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2017/06/08

毛利梅園「梅園介譜」 小螺螄(貝のワレカラ)

 

 

Kainowarekara

 

小螺螄(ワレカラ)

古哥に詠(よめ)る藻に住む蟲の「われから」と云ふは、是なり。「本草約言」に曰く、『紫菜、其の中に小螺螄有り』と云へり。藻にすむなるべし。海薀(もづく)にはかぎらず。

此(この)二種、予、旧縁の者、相州浦賀に住み、[やぶちゃん注:ここ、訓読は行を跨る。]江武(がうぶ)の使(つかひ)に、予に寄する者なり。「モヅク」は至(いたつ)て汐(しほ)つよく、味(あじは)ひ、甘(かん)なり。酢(す)に漬(つけ)て食ふ。味、海藻(ホンダワラ)に類す。「ワレカラ」は、則(すなはち)、藏(ざう)す。

[やぶちゃん注:以下、右下の「モズク」のキャプション。]

海薀(モヅク)

  「本草」時珍云く、『「縕(うん)」は亂絲(らんし)なり。其の葉、之に似る。』と。

      乙未六月廿七日、眞寫す。 

 

[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」のこの画像からトリミングした。「海薀(モヅク)」はまず形状からも、

不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科モズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata

或いは、

モズク Nemacystus decipiens

と同定してよい(現在、食用として流通するのは、オキナワモズク Cladosiphon okamuranus と、イシモズクで、モズクは殆んど市場には出ない。私はオキナワモズクは天ぷらなら食すが、どうも生はモズクと思われない味で好きでない)。

しかし、問題は、附着している図の本来のメインである「小螺螄(ワレカラ)」である。「螺螄」は「ラシ」で「小さな螺(にな)」で円錐形の小型の腹足類、螺(にな)の意である。梅園の図には、右中央部の海藻の先っぽに明らかに巻貝と見える小螺がいるが、梅園はこれを「ワレカラ」と認識しているようである。しかし、よく見ると、それより下方に、

やや赤みを帯びた、明らかな体節を持った節足動物の背部のような五個体

が描かれていることが判る。私はこの「小螺螄」=ちっぽけな巻貝を同定比定する自信がないだけではなく、やる気もしない。何故なら、こn図、そのたった一個の「ワレカラ」=小螺のために描いたとは、到底、思えないからである。

更に、面白いのは、私の電子化した栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」(文化八(一八一一)年の成立)巻七及び巻八(一部)に掲げた二枚の図と、本図が、よく似ている点である。しかも、この絵もそうだが、「小貝」と言っておきながら、その一つをでも、拡大図で描いていない点が頗る恨めしい点でも共通するのである。栗本版では、まず、一枚目の海藻(種不明)に附着したワレカラ八個体の図に(ここでは読み易く書き直した)、

   *

ワレカラ

此物、海中の藻にすむ小虫なり。形、水虱(みづのみ)に似たり。又、小蝦にも似たり。足、多し。水、離れて、稍(やや)、跳るものなり。予、幼時、實父藍水翁自(みづから)抄寫せる「佐州採藥錄」にある圖を以つて、こゝに載出するものなり。

   *

と記す。「水虱」は、現在、等脚目のキクイムシLimnoria lignorum を指す。図のそれは「小貝」なんぞではなく、細かな脚を持った、所謂、我々の地上で見馴れている「だんごむし」状である。この図が正確なら、これが打ちあがった海藻に附着しているものであれば、

甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目端脚目ハマトビムシ科 Talitridae

ハマトビムシ類の仲間と考えてよいと思うが、転載図である上に、図のスケールが不明(海藻が同定されれば、スケールのヒントにはなると思われるが)なため、体長十五ミリメートルの一般種の、

ハマトビムシ科ヒメハマトビムシ属ヒメハマトビムシ Platorchestia platensis

であるか、体長二十ミリメートルの大型種の、

ヒメハマトビムシ属ホソハマトビムシ Paciforchestia pyatakovi

であるかは不明である。但し、これが海中に浸った状態のものを描いたとすると(当時の博物画の場合は、それは、ちょっと考えにくい。そのような生態描写の場合は、そうした注記をするものである。但し、これは写しの写しだから、これは、その作業の実際を、写した丹州自身が全く知らないものと思われる)、海浜の砂地及び砂中にしかいないハマトビムシは無効となり、それに形状が近く、海中の藻場で藻に附着している種ということになる。その場合は例えば、

フクロエビ上目端脚目モクズヨコエビ科モクズヨコエビ属フサゲモクズ Hyale barbicornis

などのモクズヨコエビ科 Hyalidae の仲間などが想定出来る。しかし、これはさっきも言った通り、江戸時代の人間が見ても「小貝」ではなく、ヘンテコリンな「蝦」か「小虫」の類いと言うはずである。いや、丹州もそう言っているわけだ。

