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2017/06/29

柴田宵曲 續妖異博物館 「樽と甕」

 

 樽と甕

 

 唐の汝陽王は酒が好きで、一日中飮んでも醉拂ふなどといふことがなく、客があればその人を相手に幾日でも飮み續ける。或時葉靜龍といふ術士が來たので、例によつて酒を飮ませようとすると、葉はこれを辭退して、私は酒はいたゞきませんが、弟子に酒量測るべからずといふのがございます、見かけは小さな男ですが、酒ではひけを取りません、明日この男を伺はせることに致しませう、と云つた。翌日道士持滿と稱する男がやつて來たので、直ちに引見したところ、成程葉の云つた通り、極めて矮小な男である。倂し座に就いて話しはじめると、三皇五帝以來、歷代の治亂興亡の迹を説くのに、種々の書物を引用すること、あだかも掌を指すが如くであつた。王は啞然として口を拜むことが出來ない。持滿はやがて話頭を轉じ、通俗的な方面に持つて行つたから、王もホツとした樣子で、見受けるところ、師は酒を好みさうだがどうか、と問うた。いくらでも頂戴致します、といふ答へを得て、左右に命じて酒を注がせる。盃が幾度か巡つたが、持滿はもどかしさうな樣子で、かやうな小さなものでは酒を飮む中に入りませぬ、もつと大きなものに入れて、好きなだけ飮むやうにしていたゞきたい、十分頂戴致しましたら、それでやめることに致します、と云ひ出した。王は承知して數石を容れる大きな器(うつは)に、なみなみと酒を湛へ、大きな盃で酌むことにした。さうして飮み續けるほどに、王は少し醉ひを發して來たが、持滿は全然亂れず、端坐したまゝである。この狀態はやゝ暫く續いた。今度は持滿の方が、私はこの一杯でやめます、もう醉ひました、と云つた。師の量を見るのに、このくらゐではまだ足らぬだらう、と云つて更にすゝめても、持滿は頭を振つて、あなたは度量に限りあることを御存じありませぬか、と云ひ、その一杯を盡したかと思ふと、その場に倒れてしまつた。よくよく見たら彼は人間ではない、大きな酒樽であつた。樽は五斗入りであつたから、正に定量に達したものであらう。

[やぶちゃん注:「五斗」唐代の原典であるから、当時の「斛」(こく=石)は十升ながら、一升が現行の半分である約〇・六リットルしかなったので、約三十リットルとなり、現在の一升瓶では十六本と半分ほどとなる。

 以上は「河東記」の「葉靜能」。

   *

唐汝陽王好飮、終日不亂。客有至者、莫不留連旦夕。時術士葉靜能常過焉、王強之酒、不可、曰、「某有一生徒、酒量可爲王飮客矣。然雖侏儒、亦有過人者。明日使謁王、王試與之言也。」。明旦、有投刺曰、「道士常持蒲。」。王引入、長二尺。既坐、談胚渾至道、次三皇五帝、歷代興亡、天時人事、經傳子史、歷歷如指諸掌焉。王呿口不能對。既而以王意未洽、更咨話淺近諧戲之事、王則歡然。謂曰、「觀師風度、亦常飮酒乎。」。持蒲曰、「唯所命耳。」王即令左右行酒。已數巡、持蒲曰、「此不足爲飮也、請移大器中、與王自挹而飮之、量止則已、不亦樂乎。」。王又如其言。命醇酹數石、置大斛中、以巨觥取而飮之。王飮中醺然、而持蒲固不擾、風韻轉高。良久、忽謂王曰。「某止此一杯、醉矣。」王曰。「觀師量殊未可足、請更進之。」。持蒲曰。「王不知度量有限乎。何必見強。」乃復盡一杯、忽倒、視之則一大酒榼、受五斗焉。

   *

「太平廣記」でも「持滿」ではなく「持蒲」であるが、グーグル・ブックスのある中文書では「持滿」で出るから、或いはそうした伝本があるのであろうし、比喩名とすれば確かに「滿」の方が問題ない。]

 

