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2017/05/31

「想山著聞奇集 卷の四」 「信州にて、くだと云怪獸を刺殺たる事」

 

 信州にて、くだと云(いふ)怪獸を刺殺(さしころし)たる事

 

 信州伊奈郡松島宿の北村と原村の間に【中山道下諏訪より五里計(ばかり)南、高遠よりは二里計北西へふれたる所と也。】より僅(わづか)五六軒の家あり。此所(このところ)に小右衞門と云百姓の妹、廿六七に成(なる)女、享和年中の事と覺えし由、夜分寢てのち、聲をかぎりにヒイヽと云て泣出(なきいだ)してやみかね、難儀の旨にて縣(あがた)道玄に療養の事を賴みたり。其頃は、道玄至て若き節(をり)にて右近隣、松島と云所に遊歷なし居(ゐ)て、何心(なにごゝろ)なく彼(かの)家に行(ゆき)て見るに、如何にも大(おほひ)なる家なれども、零落の樣子にて、廿疊敷ばかりの座敷もあれど、疊も上げて、其所(そのところ)へは、久々、人も立(たち)さはらざる樣子に見え、荒果(あれはて)たる有樣にて、隨分、妖物(ようぶつ)の住家(すみか)ともなすべき古家(ふるいへ)なり。夜に入(いり)て、手水場(てうづば)は何(いづ)れぞと子供に尋(たづぬ)るに、彼(かの)疊の上げてある古座敷の椽側を傳ひて、向(むかふ)の方(かた)に有(あり)と教へしまゝ、燈火(ともしび)を持(もち)て彼椽を傳ひ、曲りくて古き便所の口の所へ行懸(ゆきかゝ)ると、額(ひたひ)の左(ひだ)りの所、ひやりとせし故、合鮎(がてん)行ず、※(のり)にても付たる樣につめたき故[やぶちゃん字注:「※」=(上)「殷」+(下)「皿」。「つめたき」という表現からは「糊(のり)」のようだが、後のシークエンスからは「血糊」の謂いである。]、手にて顏を拭(ぬぐ)ひ見るに、何事もなく、又、行(ゆか)ふと思ふと、ひやりとはせしかども、素(もと)より目にさへぎるものもなく、何事もなし。依(よつ)て小便をして、再びその所を通ると、又、ひやりとせしかども、元來、道玄は、か樣の事には驚(おどろか)ぬ豪傑故、外(ほか)に何事もなければ、其儘に座に復して、有(あり)し次第を云て、不思議成(なる)事也と尋るに、あの便所へは、祖父の代に參りたるまゝにて、親の代よりも一切參らざる所なれば、妖物にても居(ゐ)申べきかと云たり。其夜は、妹も泣(なか)ざるまゝ、又、明晩參るべしと約して歸りて後も、道玄は不審晴兼(はれかね)、暮(くるゝ)を遲しと、又、彼(かの)家へ行。程なく、夜前の如く燈火を付(つけ)て、左りの手に持、右の手には、兼て薄き紙を黑く塗(ぬり)て脇差の身に張付(はりつけ)、白刄(はくじん)を隱し置たるを、そつと拔持(ぬきもち)、柄(つか)を左りの腰骨の所に當(あて)、切先(きつさき)を上になし、左りの肩先の所に當て、左りの袖にて見えぬ樣に、何(なに)と無(なく)能(よく)隱して、かの所へ至ると前夜の如く、左りの額、ひやりとすると等敷(ひとしく)、力に任(まかせ)て骨も通れと突上(つきあぐ)ると、すさまじく手答(てごたへ)して、だらだらだらと※(のり)、額へ流れ懸りて、怪物はにげ失(うせ)たり。よつて勝手へ歸り、能々見るに、額より肩へ懸(かけ)て、夥しく血懸(かゝ)りたり。よく拭ひて後、再び明りを照して、かの邊(へん)を尋るに、血は流れあれども、何もなければ、夫(それ)なりに臥(ふし)たるに、彼(かの)妹は、其夜も泣もせず。依て翌朝は緩々(ゆるゆる)起出(おきいで)て朝飯(あさはん)をたべて居たるに、かの便所の方の隣家(りんか)にて、彼是、人聲(ごゑ)の喧(かまびす)しく聞ゆるを聞(きけ)ば、變なる獸(けもの)の深手にて死(しん)で居(ゐ)ると云故、行て見るに、右便所の直向(ぢきむかふ)の所、隣家の地面に、芋(いも)を圍(かこ)ふ室(むろ)の高く築上(つきあ)げたる上の方へ、便所より飛行(とびゆき)たるなりに、其大(おほき)さ、大猫(おほねこ)程有て、顏は全く猫のことく、體(からだ)は獺(かはうそ)に似て、毛色は惣躰(さうたい)、灰鼠(はいべづみ)にて、尾は甚だ太く大ひにして、栗鼠(りす)のごとくなる怪獸、左りの下腹(したはら)の所より、右の脇腹(わきばら)の所迄、斜(なゝめ)に突通(つきとほ)されて死に居(ゐ)たり。此異獸は、誰人(たれびと)も見知(みしり)たる者はなけれども、信州の方言に、管(くだ)と云(いふ)獸(けもの)なりと、人々究(きはめ)たりと也。此管と云ものは、甚(はなはだ)の妖獸なり。一切(いつせつ)、形は人に見せずして、くだ付(つき)の家とて、代々、其家の人に付纏(つきまと)ひ居(ゐる)事にて、此家筋の者は、兼て人も知居(しりゐ)て、婚姻などには、殊の外きらふ事と也。其くだと云は、餘國にて云(いふ)管狐(くだぎつね)の事にやと問へば、彼所(かのところ)にては、くだ狐とは云ず、くだと計(ばかり)云事のよし。然れども、尾の太き所は、全く狐の種類にや。三州・遠州などにて管狐と云(いふ)は至(いたつ)て少(ちいさ)く、管(くだ)の中(なか)へ入(い)る故に名付たる狐とはいへども、實(じつ)は其形ち、鼠程有(ある)狐にて、慥(たしか)に見たりと云者、三州荒井に有て、能々聞置たることもあれども、此類の種類も、いくらも有事と見えたるゆゑ、管に入のも有にや。しかし、其管狐と云ものとは全く別種のものと見えたり。何にもせよ、この妖獸は彼地(かのち)にても、誰(たれ)人も見ざるものにて珍敷(めづらしく)、評判高くなりて、高遠の城下よりも、人々見に來りて、彼婦人の泣(なく)事は、此ものゝなす業(わざ)と見えて、其後は止(やみ)たりと。此事は、右、縣(あがた)より直(ぢき)に聞たる咄にて、餘り珍敷事故、右同氏に其形ちを圖(づ)しもらひて、後證(かうしやう)となせり。道玄は、萬藝(ばんげい)とも、人に長じたる内に、武藝もすぐれたる人なり。

