萩原朔太郎 艶めかしい墓場 (初出形)
艶めかしい墓場
風は柳をふいてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくじは垣根を這ひあがり
見はらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女(あなた)はここに來たの
やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女(あなた)は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡靈よ
貴女(あなた)のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする
そのはらわたは日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひ
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき
虛無のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれてゐるのです。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。歴史的仮名遣の誤り及び「なめくぢ」はママ。詩集「靑猫」(大正十二年一月新潮社刊)所収の際には、以下のように手が加えられている。
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艶めかしい墓場
風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくぢは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女(あなた)はここに來たの
やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡靈よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする
その膓(はらわた)は日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき
「虛無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。
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