柴田宵曲 續妖異博物館 「難病治癒」(その2) /「難病治癒」~了
この話は名醫の異疾治療譚ではあるが、奇譚の中に分類すべきものかどうか疑問である。妖氣などは少しもない。倂し「異疾志」の中の「王布女」になると、同じく鼻の病ひでありながら、明かに奇譚の領域に入つて來る。或は神異譚と云つた方がいゝかも知れぬ。
[やぶちゃん注:「異疾志」唐の段成式の撰の、一応、医学書(として本邦では読まれた)。しかし私の調べた限りでは、「王布女」は同じ段の「酉陽雜俎」の「卷一 天咫」の以下である。「酉陽雜俎」は彼の著作の寄せ集めでもあるから問題はないか。
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永貞年、東市百姓王布、知書、藏鏹千萬、商旅多賓之。有女年十四五、艷麗聰晤、鼻兩孔各垂息肉、如皂莢子、其根如麻線、長寸許、觸之痛入心髓。其父破錢數百萬治之、不差。忽一日、有梵僧乞食、因問布、「知君女有異疾、可一見、吾能止之。」。布被問大喜、卽見其女。僧乃取藥、色正白、吹其鼻中。少頃、摘去之、出少黃水、都無所苦。布賞之白金、梵僧曰、「吾修道之人、不受厚施、唯乞此息肉。」。遂珍重而去、行疾如飛、布亦意其賢聖也。計僧去五六坊、復有一少年、美如冠玉、騎白馬、遂扣門曰、「適有胡僧到無。」。布遽延入、具述胡僧事。其人吁嗟不悅、曰、「馬小踠足、竟後此僧。」。布驚異、詰其故、曰、「上帝失藥神二人、近知藏於君女鼻中。我天人也、奉帝命來取、不意此僧先取之、吾當獲譴矣。」。布方作禮、舉首而失。
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以下の梗概にも出る「皂莢子」(現代仮名遣音「ソウキョウシ」)で「皂莢」は和訓で「さいかち」であるから「皂莢子」は当て訓するなら「さいかちのみ」である(但し、柴田は恐らくは以下の本文では、ただ「さいかち」と読ませるつもりであろうと私は思う)。マメ目マメ科ジャケツイバラ(蛇結茨)亜科サイカチ属サイカチ Gleditsia japonica の種子で、これは生薬として去痰・利尿薬として用い、また、また、サポニンを多く含むことから、古えより洗剤として使われてきた歴史がある。また豆はオハジキとして子供の玩具にも用いられた。]
王布といふのもやはり富豪で、病人は娘ではあるが、年の頃十四五とある。二つの鼻孔に肉が垂れて阜莢子のやうになり、その根が麻紐の如きもの一寸ばかり、これに觸れると痛みが心髓に入るといふのだから、前の病人と似たものであらう。父親は數百萬銀を治療に贊したが、少しも癒えぬ。然るに或日一飯を乞ひに來た僧があつて、お宅のお孃樣が不思議な病氣にかゝつて居らるゝさうなが、わしに見せて下されば、きつと癒して進ぜる、と云ひ出した。閭丘胤を訪れた豐干と同じ申分である。王布は大いによろこんで、早速診察を乞ふ。僧は眞白な藥を取り出して鼻の中に吹き込み、暫くしてから阜莢子の如き鼻孔の肉を簡單に摘出し去つた。中からは黃色の水が少し出たばかりで、何の苦痛も殘らぬ。王布は歡喜に堪へず、百金を以て酬いようとしたが、僧はかぶりを振つて受け取らぬ。自分は道を修める者であるから、左樣な多額の謝禮は受けられない、たゞこの摘出した肉がいただければ、それで十分です、と云つたかと思ふと、飛ぶが如くにどこかへ行つてしまつた。話はこゝで神異譚に近づくのである。
[やぶちゃん注:「閭丘胤を訪れた豐干」閭丘胤(りょきゅういん(現代仮名遣))は唐の玄宗の頃の政治家で「寒山子詩集序」の作者とされる。「豐干」(ぶかん 経歴未詳)は唐の禅僧で天台山国清寺に住し、奇行の多い僧として知られ、虎に乗って寺内を巡ったという。かの寒山拾得は彼らの弟子である(「拾得」の名は彼に拾われたことに由来する)。ここのシークエンスは持病の頭痛に悩まされる丘胤を乞食坊主の豊干が清浄な水一杯で快癒させるエピソードで、まんず、森鷗外の「寒山拾得」を読むに若くはない(リンク先は「青空文庫」版。但し、正字正仮名)鷗外は嫌いだが、この掌篇は、いい。特にエンディングが。]
