佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その12)
[やぶちゃん注:★定本ではここにかなり長い一章(所持する新潮文庫版で十頁相当分に及ぶ)が加筆挿入されている。★以下の、アスタリスク欠損はママ。]
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その晩ではなかつたが、或る雨の晴れた晩であった。大きな圓い月が、あの丘の上から、舞臺の背景のせり出しのやうにのつそり昇つて來たことがあつた。
その晩は犬が二疋ともはげしく吠えた。
彼は、それらの犬どもを遊ばせるつもりで庭へ出た。庭からまた外へ出た。
月は殆んど中天に昇つて居た。遠い水車の音が、コットン、コットン、コットン、と野面を渡つてひびいて來た。彼は彼の家の前の道を、幾度も幾度も往つたり來たりして步いた。二疋の犬は彼の影について、二疋で互にふざけ合ひながら、嬉々として戲れて居た。彼は立ちどまつた。水のせせらぎに耳をかたむけた。路の傍に、彼の立つて居る足の下に、細い水が月の光を碎きながら流れて居る。ふと、南の丘の向う側の方を、KからHへ行く十時何分かの終列車が、月夜の世界の一角をとどろかせ、搖がせて通り過ぎた。その音が暫く聞かれた。この時、もの音が懷しかつた。月の光で晝間のやうに明るい、野面を越えて、彼は南の丘の方へ目を向けた。‥‥今、物音の聞えたところ、丘の向う側には素晴らしく賑やかな大都會がある……其處には、家家の窓から灯が、きらきらと簇つて輝いて居る‥‥、彼は不意に何の連絡もなく、遠い汽車のひびきを聞いただけで、突然、そんな空想が湧き上つた。そういへば、一瞬間、ほんの一瞬間、その丘のうしろの空が、一面に、無數の灯の餘映か何かのやうに、ぽつと赤くなつた‥‥かと思うと、すぐに消えた。それは實際神祕な瞬間であつた。
[やぶちゃん注:「KからH」当時の横浜線の東神奈川駅と八王子駅であろう。孰れも「H」となることから「東」を省略してイニシャルとしたものであろう。
「簇つて」「むらがつて」。
「丘の向う側には素晴らしく賑やかな大都會」横浜。]
「俺は都會に對するノスタルジアを起して居るな?」
彼は、さう思ひながら、その丘から目をそらした。見ると彼の立つ居る一筋の路の向ふから、黑い人影が彼の方へ步いて來た。その人影が、一聲高く口笛を吹いた。すると彼の犬は二疋とも、疾風のやうな勢で、その人影の方へ驅け出した。それが彼には非常に不愉快であつた。これらの犬は彼、卽ち犬どもの主人の呼ぶ時より外には、今まで決して他の人の方へは行かうとはしなかつたからである。それがその夜に限つて、この一聲の口笛を聞くと、飛ぶやうに馳け出す。
彼は或る狼狽をもつて、口笛を吹いた。犬をよび返すためである。彼の口笛を聞くと、犬も氣がついたらしく慌てて彼の方へ引き返した。
「フラテ!」
人影はそう言つて、犬の名を呼んだ。
「フラテ!」
彼も慌てて、同じく犬の名を呼んだ。彼の叫んだ聲は、ちやうどあの人影の聲とそつくりであつた。さうして直ぐに同し言葉を呼び返したために、彼の聲は、ちやうど人影の聲の山彥のやうに響いた。二つの聲は、この言ひ現し難い類似をもつて全く同一なものだと感じさした。それを犬でさへもさう聞いたに相違ない。一旦、馳け出した犬は、人影を慕うて行つて歸つて來なかつた。
[やぶちゃん注:「同し」ママ。定本は「同じ」であるが、訂さない。
「感じさした」ママ。訂さない。]
彼は呆然と路の上に立つて、その人影を確めやうと眼を睜つた、人影は、路から野面の方へ田の畔をでも傳うらしく、石地藏のあるあたりから折れ曲つた。さうして!
[やぶちゃん注:「睜つた」「みはつた」。]
何といふ不思議であらう! その人影は、明るい月夜のなかで、目を遮るものもない野原のなかで、忽然と形が見えなくなつた!
