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2017/05/05

柴田宵曲 續妖異博物館 「雨夜の怪」

 

 雨夜の怪

 平忠盛の遭遇した兩夜の怪は「平家物語」祇園女御の事の條に出てゐる。五月雨の夜の御堂のほとりから現れた怪物は、頭は白銀の針を磨き立てたやうにきらめき、片手には槌のやうなものを持ち、片手には光るものを持つてゐた。これはまことの鬼と思はれる、手に持つたのは打出の小槌であらうといふことになつて、昔時北面の下﨟であつた忠盛に退治することを命ぜられた。忠盛がその樣子を見るのに、さして恐ろしいものとも思はれぬ。多分狐か狸の仕業であらう。これを射殺したり斬つたりしたところで仕方がない。同じ事なら生け捕りにしようと考へて步み寄るほどに、怪物は或間隔を置いてさつと光り、またさつと光ること二三度であつた。走り寄つてむづと組んだ時、こはいかにと騷いだので、變化(へんげ)のものでないことが明かになつた。灯をともして見れば六十ばかりの法師で、佛にみあかしを奉るため、片手には油を入れた手瓶(てがめ)を持ち、片手には土器に火を入れて持つてゐた。雨が頻りに降るので、麥藁を編んだものを被つてゐたのが、土器(かはらけ)の火にかがやいて白銀の針の如く見えたのであつた。

[やぶちゃん注:以上は、「平家物語」の「卷六」の「祇園(ぎをん)の女御(にようご)」の冒頭で、かの、清盛白河上皇落胤説を語る枕として出る話である。

   *

 ふるき人の申しけるは、淸盛公は忠盛が子にはあらず、まことは白河の院の御子なり。そのゆゑは、去(さん)ぬる永久のころ、「祇園の女御」と聞えて、さいはひの人おはしき。くだんの女房み給ひける所は、東山のふもと、祇園(ぎをん)の邊にてぞありける。白河の院、つねは御幸(ごかう)ありけり。あるとき、殿上人一兩人、北面少々召具して、しのびの御幸ありしに、ころは五月二十日あまりの夕空のことなれば、目ざせども知らぬ闇にてあり、五月雨(さみだれ)さへかきくもり、まことに申すばかりなく暗かりけるに、この女房の宿所ちかく御堂あり。御堂のそばに、大きなる光りもの出で來たる。かしらは銀(しろかね)の針をみがきたてたるやうにきらめき、左右(さう)の手とおぼしきをさし上げたるが、片手には槌(つち)の樣(やう)なるものを持ち、片手には光るものをぞ持ちたりける。君(きみ)、も臣(しん)も、

「あなおそろしや。まことの鬼(おに)とおぼゆるなり。持ちたるものは、聞ゆる打出(うちで)の小槌(こづち)なるべし。こは、いかがせん。」

とさわがせましますところに、忠盛、そのころ、北面の下﨟(げらふ)にて供奉(ぐぶ)したりけるを、召して、

「このうちに、なんぢぞあるらん。あの光りもの、行きむかひて、射も殺し、切りも殺しなんや。」

と仰せければ、かしこまつて承り、行きてむかふ。

 内々(ないない)思ひけるは、

「このもの、さしもたけきものとは見えず。狐・狸なんどにてぞあらん。これを射もとどめ、切りもとどめたらんは、世に念(ねん)なかるべし。[やぶちゃん注:全く以って思慮がなく、やり過ぎである。]生捕(いけどり)にせん。」

と思ひて步み寄る。とばかりあつては[やぶちゃん注:暫く間を置いては。]、ざつとは光り、とばかりあつては、ざつと光り、二、三度したるを、忠盛、走り寄りて、むず、と、組む。組まれて、このもの、

「いかに。」

と、さわぐ。変化(へんげ)のものにてはなかりけり。はや、人にてぞありける。そのとき、上下(じやうげ)、手々(てんで)に火をともし、御覽あるに、齡(よはひ)六十ばかりの法師なり。たとへば、御堂の承仕(じようじ)法師[やぶちゃん注:寺院の堂舎の清掃や灯火・香華及び一般仏具の管理等の雑用を勤めた下級僧。]にてありけるが、御(み)あかし參らせんとて、手瓶(てびやう)[やぶちゃん注:携帯用の取っ手のついた瓶(びん)。]といふものに油(あぶら)を入れて持ち、片手には土器(かはらけ)に火(ひ)を入れてぞ持ちたりける。

「雨は降る、濡れじ。」

とて、頭(かしら)には小麥(こむぎ)のわらをひき結び、かつぎたり。土器の火に、小麥のわらが、かがやきて、銀(しろがね)の針の樣(やう)には見えけるなり。事(こと)の體(てい)、いちいちにあらはれぬ。