僧がもう五六里は行つたらうかと思はれる頃、一人の美少年が白馬を飛ばしてやつて來た。只今此方にかういふ僧が來なかつたか、といふのである。王布が慌てて内に招じ、僧の事を說明したところ、甚だ悅ばぬ顏色で幾度か嗟嘆し、この馬が蹶いたばかりに、たうとうあの坊主におくれてしまつた、と云ふ。王布にはさつぱりわけがわからぬので、その理由を尋ねたら、上帝が失はれた樂神がそなたの娘の鼻の中に隱れてゐることを近頃知つた、自分は天人で、上帝の命を奉じて取りに來たのだが、あの坊主に先取りされようとは息はなかつた、上帝からどのやうなお叱りを受けるかわからぬ、といふのであつた。王布が叩頭して陳謝の意を表し、首を擧げた時はもう誰もゐなかつた。
[やぶちゃん注:「蹶いた」「つまづいた」であるが、私は「けつまづいた」と訓じたい。]
上帝の失つた藥神とは何者か、それがどうして王布の女の鼻に隱れたか、さういふ事は原本に書いてないのだから一切わからない。卽座に難病を治療して、樂神を拉し去つた坊主なる者も、何か曰くがありさうだが、その邊もすべて不明である。畢竟「集異記」の話は難病治癒譚に了つたのた、「異疾志」の方は治療したあとに大きな問題が殘つてゐる。この話の神異性は擧げて消息不明の點に在ると云はなければならぬ。
永平年間に司勳張員外なる者があつた。早くより名をあらはし、言論の雄であつたので、同輩には畏憚されて居つたが、その割りに出世は出來なかつた。この人平生あまり舌を揮ひ過ぎた爲か、七十歲になつてから舌腫の病ひにかゝつた。その大なること斗の如しといふのは、支那一流の誇張であらうが、とにかく口の外にはみ出したといふのだから、その大きさは想像に難くない。病ひ甚だ篤く、命旦夕に迫つたので、子弟は額を鳩(あつ)めて評議したけれど、この病ひは古法に錄されて居らず、人の知識の外に在る。特別な術を心得た人を探して治療を乞ふ外はないといふところから、子弟はいろいろな形に變裝し、佛寺道觀等に行つて諸人に病狀を語り、未見の識者に遭遇しようとした。たまたま一人の老僧より、それは業報といふものである。員外を何かに載せて町中の最も人の多い場所へ行き、現狀を示して博く衆智に訴へたら、療法を心得た者がないとも限るまい、と云はれ、直ちにこの方法を執るに一決した。狄梁公の一針を受けた富家の子と同一手段である。司勳を輿に載せて市中に出た時、白髮皓眉(かうび)にして童顏の老叟がこれを見て、自分はこの療法を心得てゐると云つた。子弟等三拜九拜して、何卒よろしくお願ひ申します、と歎願すると、叟は洒然としてこんな事を云つた。わしは宜平門外にある一小宅を欲しいと思ふが、財貨に乏しくて買ふことが出來ぬ、諸君の力であれを買つて貰へまいか、持ち主も久しく賣りたがつてゐる家だから、さう高い事はない、新宅に必要な諸道具を備へ付けても、三十萬ぐらゐあれば足りるだらう、といふのである。子弟は卽座に宜平門外の家を探して買ひ入れる。叟の妻は黑絹を以て頭をつゝみ、紅絹を以て腰を束ね、少しも粉黛を施して居らぬが、光彩人を照らすが如く、年頃十八九ぐらゐにしか見えない。夫妻は新宅に赴いて翌朝司勳の來るのを待つ。諸道具の飾り付けも悉く整つたので、叟もよろこんでゐるうちに、明方近く司勳はこゝに運ばれて來た。叟は妻をして薪を燃し、鹽酪の用意をさせ、子弟等に向つて、あなた方は少し離れて見てゐて貰ひたい、心配して騷がれては困る、と云つた。それから司勳の舌を檢するに、肉腫が舌の根に懸つてゐる。直ちに金刀を以てこれを斷ち、紅い囊から粉藥を出して振りかけた。「その舌重きこと五六斤、叟その妻をして臠(きりて肉を炙(あぶ)らしめ、これを膏滴中に灼かしむ」とあるから、タン料理を連想すればよからう。肉の燒けるに從ひ、香ばしい匂ひが室内に滿ち渡る。その匂ひが司勳の鼻にしみ入つた時、彼ははじめて目を開き、唾を呑み込んだ。老里夫妻は透かさず肉の燒けたのを食べろと云ふ。空腹の彼は立ちどころに全部平げてしまつた。子弟等狂喜して狀を問へば、ここへ連れて來られたことはおぼえてゐるが、その後の事は何もわからぬ、氣が付いた途端にいい匂ひがしたので、急に何か食べたくなつたら、もう今までの苦痛は去つてゐた、と云ひ、今度は餠が食べたいなどと云ふ。病ひは全く癒えたのである。