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2017/05/31

「想山著聞奇集 卷の四」 「雁の首に金を懸て逃行たる事 幷、愚民の質直、褒美に預りたる事」

 

 雁(がん)の首に金(かね)を懸(かけ)て逃行(にげゆき)たる事

  幷、愚民の質直(じつちよく)、褒美に預りたる事

 

Karinosaihu

 

 文化八年【辛未】[やぶちゃん注:一八一一年。]の冬の事と覺えし由。勢州神戸(かんべ)宿[やぶちゃん注:東海道から伊勢神宮に向かう伊勢街道の宿場町。現在の三重県鈴鹿市神戸(かんべ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。]の東の隣村に、【村名は能(よく)聞置(きゝおき)たれども忘れたりと。】久兵衞と云ふ老農有て、段々困窮に及び、纔(わづか)八兩程の年貢の金に差詰りて、名主より日々嚴敷(きびしく)催促を受(うく)れども、金子の才覺、少しも出來かね、如何(いかゞ)ともせん方なく、當惑して居(ゐ)たるを、十六歳に成(なる)娘の見かねて、いつまで待(まち)ても金子の出來るべき術(てだて)もなければ、何とぞ、われを勤(つとめ)奉公に身をうりて、年貢金を納め給へと追々進むるに、初は不便成(ふびんなる)事なりとて、兩親も納得なし兼たれども、年貢金の事なれば、名主の催促もきびしければ、是非なく、娘に勤をさせん事に成(なり)、同國一身田[やぶちゃん注:現在の三重県津市一身田町。ここ(グーグル・マップ・データ)。以下の高田専修寺との関連からもここしかない。神戸からも坤(ひつじさる)の方向にある。但し、その間は十三キロメートルはあり、以下の二里とは合わないのが不審である。]【二里程(ひつじさる)の方、高田專修寺の有所なり。】の旅籠屋四日市屋市郎兵衞といふものゝ方へ、娘を同道なして、三ヶ年金六兩二分に賣渡し、【飯盛女と唱(となへ)る賣色なり】金子を請取(うけとり)て財布へいれ、懷中なし、彼是(かれこれ)引合(ひきあひ)[やぶちゃん注:人身売買の契約取引のこと。]に手間も取(とり)たれば姥(ばゞ)も待居(まちゐ)るべしと、急ぎて歸りけるに、右一身田の直(すぐ)東のかた、中野村[やぶちゃん注:現在の一身田の南、海に近い側に津市一身田中野がある。ここの一帯であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。]の地内を通り越(こゆ)るとき、菜畑(なばた)に、そめ繩(なは)[やぶちゃん注:後の「そめ竹」とともに染めた鳥除け・鳥威しの類いであろうか。]の張(はり)ある内へ、雁の數羽下り居て、久兵衞の間近く來るを見て、立上(たちあが)り逃行(にげゆく)とて、如何成(いかなる)拍子にや、一羽の雁(がん)、その繩に足を引(ひき)からみて、逆さまと成(なり)、ばたばたとして居(ゐ)る故、見遁(みのが)しかねて、あたりを見𢌞せば、近邊(きんへん)に人もなきまゝ、畠(はたけ)へ入(いり)て、その竹を引ぬき、件(くだん)の雁を手捕(てどり)となし、〆殺(しめころさ)んとすれども、死(しに)かね、其内に、跡より人の來(きた)るまゝ、咎められじと思ひ、むりに雁を懷(ふところ)へおし入(いれ)、かの財布の紐をもつて、無性に首を縊(くく)りあげ、足早に道を急ぐに、折節、草鞋(わらぢ)の紐解(とけ)て、足に纏ひて步み兼(かね)る故、とく結びて急ぎ逃行(にげゆく)べしと、腰をかゞめて、草鞋の紐を結び居(ゐ)る内も、雁(がん)はばたばたとあがき居(ゐ)て、かの財布を首に懸(かけ)たるなりに、懷よりのたり[やぶちゃん注:のたくって。]出(いで)たり。