 この「河東記」の話に似たのが「瀟湘錄」に出てゐる。妻修なる者は井州の酒家で、常に酒浸りになつて居り、少し醒めた時に喜んで人を相手に飮むといふ風であつた。井州の人達は彼の大酒に恐れをなし、多くは敬遠して近付かなかつたから、修の交友は極めて少かつた。然るに或日突然黑衣の客がたづねて來て、酒を飮ませて貰ひたいと云ふ。修が出て見ると、身の丈(たけ)は三尺ばかりしかないが、腰の幅は頗る廣い。二人は早速席を設けて飮みはじめた。客は愉快さうに笑つて、私は平生酒が好きなのですが、殘念ながら腹一杯飮んだといふことがありません、もし腹一杯飮めたらどんなに嬉しからうと思ふのです、幸びあなたにお目にかゝりましたから、久しい私の望みを叶へていたゞけるでせう、と云つてゐる。修の方でも、あなたは眞に我が黨の士だ、といふやうな相槌を打つうちに、遂に三石近くの酒を平らげてしまつたが、客は少しも醉はない。これには修も驚くと同時に、たゞの人ではあるまいといふ畏敬の念を生じて來た。容(かたち)を改めて客を拜し、その郷里や姓氏を問ふと、我が姓は成、名は德器と答へたが、郷里に至つては甚だ明瞭でない。更にどうしてそんなに多く飮み得るかを尋ねたら、自分は已に老いてしまつた、腹を滿たし得る量は五石であらう、腹を滿たせば初めて安んずることが出來る、と云つた。修はこの言葉を聞いて、また酒をすゝめた。途に五石に達するに及び、客は俄かに醉態をあらはし、狂歌狂舞とゞまるところを知らず、遂に地に倒れてしまつた。修は家の者に命じ、醉客を室内に連れて行かせたが、室内に至ると共に客は躍然として外へ飛び出した。心許ないので後を逐はせると、何か石にでもぶつかつたやうな音がして、客の姿はそれきり見えなくなつた。夜では搜しやうがない。明方になつて行つて見たら、多年使用した酒甕がこはれてゐるだけであつた。

[やぶちゃん注:「瀟湘錄」唐の李隱撰の伝奇小説集。

「井州」は「幷州」の誤りと思われる(以下の原文参照)。

 以上は「瀟湘錄」の「薑修」(きょうしゅう」現代仮名遣)。

   *

薑修者、幷州酒家也、性不拘檢、嗜酒、少有醒時、常喜與人對飮。幷州人皆懼其淫於酒、或揖命、多避之、故修罕有交友。忽有一客、皂衣烏帽、身才三尺、腰闊數圍、造修求酒、修飮之甚喜、乃與促席酌、客笑而言曰、「我平生好酒、然每恨腹酒不常滿。若腹滿、則既安且樂、若其不滿、我則甚無謂矣。君能容我久托跡乎。我嘗慕君高義、幸吾人有以待之。」。修曰、「子能與我同好、真吾徒也、當無間耳。」。遂相與席地飮酒、客飮近三石、不醉、修甚訝之、又且意其異人、起拜之、以問其郷閭姓氏焉、復問何道能多飮邪、客曰、「吾姓成、名德器、其先多止郊野、偶造化之垂恩、使我效用於時耳。我今既老、復自得道、能飮酒、若滿腹、可五石也、滿則稍安。」。修聞此語、復命酒飮之、俄至五石、客方酣醉、狂歌狂舞、自歎曰、「樂哉樂哉。」。遂仆於地。修認極醉、令家僮扶於室、至室客忽躍起、驚走而出、家人遂因逐之、見客誤抵一石、割然有聲、尋不見、至曉睹之、乃一多年酒甕、已破矣。

   *]

 

 二つの話は同工異曲、大同小異である。樽にしろ甕にしろ、酒を容れる分量に限りがあるから、定量に至れば倒れてしまふのであらう。持滿といひ、成德器といふ名前を見てもわかるやうに、どこか一點の理が潛んでゐて、神韻標瀞たるところは寧ろ乏しい。共に矮小な男であるといふのも、最後に樽や甕の正體をあらはす伏線と思はれる。倂し得體の知れぬ男がやつて來て、えらさうな事を云ひながら、いくらでも酒を飮むあたりはちよつと面白い。支那人でなければ思ひ付きさうもない話である。

 

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