休息のない人生 萩原朔太郎
休息のない人生
いつか橫須賀の造船所を見物した。大きい小さい、無數のベルトが天井から𢌞轉して、鋼鐡の巨大な機械が、無氣味な生物のやうに動いて居た。技師の説明によると、その中の或る機械は、晝夜不休で三年間も働き通して居るさうである。私はそれを聞いて悲しくなつた。
文學者の大きな悲哀は、孤獨の寂寥でもなく貧乏でもない。實に「休息がない」といふ一事である。普通の社會人の生活では、事務の時間と休息とが別れて居る。會社から歸つたサラリイマンは、和服に着換へて湯に入り、それから子供や妻を對手にして團欒する。最も烈しい勞働者でさへも、夜は一杯の燒酎を飮んで安眠する。然るに文學者の生活には、どこにもさうした休息がなく、夜の安眠さへも自由でない。と言ふのは、筆を取る時間のことを意味するのではない。原稿紙に向つて、文士が筆を取る時間などと言ふものは、一生の中のごく僅かな時間にすぎない。特に詩人などいふ連中は、生涯に二册か三册位の詩集しか書かず、机に向ふ時間なんていふものは、殆ど言ふに足りないほどである。(だから世間は、彼等を怠け物の大將だと思つてゐる)詩人は十年考へて一册の詩集を書くと言はれて居る。だが普通の文學者も皆同樣であり、原稿紙に物を書くのは、平常既に考へて居ることの筆寫にすぎない。文士がペンを取る時間は、むしろ勞働でなくて休息である。文學者の烈しい苦しみは、世間が目して「のらくら遊んでゐる」と見るところの、不斷の生活の中にあるのである。
ドンキホーテといふ騎士は、世に正義の行はれないことを憂へて、夜も眠らず不眠不休で旅をしてゐた。文學者の憂ふるところは、もとよりドンキホーテの憂ひではない。しかしながら彼等もまた、人生の眞實相や、社會の矛盾相や、彼自身の中の爭鬪や、性格の悲劇する樣々の宿命やに就いて、夜も安眠ができないほど、晝夜をわかたず眞劍に考へてる。否「考へて居る」のではなく、正しくは「思ひ感じて居る」のであり、それ故により多く神經が疲れて苦しいのである。そしてこの苦しい「休息のない生活」からのみ、すべての善き文學が生れて來る。
世に道の行はれないことを憂へて、支那の曠野を漂泊して居た孔子が、或る時河のほとりに立つて言つた。「行くものはかくの如きか。晝夜をわかたず。」と。この孔子の言葉には、無限の深い嘆息が含まれて居る。だが文學者の嘆息は、もつと悲しい宿命的の響きを持つてる。ああ人と生れて思ふことは、百度も悲しく文學者たりしことの悔恨である。
[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年十二月十三日附『國民新聞』初出。昭和一一(一九三六)年五月発行の「廊下と室房」に収録されたが、その際、「(だから世間は、彼等を怠け物の大將だと思つてゐる)」は削除されている。昭和五一(一九七六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第九卷」を底本とし、校異によって初出を再現した。]