急ぎ取押(とりおさ)ゆべしと思ふ間もなく、雁は懷を出(いづ)ると直(ぢき)に、羽をのして、ずつと立行懸(たちゆきかか)りたる故、思はず畑(はた)へ飛込(とびこみ)て、長きそめ竹を引拔(ひきぬき)て、漸(やつ)と一ッ打(うち)たれども、僅(わづか)に尾先をかすりて打たれば、其内に、雁は遙(はるか)の空へ飛上り、唯(ただ)一(ひと)のしに、艮(うしとら)[やぶちゃん注:東北。]のかたをさして飛行(とびゆき)たり。如何(いかゞ)とも、手に汗を握りても仕かたなけれども、白子(しろこ)[やぶちゃん注:現在の三重県鈴鹿市白子町(しろこちょう)附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。]と津との間、根上り[やぶちゃん注:不詳。孰れにせよ、一身田(現在の津よりも北)と先の白子町の閉区間の中間点辺り、伊勢鉄道線の「伊勢上野駅」附近か。ここ(グーグル・マップ・データ)。]と云邊(へん)迄、思はず雁の跡をしたひて追行(おひゆき)たれども、雁は忽ち、右、根上りのわきのかたにある小山の松林をはるか向(むかふ)へ越行(こへゆき)て、其内には、形ちも見えぬ樣に成果(なりはて)たり。久兵衞は良(やゝ)暫く地に倒れ、大聲を出して男泣(をとこかき)に泣悲(なきかなし)めども、如何(いかゞ)とも仕方なく、唯、此儘に此所(このところ)にて死ぬべくも思へども、姥や娘は、此譯(わけ)は辨(わきま)ふべからず、されば、一先(ひとまづ)、宿へ歸り、此事を咄して、兎も角もなすべしと、心を取直(とりなを)し、漸(やうやう)と夜(よ)の五ッ[やぶちゃん注:午後八時前後。]前にわが村迄歸り來(きた)ると、姥は待兼(まちかね)て、村はづれまで迎(むかひ)にいで居(ゐ)て、首尾は如何(いかゞ)にて有しぞ、思ふ程の金と成(なり)たるやと尋らるゝにも、消入(きえいり)たき心地して、宿へ歸りて後、隱すべき樣もなく、段々の譯合(わけあひ)を語りてきかすると、姥もわつと泣出(なきいだ)し、年來(ねんらい)、鳥殺生(とりせつしやう)などなし給ふ故、自然と其樣なる事の出來(でき)しも天罰なるべしと悔めども、仕方もなく、又々、共に悲みて、茫然と打しほれて、泣より外の事もなく、哀れ至極の事ども也。爰(こゝ)に、同所より二里計(ばかり)も北の方(かた)、四日市宿の漁人(ぎよじん)何某、其翌朝に當りて、未明に起出(おきいで)、例のごとく、濱邊をさして漁(すなど)りに出かけ行けるに、此濱邊には鴈鴨(がんかも)多くむれ居(ゐ)、石を打て、よき所にあたれば、をりふしは手捕(てどり)となす事も有故、兼て道にて、袂(たもと)に石を三ッ四ッづゝ拾ひ入れて行(ゆく)事なるが、此朝も、土手の傍(かたはら)に、鴈(がん)五羽あさり居(ゐ)たるまゝ、例のごとく石を打(うつ)に、當らずして、鴈は驚きて立行(たちゆく)を、又、續けて一ッ打(うて)どもあたらず、然るに、右(みぎ)鴈の内、一羽立得(たちえ)ずして殘り居(ゐ)る故、如何成(いかなる)事かと不審に思ひながら、土手の後ろへ𢌞りて、急にかの鴈を追(おふ)に、速(すみやか)に立得ずして、傍の小溝(こみぞ)の中(なか)へ追込(おひこみ)、遂に手捕と爲(な)して〆殺(しめころ)してみれば、こは如何(いか)に、首に何か纏ひたるものあり。よくみれば財布也。中(うち)をみるに、金六兩二分有しまゝ、大(おほひ)に悦び、其日(そのひ)は漁(すなど)りを止(やめ)にして、急ぎ内へ持歸り、事の樣(やう)を具(つぶさ)に女房に咄して、此金は全く天より授(さづか)りたる金也迚(とて)、悦ぶ事限りなし。其時、女房の云(いふ)には、去(さり)ながら、其金は故(ゆゑ)こそ有らめ、何人(なにびと)か首に付置(つけおき)たるものなるべし、篤(とく)と見給へとて、財布を取て、金を改めて能々(よくよく)見るに、中(なか)に書付あり、四日市屋市郎兵衞の女を買取(かひとり)たる書付也。