「あつ」と叫び聲を、口のなかに嚙み殺して、彼は家の門へ、家のなかへ、一散に驅け込んだ。「‥‥この村では誰も俺の犬の名を覺えて居る筈はないのだ。たとひ、名を呼ばれても、俺の犬は俺以外の人間の方へ行く筈はないのだ。たとひ、行くとしても、俺が呼び返せばきつと俺の方へ歸つてくる筈なのだ。今までこんなことは一度もない」彼は一人でさう考へた「‥‥それにあの人影は何だつて、不意にかき消すやうに見えなくなつたのであらう? ‥‥若しや、あの時俺が、この俺自身の同一人が二人の人間に別れたのではなからうか? 離魂病といふ病氣はほんとうにある事であらうか? 若しさうだとすると、俺は、若しや離魂病にかかつて居るのではなからうか? 犬といふものは物音をききわけるのには微妙な能力を持つて居なければならない筈だ、わけて主人の聲はちやんと聞き別ける筈だ‥‥」
[やぶちゃん注:段落の頭は底本でも定本でも一字下げとなってない。しかし、このここまでの底本の前例に徴するならば、ここは一字下げであるべきである。特異的に私の判断で一字空けた。序でに言っておくと、その後の『‥‥この村では』で始まる「 」部分は底本では、やはり、行頭にある。これは前の行が目一杯でそうなっているのであるが、私は当初、ここも改行なのではないかと疑った。しかし定本でも偶然同じ現象によって、やはり行頭にある。従ってここを改行するのは如何なる正当的理由もないことになる。しかもこの以下の心内語が、前の「あつ」という感嘆詞からダイレクトに繫がる心理的連続体であることを考えれば、改行によってその流れを崩してしまうのは上手くないと考えて連続させた。
「離魂病」ここでは、古くから信じられた、魂(たましい)が肉体から離れて今一人の全く同じ姿の人間になると考えられた病気、「影(かげ)の病い」のこと。西洋の「ドッペルゲンガー」(ドイツ語:Doppelgänger:「自己像幻視」「二重身」)と同じで、死や厄災を受ける凶兆とされたことは言うまでもあるまい。西洋の文学作品では枚挙に暇がないが、私ならまず、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」(William Wilson 一八三九年)だ。本邦のものは現象としては古文にも出はするものの、そこに絞って描き切ったものは少ない。近代では私は鎌倉を舞台とした泉鏡花の「星あかり」(明治三一(一八九八)年八月『太陽』に「みだれ橋」)を真っ先に挙げる(サイト「鏡花花鏡」のこちらにあるPDF版をお薦めする)。佐藤春夫と同時代で盟友でもあった芥川龍之介は晩年、自分自身、実際に自分のドッペルゲンガーを見たと何度か告白しており、小説「二つの手紙」(同作は「青空文庫」のこちらで読める(新字新仮名))でも「ドッペルゲンゲル」を扱っている。面白いのは、芥川龍之介の「二つの手紙」は、
大正六(一九一七)年九月に『黒潮』に発表したもの
であり、この『黒潮』という雑誌は奇しくも、現行の「田園の憂鬱」として知られる作品の冒頭五節四十枚相当が、
「病める薔薇」と題して発表された雑誌(大正六(一九一七)年六月)
であり、しかも、
その「病める薔薇」続稿五十枚の掲載を拒否した雑誌
である点である。さらに、佐藤春夫は、破棄された後半と同じ題材を含む、
「田園の憂鬱」を完成させて大正七年九月に『中外』に発表
している。そうして、先の「病める薔薇」をさらに改作して、この「田園の憂鬱」と繫ぎ合わせ、
『病める薔薇 或いは「田園の憂鬱」』と題し、天佑社から大正七(一九一八)年十一月二十八日に刊行した作品集「病める薔薇」の第二篇として本作を出版
したのである。佐藤春夫が芥川龍之介と親しくなったのは大正六(一九一七)年で、この発表経緯を見ると、まさに佐藤春夫と芥川龍之介が極めて共時的にドッペルゲンガーを素材としていることが判るのである。実に面白い!]
彼の心臟の劇しい鼓動は、二十分間の以上もつづいた。彼は時計の針を見守りながら、離魂病のさまざまな文學的記錄や、或は犬のことなどを考へつづけて、心臟の鎭まる時間を待つて居た。
翌日の朝になつて、彼は妻に向つて、昨夜の出來事を話した。彼はその夜のうちはそれを人に話すだけの餘裕もないほど怖ろしかつたからである。この話を聞いた彼の妻は、可笑しがつて笑つた。突然、人影が見えなくなつたといふのは、犬が足もとまで懷いて來たために、誰かその人が、犬の頭を撫でてやるので、身を屈めたに相違ない。そのためにその人は稻の穗にかくれて形が見えなかつたのであらう、と彼の妻は、その事を然う解釋した。成程、それが適當な解釋らしい、と彼も考へた。併し、その瞬間に感じた奇異な恐怖は、その說明によつて消されはしなかつた。
[やぶちゃん注:「然う」「さう(そう)」。]
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