 

Kuda

 

[やぶちゃん注:以下、図の上部のキャプション。]

 

大(おほき)さ、大ひ成猫程ありて、顏は全く猫にして、尾は甚だ大ひなり、先(まづ)、狐の尾にて、惣身、獺(かはうそ)のやうにて、見馴(みなれ)ざる故か、小獸ながら、甚だ(はなはだ)變怪成(なる)ものとなり

 

[やぶちゃん注:「くだ」本邦の古くからの憑き物の一種である妖獣管狐(くだぎつね)のこと。ウィキの「管狐」より引く。『長野県をはじめとする中部地方に伝わっており、東海地方、関東地方南部、東北地方などの一部にも伝承がある』。『関東では千葉県や神奈川県を除いて管狐の伝承は無いが、これは関東がオサキ』(オサキギツネとも称する狐の憑き物の一種。漢字表記は「尾先」「尾裂」「御先狐」など。主に関東地方(埼玉県・東京都奥多摩地方・群馬県・栃木県・茨城県・長野県等)の一部の山村に伝わる妖獣で、元は那須野で滅んだ九尾狐由来とするものが多い。狐同様に人にも憑くが、家や特定の家系に憑くと信ぜられ、そうした家を「オサキモチ」「オサキヅカヒ(使い)」などと呼ぶ。ここは主にウィキの「オサキ」に拠った)『の勢力圏だからといわれる』。『名前の通りに竹筒の中に入ってしまうほどの大きさ』、『またはマッチ箱くらいの大きさで』七十五『匹に増える動物などと、様々な伝承がある』。『別名、飯綱(いづな)、飯縄権現とも言い、新潟、中部地方、東北地方の霊能者や信州の飯綱使い(いづなつかい)などが持っていて、通力を具え、占術などに使用される。飯綱使いは、飯綱を操作して、予言など善なる宗教活動を行うのと同時に、依頼者の憎むべき人間に飯綱を飛ばして憑け、病気にさせるなどの悪なる活動をすると信じられている』。『狐憑きの一種として語られることもあり、地方によって管狐を有するとされる家は「くだもち」「クダ屋』」「クダ使い」「くだしょう」と『呼ばれて忌み嫌われた。管狐は個人ではなく家に憑くものとの伝承が多いが、オサキなどは家の主人が意図しなくても勝手に行動するのに対し、管狐の場合は主人の「使う」という意図のもとに管狐が行動することが特徴と考えられている』。『管狐は主人の意思に応じて他家から品物を調達するため、管狐を飼う家は次第に裕福になるといわれるが』、『初めのうちは家が裕福になるものの、管狐は』七十五『匹にも増えるので、やがては食いつぶされて家が衰えるともいわれている』とある。小泉八雲(当時はまだラフカディオ・ハーン)も『落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (七)』の中でこの七十五匹云々を狐持ちの家の話として強い興味を持って記しているので是非、読まれたい(リンク先は私の電子化注)。なお、「管狐」の実在モデル(及び本章の挿絵のそれはどう見ても)は所謂、「鼬(いたち)」、哺乳綱ネコ目イヌ亜目イタチ科イタチ属ニホンイタチ Mustela itatsi 或いは同イタチ属イイズナ Mustela nivalis である

「信州伊奈郡松島宿の北村と原村の間」現在の愛知県足助から長野県飯田・伊那のある伊奈盆地(伊那谷)を通って長野県中部の塩尻に到達する三州街道中の松島宿は現在の諏訪湖の西南の長野県箕輪町(みのわまち)に相当する。ここ(グーグル・マップ・データ)。「北村」「原村」に相当するような地名は見出し得ない。この箕輪町ということでご勘弁を。

「享和」一八〇一年~一八〇四年。

「ヒイヽ」表記のように原典では「引」の字が右に有意に小さく記されている(こうした例は今まで述べていないが、想山が自分を「予」と書く場合にもそうである)。これは恐らくオノマトペイアの音を引くことの記号と私は読む。即ち、ここは「ヒイイイイイイーー!!」なのである。

「縣(あがた)道玄」不詳であるが、本巻で先行する「大(おほ)ひ成(なる)蛇の尾を截(きり)て祟られたる事 幷、強勇を以、右祟を鎭(しづめ)たる事」を伝えた医師として既に登場しており、想山の大事な情報屋であったことが知れる。]

 

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