 そこで、丹州の二枚目を見ると、俄然、「小貝」っぽいのである。そこに丹州は(同じくここでは読み易く書き直した)、

   *

ワレカラ 貝原翁の説、『小貝にして蟲(むし)に非ず』とす。これは、其の土地の漁人などの方言にて「われから」と云ふによれるか。因(よつ)て、其の物、國々にて違ひあり、ここに圖せるは、筑紫(つくし)にて稱する處の「われから」なるべし。「大和本草」に云ふ、『「われから」、古歌によめるは、藻に住む蟲なり。』と。又、「本草約言」に云く、『紫菜、其の中に小螺螄、有り。』と。今、按ずるに、此の類(るゐ)、「われから」なるべし。藻につきて殼(から)の一片なる螺(にな)あり。「分殼(わかれから)」の意なるべし。「すくなき」ゆへなり【これ、「ヨメガサラ」の小なるものなり。】。又、云ふ、「ワレカラ」、海中の藻にすむ小貝なり。古哥に讀めり。色、淡黑、大(おほき)さ三、四分に過ぎず。其殼、われやすし。形、「ミゾガイ」・「ヰガイ」などに似たり。至つて小なり。此の藻は「ナゴヤ」と云ひ、淡靑色、乾けば紫色なり。日に晒せば、變じて白色となる。食ふべくも、性(しやう)、よろしからず。或は松藻(まつも)にも此の貝あり。松藻は長くして、莖(くき)も大なり。[やぶちゃん注:後略。]

   *

と記す。この「ミゾガイ」は、

斧足綱マルスダレガイ目ユキノアシタガイ科オオミゾガイ Siliqua alta

であり、続く「ヰガイ」は、現在、呼称されている「イガイ」としての、

斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ属ムラサキイガイ Mytilus galloprovincialis 

や、北海道太平洋岸のみに生息するイガイ中唯一の国産種である、

イガイ属キタノムラサキイガイ Mytilus trossulus

ではなく(そもそも日本全土に生息域を拡大している前者は、大正期に侵入したものである)、

斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ニッコウガイ超科シオサザナミ科ムラサキガイ亜科ムラサキガイ属ムラサキガイSoletellina diphos

 を指しているものと思われる。イガイの名称は、錯綜している上に、ネット上での記載内容も「帰化動物のイガイ=ムール貝」と「従来のイガイ=ムラサキガイ」の混同によるものと思われるものが少なくない。「松藻」はマツモ Analipus japonicus である。「ヨメガサラ」であるが、これは一般に言うところのカサガイ目ヨメガサガイ科ヨメガカサ Cellana toreuma の地方名であると思われる。また、「ナゴヤ」というのは九州地方でオゴノリ Gracilaria vermiculophylla のことを言う方言である。さて、その海藻の「ナゴヤ」に附着した三十八個体のワレカラの図を見よう。この縞々は何だ? 巻貝の螺肋か? しかし、である。ヨメガカサの成体は御存じの通り、岩礁海岸の岩にへばりついているものであって、例えば本種の幼貝が好んで藻類等に何匹も吸着しているなどというのは聴いたことが(私は)ない。万事休す。何方か、この「小貝」である「われから」の正体を是非ともこの無学な私にお教え願いたい。海岸で現物を観察して推理するなら、これ、幾らでもやってもいいが、古い粗悪な博物画のみを推理材料とする海洋生物版〈隅の老人〉を演じるのは、流石にちょっと疲れたわい。

 

「古哥に詠る藻に住む蟲の「われから」と云ふ」先に電子化した「大和本草卷之十四 水蟲 介類 ワレカラ」の私の注を参照されたい。

『「本草約言」に曰く、『紫菜、其の中に小螺螄有り』と云へり』やはり、同じ引用をしている「大和本草卷之十四 水蟲 介類 ワレカラ」の私の注を参照されたい。

「江武」江戸幕府。

「使に、予に寄する者なり」使いの序でに、梅園宅に寄って届けた、というのであろう。さすれば、或いは海水に漬けた新鮮なものであったのかも知れぬ。ただ、季節的(末注参照)には厳しい(最後の注を参照)。

「海藻(ホンダワラ)」不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum 。古来、「なのりそ」の名で食用とされ、藻塩精製の素材ともされてきた。海藻フリークの私は特に好物で、先般、三度目の渡島を果たした佐渡では(当地は「神馬藻(神馬壮)」と呼ぶ)、朝食の時に丼一杯を平らげ、土産に買った冷凍の塊りも三日で完食してしまった。

「本草」李時珍の「本草綱目」。「海薀」として「草之八」に出るが、記載は少ない。

『「縕(うん)」は亂絲(らんし)なり。其の葉、之に似る』「縕」という字は「乱れ絡まった糸」の意であり、その海藻の分岐した葉体部分は、これに似ている、というのである。或いは、「ぬめり」をこんがらがった糸のような感じだと言っているのかも知れぬ。

「乙未六月廿七日」天保六年。グレゴリオ暦一八三五年七月二十二日。]

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