南方熊楠 履歴書(その37) 募金寄附者のこと/鉄眼のこと(下ネタ有り)
ずいぶん諸方よりいろいろの事を問い合わせ来るを一々叮嚀(ていねい)に能う限り返事を出し、さて趣意書を送って寄付を求むるに、十の四、五は何の返事さえ下されぬもの多し。つまりこの貧乏な小生に多大の時間と紙筆を空費せしむるものなり。されど、世には無情の人ばかりでなく、この不景気に、小包郵便は一週間に二度しか扱わぬという大和の僻陬(へきすう)より、五円贈られたる人あり。また水兵にして小生と見ず知らずの人なるに、一日五十銭の給料を蓄えて十円送られたるもあり。亡父が常に小生の話をせしとて三円送り来たり、素焼きの植木鉢一つでも買ってくれと申し込まれし少年あり(植木屋を小生が開業すると心得違うたるなり)。幸いに命さえつづかば早晩このことは成るべしと楽しみおり申し候。
[やぶちゃん注:それにしても研究所を建てられなかった南方熊楠はこの金を返金したのであろうか? これだけいろいろ豪語する以上、そこはそこ、誠意に誠意を以って応じねば、熊楠は我慢がならぬ節の人と思うのだが。というより、大金を払った連中には寧ろ、縷々不成立とその寄付金の消費用途を書き送って詫びればよかろうとは思うが、この水兵や少年にこそ相応の詫びと返礼をせねば私なら気が済まぬが。どだったのか? その顛末を記した熊楠の関連書を私は不学にして読んだことがない。気になる。
「僻陬(へきすう)」「僻」は「遠い片隅」で、「陬」も「隅」の意。 辺鄙な土地。「僻地」と同義。]
むかし鉄眼、一切経を開板するため勧化するに、阿部野で武士の飛脚らしき者を見、一切経の功徳を説きながら一里ばかりつき行きしに、その人一文を取り出し地になげ、われ一切経をありがたく思うて寄付するにあらず、貴僧の執念つよきに感心せるなりと言い、さて茶屋に腰かけ女のすすむる茶一椀に八文とか十文とか余計に抛(なげう)ちし由、鉄眼これを見て涙を落とし、合掌して三宝を敬礼し、わが熱心かかる無漸の男をして一文をわれに与えしめたるを見て、わが志は他日必ず成就するを知ると悦び帰りし由。
[やぶちゃん注:やや文脈上、判り難いが、一文しかいやいや喜捨しなかったこの武士が、その直後、鉄眼の目の前で街道脇の茶屋に入って「腰かけ」、田舎「女のすす」めた「茶一椀に八文とか十文とか余計に抛」った、それを見た鉄眼が「わが熱心かかる無漸の男をして一文をわれに与えしめたる」と歓喜して帰ったというのであろう。しかし、ネットで調べてみると、この話、もっと違う様相を呈した話として伝わっているように思われる(阿部野も茶店も出てこないから、熊楠の語ったこの全く別の「無慚」な糞武士の別話が存在するのかも知れぬが)。例えば、「しんでん森の動物病院」のブログ「ひかたま(光の魂たち)」の「鉄眼桜と今週の待合室の花」の記事によれば、鉄眼が後に、いざ、一切経を彫る段になって、版木の入手に困っていたところ、『昔、山を越えてまでついてきた鉄眼に一文銭を投げつけた武士が、吉野山の桜を守る代官に出世して』おり、『その代官は』、かつて無慙な応対を彼にした『ことがとても気になっていて、いつか鉄眼の役にたてないだろうかと思っていた』ことから、その『代官は、「自分は桜の木を守る立場、でも、桜の木を活かすことも仕事だ」と決意し、幕府を必死に説得して、鉄眼に充分な量の桜の木を送ることが出来た』という話である。但し、正直言うと、熊楠の語った方がすっきりとしていてリアルで、如何にも事実あったらしい気はする。
「阿部野」現在の大阪府大阪市阿倍野区附近か。現在、当地区の多くの表記は「阿倍野」であるが中・近世において主流であった表記は「阿部野」である旨がウィキの「大阪阿部野橋駅」内の解説にある。]
『南水漫遊』とかいうものには鉄眼、菴(いおり)に夜分寵りおりしに美婦一人来たり、雪の夜なれば歩進まず、何とぞ宿(やど)しくれと頼む。いかに拒むも、この雪中に死せしむるつもりかといわれて、止むを得ずそこに宿せしめ、子細をきくに、人の妾(めかけ)たりしが本妻の妒(ねた)みで追い出されたるが、里へ帰る途上日暮れ大雪に逢いしという。さてその女終夜身の上を案じ眠られざるに、艾(もぐさ)の臭気絶えず、へんなことに思い、ひそかに次の間をのぞけば、鉄眼の一物蛟竜雲を得た勢いで脈を打たせはね上がるを制止せんとて、終夜灸(きゅう)をすえおりたるなり。その女のちに本妻死して夫の家にかえり本妻となり、このことを夫に話せしに、その夫は大富なりしゆえ、感心して、その志に報いんため寺を建て鉄眼を置きし、とあり。真偽は知らざるも、鉄眼の伝にも、某という富家の婦人より大寄付を得て一切経出板を資(たす)けたことあれば、なにか似寄ったことはあるべしと思う。小生はずいぶん名だたる大酒なりしが、九年前にこの家を購(か)うため和歌山に上る船中、感冒に伝染して肺炎を疾むこと九十日ばかり、それより酒をやめ申せしが、近年このことにかかりてよりは滴(しずく)も用いず候。他の諸事もこれに准ず。一物も鉄眼以上の立派な物なりしが、只今は毎日失踪届けを出さねばならぬほど、あってなきに等(ひと)しきものになりおわり候。
[やぶちゃん注: 「南水漫遊」「古今参考 南水漫遊」。江戸後期の浜松歌国の随筆。書名は歌国が「浪華江南颯々亭南水主人」と号したことによる。初編・続編・拾遺から成る各五巻全十五冊。南水が在住した大坂の事跡について述べたもの(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。
「蛟竜」は「こうりゅう/こうりょう」と読み、竜の一種或いは龍の成長過程に於ける幼齢期型・未成期型の状態を指す。
「滴(しずく)も用いず候」表面上は、一滴も酒を飲まぬ、調味料としても一滴の酒をさえ用いぬ、という意味に見えるが、実はこれは直後の後文の枕であって、「滴」は「精液」の意である。
「毎日失踪届けを出さねばならぬ」全く勃起せず、股間に隠れて見えぬことを言う。]
« 無題(坭だらけの兩手をふつて……/添え辞らしき「自畫像」がある) 萩原朔太郎 | トップページ | 甲子夜話卷之四 14 同人、物數奇多き事(松平乗邑譚その2) »