 君、御感(ぎよかん)、なのめならず、

「これを射も殺し、切りも殺したらんには、いかに念(ねん)なからん[やぶちゃん注:どんなにか、非情なる仕打ちであったろうに。]。忠盛がふるまひこそ、思慮、ふかけれ。弓矢とる身は、やさしかりけり。」

とて、その勸賞(くわんしやう)に、さしも[やぶちゃん注:あれほどまで。]御最愛と聞えし祇園の女御を、忠盛にこそ、賜はりけれ。

 されば、この女房、院の御子(みこ)をはらみたてまつりしかば、「生(う)めらん子(こ)、女子(によし)ならば朕(ちん)が子にせん、もし、男子(なんし)ならば忠盛が子にして弓矢とる身にしたてよ。」

と仰せけるに、すなはち、男(なんし)を生めり。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *] 

 

「夷堅志」にある雨夜の怪は蔡州の學堂の寄宿舍にゐる學生達で、夜どこかへ遊びに行つて、夜中に歸らうとすると驟雨が降り出した。當時の草堂の制度は極めて嚴重で、外泊などは決して許されぬ。雨具を持たぬ彼等は酒屋まで引返して、單(ひとへ)への衾(ふすま)を借り出した。その衾の四隅を竹で支へ、大勢が下に入つて駈けて來たところ、草堂の近くになつて夜𢌞りが松明(たいまつ)を持つて來るのに出遇つた。學生達は見付けられては大變だから皆立ちすくむ。兩者の距離は二十餘步ぐらゐのものであつたが、夜𢌞りの方が急に步を囘して、あとをも見ずに走り去つた。學生達はその間に牆を乘り越えて草堂に歸り、内心びくびくものでゐると、翌日夜𢌞りの邏卒が府廰に出てかういふ申し立てをした。昨夜大雨の最中にこれこれのところで、北の方から怪物が現れた、上は四角で平たい筵のやうではつきりわからぬが、その下に凡そ二三十の足の如きものがあり、人のやうにぞろぞろ步いて來て、草堂の牆のあたりで消えた、といふのである。役人達には如何なる怪物か想像も付かなかつたが、この時はぱつとひろがつて、大きな怪物が出現する風説が高くなり、町々では厄拂ひの祈禱を行つたり、怪物の繪姿を畫いて神社の前で磔(はりつけ)にしたりするに至つた。

[やぶちゃん注:「囘して」「めぐらして」。

「牆」「かきね」。

「邏卒」「らそつ」。警備兵。

 以上は「夷堅志」の「夷堅丙志」にある以下。

   *

呂安老尚書、少時入蔡州學、同舍生七八人。黃昏潛出游。中夕乃還。忽驟雨傾注。而無雨具。是時學制崇嚴。又未嘗謁告。不敢外宿。旋於酒家假單布衾。以竹揭其四角。負之而趨。將及學墻。東望巡邏者。持火炬傳呼而來。大恐。相距二十餘步。未敢前。邏卒忽反走。不復回顧。於是得踰墻而入。終昔惴惴。以為必彰露。且獲譴屏斥矣。明日兵官申府雲、昨二更後大雨正作。出巡至某處。忽異物從北來。其上四平如席。模糊不可辯。其下謖謖如人行。約有三二十只。漸近學墻乃不見。郡守以下。莫能測爲何物。邦人口相傳。皆以爲巨怪。講於官。每坊各建禳災道場三晝夜。繪其狀。祠而磔之。然則前史所謂席帽行籌之妖。也殆此類也。尚書之子虛己説。

   * 

 

 この二つの話はいづれも疑心暗鬼を生じたものであるが、實際かういふものに遭遇したら、驚く方が當然であらう。「化物の正體見たり枯尾花」などと云つて澄ましてゐるのは局外の批評家で、彼等は怪に直面せぬから、えらさうなことを云ふのである。吾々としてはこの場合、雨夜といふものが怪を助けてゐる點を看過しがたい。

 江戸時代の番町といふと、何か怪談に緣のある土地のやうな氣がするが、秋雨の降りしきる夜、相番から急用を申し來つたので、供を一人連れた武士が番町馬場の近所を通りかゝつた。折から雨は愈愈大降りになつて、前後の往來も全く絶えてゐる。提燈を消されまいとして、桐油(とうゆ)の陰にして歩いて行つたが、道端に一人の女のうづくまつてゐるのが見える。傘も笠も持たず、合羽のやうなものを著てゐるので、慥かに女と見極めたわけでもない。如何にも不審な樣子であるから、供の者が、あれは何でせう、よく見屆けませうか、と云つたほどであつた。そんな必要はない、と答へて行き過ぎようとした時、提燈を待つた足輕體の者が二人、脇道から現れた、そのあとについて、もと來た道を引返し、女のうづくまつてゐたところを見たが、もう何もゐなかつた。四方打開けた場所なので、何方へ行く筈もないと云ひながら、そのまゝ用事を濟ませ、歸つて自宅の門を入らうとする頃になつて、頻りに惡寒(をかん)を覺える。翌日から瘧(おこり)のやうな症狀になつて二十日ほど苦しんだ。供に連れた者も同樣であつたから、雨中に妖魅の氣に冒されたものかと「耳囊」に出てゐる。