もうこれでよろしい、諸君は司勳に侍してお宅へお歸りなさい、と叟が云ふ。司勳は叟の恩を感謝して、永久に忘れませんと繰り返し禮を述べたが、叟はたゞ、自分の志はこの病ひを治するに在つた、幸ひに平生の願ひを果し得たのだから、何も云ふことはない、と云つたきりであつた。翌朝金帛奴馬の類を叟に獻ずるつもりで皆が來た時は、小宅の門は悉く鎖され、諸道具はそのまゝに置かれてありながら、老叟夫妻の姿はそこに見えなかつた。子弟等歸つてこの事を司勳に告げたところ、擧家號泣して香を焚き、神仙の來つて病ひを治したものと悟つた。「識者曰く、司勳の疾ひは詞多きの咎たらざるを得んや、而もこの疾ひはこれを後の人に誡むるものなり、豈に愼まざらんや」といふのは、この話を傳へた「搜神記」の著者の評語と見るべきであらう。
[やぶちゃん注:「洒然」(しやぜん)は、あっさりしていて物事に拘らないさまを言う。
「鹽酪」調味用の塩と、牛馬などの乳を発酵させて作った酸味のある飲み物と解しておく。
「奴馬」「どば」であるが、この「奴」は「日常の乗用や使役に用いるもの」の謂いであろう。
それにしても、この話、所持する「搜神記」の中には見出せない。個人ブログ「志怪を気まぐれに紹介するブログ」の「舌病の話」に、まさにこの話の現代語訳が載る(最後の評はない)が、そこには出典を「異疾志」とする。不審。識者の御教授を乞う。]
「瘡取り」の話は誰も知つた通りの筋であるが、この原話は「宇治拾遺物語」に「鬼にこぶとらるゝ事」として出てゐる。話の主人公である翁の右の頰の瘡は、禪珍内供の鼻に近いものであらう。從つて難病治癒譚に直接關係はないけれど、「打出の小槌」の條に引いた新羅の話と一轉相通ずるところがある。あの話の中で金錐を得て幸福を打ち出したのは兄の方で、それを學んで出かけた弟は、嘗て金錐を盜んだ者と見られて鬼の捕虜になる。汝は我が爲に糠三版を築かんと欲するか、汝の鼻の長さ一丈ならんを欲するか、と鬼のいふうちの糠三版は塘三版だともあるが、いづれにしてもはつきりわからない。弟はその業をなし遂げることが出來ず、象のやうな鼻を付けられて歸つて來た。こゝのところは瘡を取つて貰ふつもりで瘤二つになつた翁にちょつと似てゐる。象のやうな鼻は禪珍内供以上であるが、鼻長譚の中に加へて置いてもよからう。
[やぶちゃん注:「宇治拾遺物語」「鬼にこぶとらるゝ事」同書の第三話「鬼ニ瘤被取事」である。以下に示す。
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これも今はむかし、右の顏に大なるこぶある翁(おきな)ありけり。大柑子(だいかうじ)の程なり。人に交るに及ばねば[やぶちゃん注:恥ずかしくて人と親しく付き合うことが出来ないでいたので。]、薪をとりて世を過ぐる程に、山へ行きぬ。雨風はしたなくて、歸るにことよはりて、山の中に、心にもあらず泊まりぬ。又[やぶちゃん注:他に。]、木こりもなかりけり。恐ろしさ、すべきかたなし。
木のうつほのありけるに、這ひ入りて、目もあはず[やぶちゃん注:恐ろしさに目を閉じることも出来ず。]、屈(かが)まりて居(ゐ)たるほどに、はるかより人の音、多くして、とどめき來(きた)る音す。いかにも、山の中に、ただ一人(ひとり)ゐたるに、人のけはひのしければ、少し生き出づる心ちして、見出だしければ、おほかた、やうやう、さまざまなるものども、赤き色には靑き物を着(き)、黑き色には赤き物を褌(たふさぎ)にかき、おほかた、目一つある者あり、口なき者など、おほかた、いかにも言ふべきにもあらぬ者ども、百人ばかり、ひしめき集まりて、火を天の目のごとくに燈して、わが居たるうつほ木の前に居囘りぬ。おほかた、いとどもの思えず。
むねとあると見ゆる鬼、橫座に居たり。うらうへに二竝びに居なみたる鬼、數を知らず。その姿、おのおの言ひ盡しがたし。酒參らせ、遊ぶありさま、この世の人のする定(ぢやう)なり。たびたび土器(かはらけ)始まりて、むねとの鬼、ことのほかに醉(ゑ)ひたるさまなり。末(すゑ)より若き鬼、一人立ちて、折敷(をしき)をかざして、何と言ふにか、口說きくせせることを言ひて、橫座の鬼の前にねり出でて、口說くめり。橫座の鬼、盃を左の手に持ちて、笑みこだれたるさま、ただこの世の人のごとし。舞ひて入りぬ。次第に下より舞ふ。惡しく、良く舞ふもあり。