此書付ある上は、金主(かねぬし)は分るべきまゝ、急ぎ吟味して返し給へと勸むれども、天より我等に與(あたは)りたる金なれば、取置(とりおく)こそ宜(よろ)しけれとて、初(はじめ)は亭主も納得せざりしが、子を賣(うる)と云(いふ)事は、能々難儀の事也、決(けつし)て取置(とりおく)金に非らずと、段々女房の諫(いさむ)るにまかせ、左(さ)すれば、吟味して返すべしと聞探(きゝさぐ)り見るに、四日市屋市郎兵衞と云(いふ)は、一身田也(なり)と直(ぢき)に分りたるまゝ、金を失ひし方(かた)にては、嘸々(さぞさぞ)心づかひをなし居(ゐ)申(まうす)べきまゝ、今より直(ぢき)に尋行(たづねゆき)給へとて、女房はまめやかに辨當を拵へ、夫(をつと)を出(いだ)し遣したり。それより、かの漁夫は、市郎兵衞方へ尋行て、賣主も明らかにしれたる故、直(すぐ)に久兵衞方へ尋行て見るに、表をば戸ざして、内に老夫婦、歎きに沈み居(ゐ)たる樣子也。依(よつ)て鴈(がん)の首に金を付置(つけおか)れずやと尋(たづぬ)るに、か樣か樣の次第にて、其鴈を取逃(とりにが)せしと云(いふ)ゆゑ、其鴈は、我等が手捕と成(なり)たるに、首に財布をからみ居(ゐ)て、金子あり、四日市屋市郎兵衞の書付もある故、一身田まで尋行、又、此所まで、態々(わざわざ)尋來りたり、金子を受とり給へよと、財布を出(いだ)しければ、老人夫婦は、誠に思ひよらぬ事なれば、膽(きも)を潰すのみにて、しばし言葉もなし。扨ては左樣なる事に候や。御深切の段、言語(ごんご)に盡し兼(かね)、有難き事也。元、此金は、我等が金ながら、鴈の首に付置て鴈に取(とら)れ、其鴈を捕(とり)給へば、そなたの金なり。然れども、我等もよぎなき入用(いりよう)の金にて、既にきのふより死すべくも思ひ居(ゐ)たる程の儀(ぎ)、且(かつ)は遙々(はるばる)御深切にて持來り給りし事故、半分は戴き申べしとて、半分取て、跡は漁夫へ返しけれは[やぶちゃん注:「は」は底本・原典ともにママ。]、是も中々請(うけ)とらず。鴈といへども、元そなたの一度捕(とり)給ひたるのなれば、そなたのものなれども、我等が捕たる事なれば、もらひ置(おく)べし、金はそなたの金なれば、我等がもらふ筈(はず)なしとて辭退なし、互にとらじと色々爭ひて、遂に、骨折代として、かの漁夫は二朱の金を申請(まうしうけ)、歸り行て事濟(ことすみ)たりと。此事、遂に、領主へ聞え、漁夫は、深切に尋行て返し來りたる事を感じられて、靑差(あをざし)[やぶちゃん注:銭(ぜに)の穴に紺染め(古来はこの色を「青」と称した)の細い麻繩の「緡(さし)」を通して銭を結び連ねたもの。一般には一文銭を二百文を一緡とした。]五貫文[やぶちゃん注:標準では「一貫文」は一文銭一千枚。江戸後期だと、現在の一万円ほどか。]・米五俵を褒美として下し給(たまは)り、又、久兵衞は、留場(とめば)[やぶちゃん注:天領及び社寺仏閣の領域であったり、藩自体が規定するなどして、公的に殺生を禁じていた場所を指す。]にて竊(ひそか)に鴈を捕(とり)たる罪はかぞへられずして、娘を賣(うり)てまで年貢を出(いだ)さんとして、餘儀なき才覺の金なれども、義理を辨へて、段々辭讓(じじやう)なしたる事どもを感じられて、是も靑ざし五貫文下し賜りしと也。此一條は戲場(たはむれば)[やぶちゃん注:芝居小屋。]の作り狂言のやうなる事なれども、我(わが)知音(ちいん)、中村何某、其頃は實方(じつがた)、津の藩中に在(ある)時の事にて、近邊故、現に其事を見聞(けんもん)して、よく覺え居(ゐ)て、具(つぶさ)に咄せし珍事也。

[やぶちゃん注:……この娘の「あとのこと知りたや」……]

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