[やぶちゃん注:以上は「耳囊 卷之四 番町にて奇物に逢ふ事」である。リンク先の私の電子化訳注で、どうぞ。]

 

 兵しこの話は雨夜の道にうづくまる怪しい女を見たといふだけで、それが直ちに瘧の原因をなしたかどうかは斷定しにくいところがある。「平家物語」や「夷堅志」の話に比べれば、一步怪に近付いてゐることは慥かであるが、眞の怪には多少の距離があると見なければならぬ。それが「怪談老の杖」の一話になると、純然たる妖異譚である。麹町十二丁目に住む大黑屋長助の下人に、權助といふ十七八の男があつた。或時大久保百人町まで手紙を持つて行き、返事を取つて歸る頃は、もう暮方になつて強い雨が降つてゐる。傘をさして歩いて來る前を、一人の女がずぶ濡れになつて行くので、傘へお入りなさいと聲をかけたまではよかつたが、その女の顏を見れば、口は耳まで裂け、髮をかつ捌いた化物である。權助はあつと云つて倒れたのを、そのうちに人が見付け、土地の者が立ち合つて吟味したら、懷ろに一通の手紙を持つてゐる。先づその宛名の百人町の人のところへ知らせ、氣付け藥を飮ませたりして、漸く正氣に復した。どうして氣を失つたのかと尋ねると、右の顚末を話したので、駕籠に乘せて迭り歸したが、よくよく恐ろしかつたと見えて、上下の齒が悉く缺けてしまつた。それから阿呆のやうになり、間もなく死んださうである。大久保新田近所には狐が居つて、夜に入れば人をたぶらかすといふ話であつた。

[やぶちゃん注:「怪談老の杖」のそれは「卷二」の「狐鬼女に化し話」である。以下に示す。所持する「新燕石十種 第五巻」に載るものを、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像を視認して以下に正字化して示す。踊り字「〱」「〲」は正字化した。

   *

麹町十二丁目大黑屋長助といふ者の下人に、權助とて十七八の小僕あり、或時大窪百人町の御組まで手紙をもちて行、返事を取りて歸りけり、はや暮に及び、しかも雨つよくふりければ、傘をさし來りけるに、先へ立て女のづぶぬれにて行ありければ、傘へはいりて御出被ㇾ成よ、と聲をかけて立より、其女の顏をみれば、口耳のきわまでさけて、髮かつさばきたるばけ物なり、あつといふて、卽座にたふれ絶入けり、その内に人見つけて、たをれものありとて、所のものなど立合ひ吟味しければ、手紙あり、まづ百人町のあて名の處へ人を遣はしければ、さきの人、近所など出合ひて、氣つけを用ひ、なにゆへ氣を失ひし、と尋ねければ、右のあらましを語りしを、駕にのせ、麹町へおくり返しぬ、よくよく恐ろしかりしとみへて、上下の齒ことごとくかけけり、夫よりあほうの樣になりて、間もなく死にたり、大久保新田近所にはきつねありて、夜に入れば、人をあやなすといへり、

   *] 

 

 この話はいつ頃の事かわからぬが、「文化祕筆」に從へば、文政二年四月二十七日の夜、水戸侯の大鼓打山本勝之助が酒井若狹守の上屋敷前で化物に逢つたことになつてゐる。勝之助は女房に禁ぜられてゐた酒を出先きで飮み過し、雨の中を歸る途中、酒井家の門前でころんで泥だらけになつたので、女房の手前工合が惡く、化物に逢つて命からがら歸つたと話した。女房はそれを眞に受けて、翌朝稽古に來た弟子に話す。今更譃とも云はれなくなつて、まことしやかに話し、圖まで畫いて見せた。「文化祕筆」にあるのは、その寫しらしいが、傘の中に大きな口をあいた、異形な女の姿が畫いてある。髮も捌き髮であるし、「怪談老の杖」の記載と相通ずる點が多い。けれども場所も違ひ、出逢つた人物も違ふ。或は前にこんな話が傳はつてゐたのを、當座の譃に用ゐたのかもわからぬ。

[やぶちゃん注:「文化祕筆」著者不詳。所持しないので提示出来ない。

「文政二年」一八一九年。

 この章、総体の怪異性が低空飛行で、つまらぬ。]

 

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