『あさまし。』
と見るほどに、この橫座に居たる鬼の言ふやう、
「今宵の御遊びこそ、いつにもすぐれたれ。ただし、さもめづらしからん奏でを見ばや。」
など言ふに、この翁、物の付きたりけるにや、また、しかるべく神佛の思はせ給ひけるにや、
『あはれ、走り出でて舞はばや。』
と思ふを、一度(いちど)は思返しつ。それに、何となく、鬼どもが打ち上げたる拍子の、良げに聞こえければ、
『さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん。死なば、さてありなん。』
と思ひ取りて、木のうつほより、烏帽子は鼻に垂れかけたる翁の、腰に斧(よき)といふ木切る物差して、橫座の鬼の居たる前に踊り出でたり。
この鬼ども、踊り上りて、
「こは、何(なに)ぞ。」
と騷ぎあへり。
翁、伸び上り、屈まりて、舞ふべきかぎり、すじりもじり、えい聲を出だして、一庭を走り囘り舞ふ。
橫座の鬼より始めて、集り居たる鬼ども、あさみ、興ず。
橫座の鬼のいはく、
「多くの年ごろ、この遊びをしつれども、いまだかかるものにこそ會はざりつれ。今よりこの翁、かやうの御遊びに必ず參れ」と言ふ。翁、申すやう、「沙汰に及び候はず。參り候ふべし。このたびは俄(にはか)にて、納めの手も忘れ候ひにたり。かやうに御覽にかなひ候はば、靜かにつかうまつり候はん」と言ふ。橫座の鬼、「いみじく申したり。必ず參るべきなり」と言ふ。
奧の座の三番に居たる鬼、
「この翁は、かくは申し候へども、參らぬことも候はむずらんと思え候ふに、質をや、取らるべく候ふらむ。」
と言ふ。
橫座の鬼、
「しかるべし、しかるべし。」
と言ひて、
「何をかとるべき。」
と、おのおの言ひ沙汰するに、橫座の鬼の言ふやう、
「かの翁がつらにある、瘤をや取るべき。瘤は福の物なれば、それをぞ、惜しみ思ふらむ。」
と言ふに、翁が言ふやう、
「ただ、目鼻をば召すとも、この瘤は、許し給ひ候はむ。年ごろ、持ちて候ふ物を、ゆゑなく召されむ、ずちなきことに候ひなん。」
と言へば、橫座の鬼、
「かう惜しみ申す物なり。ただ、それを取るべし。」
と言へば、鬼、寄りて、
「さは、取るぞ。」
とて、ねじて引くに、おほかた、痛きことなし。
さて、
「必ず、このたびの御遊びに參るべし。」
とて、曉に。鳥など鳴きぬれば、鬼ども、歸りぬ。
翁、顏を探るに、年ごろありし瘤、蹟形(あとかた)もなく、かいのごひたるやうに、つやつやなかりければ、木こらんことも忘れて、家に歸りぬ。
妻の姥(うば)、
「こは、いかなりつることぞ。」
と問へば、
「しかじか。」
と語る。
「あさましきことかな。」
と言ふ。
隣にある翁、左の顏に大なる瘤ありけるが、この翁、瘤の失せたるを見て
「こは、いかにして、瘤は失せさせ給ひたるぞ。いづこなる醫師(くすし)の取り申したるぞ。われに傳へ給へ。この瘤、取らん。」
と言ひければ、
「これは、醫師の取りたるにもあらず。しかじかのことありて、鬼の取りたるなり。」
と言ひければ、
「われ、その定(ぢやう)にして、取らん。」
とて、事の次第を細かに問ひければ、敎へつ。
この翁、言ふままにして、その木のうつほに入りて、待ちければ、まことに聞くやうにして、鬼ども、出で來たり。
居囘りて、酒、飮み、遊びて、
「いづら、翁は參りたるか。」
と言ひければ、この翁、
『恐し。』
と思ひながら、ゆるぎ出でたれば、鬼ども、
「ここに、翁、參りて候ふ。」
と申せば、橫座の鬼、
「こち、參れ。とく、舞へ。」
と言へば、前(さき)の翁よりは、天骨(てんこつ)もなく、おろおろ、奏でたりければ、橫座の鬼、
「このたびは、惡(わろ)く舞ひたり。かへすがへす、惡し。その取りたりし質(しち)の瘤、返し賜(た)べ。」
と言ひければ、末つ方より、鬼、出で來て、
「質の瘤、返し賜ぶぞ。」
とて、いま片々(かたがた)の顏に投げ付けたりければ、うらうへ[やぶちゃん注:頰の左右両方に。]に、瘤、付きたる翁にこそ、なりたりけれ。
ものうらやみは、すまじきことなりとぞ。