の窓の向ふの軒先
[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の一首、
夕ぐれは
人の瞳の並ぶごとし
病院の窓の
向うの軒先
の表記違いの相同歌。]
一月三十一日 金曜
◇眞夜中の枕元の壁撫でまはし
夢だとわかり又ソツと寢る
[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の、
眞夜中に
枕元の壁を撫でまはし
夢だとわかり
又ソツと寢る
相似歌。]
◇雪の底から抱え出された佛樣が
風にあたると眼をすこしあけた
[やぶちゃん注:同前、
雪の底から抱へ出された
佛樣が
風にあたると
眼をすこし開けた
表記違いの相同歌。]
◇煙突がドンドン煙を吐き出した
あんまり空が淸淨なので
[やぶちゃん注:「ドンドン」の後半は底本では踊り字「〱」。同前の「獵奇歌」中の一首、
煙突が
ドンドン煙を吐き出した
あんまり空が淸淨なので……
の相似歌(リーダ追加と分かち書きに変更)。]
◇二日醉の頭の痛さに圖書館の
美人の裸像を觸つてかへる
◇病人はイヨイヨ駄目と聞いたので
枕元の花の水をかへてやる
[やぶちゃん注:「イヨイヨ」の後半は底本では踊り字「〱」。同前、
病人は
イヨイヨ駄目と聞いたので
枕元の花の
水をかへてやる
の表記違いの相同歌。]
◇水藥を花瓶に棄てゝあざみ笑ふ
肺病の口から血しほしたゝる
[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』の一首、
水藥を
花瓶に棄てゝアザミ笑ふ
肺病の口から
血しほしたゝる
の表記違いの相同歌。決定稿の「アザミ」は花のアザミを連想させてしまうので読みの躓きを起こすが、或いはあの花をそこに恣意的にモンタージュさせる久作の確信犯かも知れぬ。]
◇毒藥は香なし色なく味もなし
たとへば君の笑まぬ唇
◇馬鹿野郎馬鹿野郎又馬鹿野郎と
海にどなつて死なずにかへる
[やぶちゃん注:「馬鹿野郎馬鹿野郎」の後半は底本では踊り字「〱」。]
◇探偵が室を見まはしてニツト笑ふ
その時たれかスヰツチを切る
◇精蟲の中に人間が居るといふ
その人間が笑つてゐるといふ
« ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 飛ぶ島(ラピュタ)(2) 「變てこな人たち」(Ⅱ) | トップページ | 小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(24) 禮拜と淨めの式(Ⅱ) »