毛利梅園「梅園魚品圖正」 章魚
海魚類
「本草」曰
章魚【タコ】 章擧(キヨ)【韓文】
「臨海志」
𠑃(キツ)魚【タコ】
癸巳(みづのとみ)十月十二日
眞寫
「和名鈔」
海蛸子(かいしやうし)【和名太古(たこ)】
今按(あんずる)に、蛸、正に鮹に作る。
俗に䱄の字を用ふ。出づる所、詳らかならず。
「本草」に云はく、『海蛸子は
貌(すがた)、人の裸(はたか)なるに似て圓
頭なる者なり。長さ、丈余なる
者、之を海肌子と謂ふ』。
章魚(たこ)に大章魚(をほだこ)
小-八-梢-魚(くもだこ) 意志距(あしながたこ)
井々八梢魚(いゝだこ)等あり。
但馬の大梢魚甚(はなはだ)大也。
人馬及(および)獸(けもの)を食ふと云(いふ)。
丹波・熱海(つまつ)の章魚
又大也。蟒(うはばみ)を取りし
説あり。畧(ほぼ)之(これ)、盲説
矣ならん。
[やぶちゃん注:最初に注した通り、「梅園魚譜」は本来は「梅園魚品圖正」二帖と併せて三帖一組で描かれたものであったのが、後に分割されてしまったものである。従って、ここに「梅園魚品圖正」のものを載せることは私の確信犯である。掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の保護期間満了画像の当該頁(周囲をトリミングした)と、私が視認して活字に起こしたキャプション(右上から右下、左上から中央下)。割注は【 】で示し、書名は「 」で囲った。本種は
軟体動物門 Mollusca 頭足綱 Cephalopoda 八腕形上目 Octopodiformes 八腕(タコ)目 Octopoda マダコ亜目 Incirrina マダコ科 Octopodidae マダコ亜科 Octopodinae マダコ属 Octopus マダコ亜属 Octopus マダコ Octopus vulgaris
と同定してよかろう。吸盤の描き方が上手いが、各吸盤内の襞のそれは今一つである。
「本草」通常は李時珍「本草綱目」を指すが、同書にこのような記載を見出せない。これは内容を比較したところ、後に出る引用が本邦の「本草和名」(ほんぞうわみょう)と一致した。ウィキの「本草和名」によれば、本書は醍醐天皇に侍医・権医博士深根輔仁の撰になる日本現存最古の本草書(薬物辞典)で、延喜年間(九〇一年~九二三年)に編纂された。唐の「新修本草」を範に取り、その他、『漢籍医学・薬学書に書かれた薬物に倭名を当てはめ、日本での産出の有無及び産地を記している。当時の学問水準より比定の誤りなどが見られるが、平安初期以前の薬物の和名をことごとく記載しておりかつ来歴も明らかで、本拠地である中国にも無いいわゆる逸文が大量に含まれ、散逸医学文献の旧態を知る上で、また中国伝統医学の源を探る上でも貴重な資料である。また、丹波康頼の『医心方』にも引用されるなど後世の医学・博物学に影響を与えた。また、平安時代前期の国語学史の研究の上でも貴重な資料である』。『その後、長く不明になっていたが、江戸幕府の医家多紀元簡が紅葉山文庫より上下』二巻全十八編から成る『古写本を発見して再び世に伝えられるようになった。多紀元簡により発見された古写本の現時点の所在は不明であるが、多紀が』寛政八(一七九六)年に校訂を行って刊行された版本があり、本草学者がよく引いている。
「𠑃」は漢語で「タコ」の義。
「癸巳十月十二日」本書は天保六年完成であるから、天保四年癸巳でグレゴリオ暦一八三三年十一月二十三日に当たる。
「䱄」は「魪」と同義で「鰈」(かれい:脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 魚上綱 Pisciformes 硬骨魚綱 Osteichthyes カレイ目 Pleuronectiformes カレイ科 Pleuronectidae)を指すので誤用。
「長さ、丈余なる者、之を海肌子と謂ふ」細かいことを言うと、「大和和名」では「海蛸子」ではなく、「海蛸」で割注で「所交支貌似人躶而圓頭」と解説し、その下に「海肌子」を掲げて割注で「長丈餘名海肌子 長尺餘名海蛸子」と載せるので、この梅園は下方のそれを引き上げて名称としていることが判る。以下、「髑妾子【江東名之】小鮹魚【頭脚并長一尺許者出崔禹】和名多古」と続いている(因みに「崔禹」というのは唐代に書かれたと目されている「崔禹錫食経」という現在は失われた本草書の名である)。
「大章魚(をほだこ)」本邦どころか、世界最大種のタコである、マダコ科ミズダコ属 Enteroctopus ミズダコEnteroctopus
doflein としてよかろう。別名をマジで「おおだこ」と称する。
「小-八-梢-魚(くもだこ)」四字で「クモダコ」とルビしている(そのために熟語記号を附しているものと思われる)。マダコ属クモダコ Octopus longispadiceus を挙げておくが、或いは後掲するイイダコの異名である可能性も高い。
「意志距(あしながたこ)」マダコ属テナガダコ Octopus minor であろう。福岡県柳川市では同種をアシナガダコと現在も呼称している。
「井々八梢魚(いゝだこ)」これは浅海に棲息する小型の蛸、沿岸域では古代から食用としてされてきた馴染みの、マダコ属イイダコ Octopus ocellatus のことと考えてよかろう。
「但馬」現在の兵庫県北部で、現在の豊岡市と美方郡(みかたぐん)新温泉町(ちょう)の日本海沿岸域となる。
「人馬及獸を食ふと云」意外なことに、非常に信じられた伝承である。私の「谷の響 二の卷 一 大章魚屍を攫ふ」や「想山著聞奇集 卷の參 七足の蛸、死人を掘取事」をご覧あれ。しかしなんと言っても、最高傑作は蛸馬の死闘と驚天動地の大爆笑の顛末を迎える「佐渡怪談藻鹽草 大蛸馬に乘し事」にとどめを刺す。
「丹波・熱海(つまつ)」不詳。「つまつ」(「あつまつ」か?)の読みも不審。識者の御教授を乞うものであるが、そもそも「丹波」は陸内国(現在の京都府中部・兵庫県北東部・大阪府北部相当)で海と接していないし、「丹波熱海」という地名も確認出来ない。すこぶる不審。「蟒」を取り喰らうんだからそこまで来るんだと言われりゃ、黙るしかないが。ともかくもこれは、全国的に見られる蛇が蛸に化生するという伝承の逆転伝承ではなかろうか? 私の「佐渡怪談藻鹽草 蛇蛸に變ぜし事」や「谷の響 二の卷 三 蛇章魚に化す」を参照されたい。
「盲説」「妄説」の誤字。差別的で厭な感じだ。]
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