甲子夜話卷之四 11 農夫八彌、夢中に瘤を取らるゝ事
4-11 農夫八彌、夢中に瘤を取らるゝ事
「著聞集」に鬼に瘤を取られたると云こと見ゆ。是は寓言かと思ふに予が領内に正しく斯事あり。肥前國彼杵郡佐世保といふ處に、八彌と云農夫あり。左の腕に瘤あり。大さ橘實の如し。又名切谷と云る山半に小堂あり。觀音の像を置く。坐體にして長一尺許。土人夏夜には必ず相誘てこの堂に納涼す。一夕八彌彼處にいたる。餘人來らず。八彌獨り假睡す。少くして其像を視るに、其長稍のびて、遂に人の立が如し。起て趺坐を離る。八彌が前に來て曰。我汝が病患を銷せん迚、八彌が手を執て、かの瘤をひく。八彌その痛に堪ず、忽驚ざむ。夢なるを知て、見るに瘤なし。人疑ふ、八彌常に大士を信ずるにあらず。亦患を除の願ありしに非ず。然るにこの靈驗あること不可思議なり。かゝれば、昔鬼に瘤を取られしこと寓言とも言がたし。
■やぶちゃんの呟き
「著聞集」「古今著聞集」であるが、知られた〈瘤(こぶ)取り譚〉は該当する話柄がないので、これは先行する「宇治拾遺物語」の誤認と思われる。それは既に『柴田宵曲 續妖異博物館 「難病治癒」(その2)』(そこでは「甲子夜話」の本話も紹介されてある)の私の注で電子化してあるので参照されたい。
「寓言」「ぐうげん」実際には起った事実ではない、創作されたたとえばなし。
「彼杵郡」「そのぎぐん」。
「佐世保」現在の長崎県佐世保市内。
「八彌」「はちや」と読んでおく。
「大さ」「おほきさ」。
「橘實」「たちばなのみ」。バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナ Citrus tachibana の果実。現在では酸味が強く、生食には向かないため、砂糖漬けやマーマレードなどの加工品にされる。
「名切谷」「なきりだに」。佐世保市名切町(なきりちょう)附近(グーグル・マップ・データ)。同地区のバス停名として現存する。
「云る」「いへる」。
「山半」「やまなかば」と訓じておく。
「小堂あり」「觀音の像を置く」不詳。佐世保市内には静山が再建した福石観音堂なるものが現存するが、位置が違うし、由来にもそれらしい話は出ない(ここ(グーグル・マップ・データ))。
「相誘て」「あひさそひて」。
「彼處」「かしこ」。
「假睡」「かりね」と訓じておく。
「少くして」「すこしくして」。
「其長稍のびて」「その丈(たけ)、稍(やや)伸びて」。
「人の立が如し」「ひとのたつがごとし」。
「起て」「おきて」。
「趺坐を離る」「ふざをはなる」。結跏趺坐していた位置から離れて歩いてくる。
「銷せん」「しやうせん」。「消せん」で「治してやろう」の意。
「執て」「とりて」。
「痛」「いたみ」。
「堪ず」「たへず」。
「忽驚ざむ」「たちまちめざむ」。瞬時に目覚めた。
「知て」「しりて」。
「大士」「だいし」。菩薩の意訳。ここはここの観音菩薩のこと。
「患を除」「わづらひをのぞく」。
「願」「ぐわん」。
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