宿直草卷一 第十 本山の岑に天火おつる事
第十 本山の岑(みね)に天火おつる事
本山(ほんざん)の近邊に萩谷(はぎたに)といふ山家(さんか)あり。そこなる人、たゞひとり、夜行(やこう)に出でたり。しばし、あされども、狸の床にも尋ねあはず、高嶺(たかね)にいこふて、烟草(たばこ)なんど喰(た)うべしに、西の方よりも、物の鳴る音、おびたゞし。しばし有て、長さ一町もやあらん。太さも二腕(かい)ばかりの天火なり。其(その)左右(さう)に鞠(まり)ほどなる火とんで、さらに數へがたし。光り、爛漫として、あたかも白晝のごとし。とゞろきて本山の嶺(みね)に落(おち)たり。炎(ほのほ)、四方(よも)にちる事、五、六町もやあらん。落ちて響(ひゞき)やまず。三十町ばかりへだてし我がゐる山も地震(ぢしん)のごとし。
さて、靜まるよ、と見るに、二、三千人の聲して、鬨(とき)をつくる事、押しかへして、三度、せり。山彦、こたへて、目覺(めさ)ましき有樣(ありさま)なり。恐ろしなんど云ふばかりなし。帝釋(たいしやく)、阿修羅(あすら)の戰(たゝかひ)のごとく、天狗どちの爭ひにやあらん。また、寺、近けれども、心なき身の、たゞ狩りくらしぬる我にしも、かしこくも示し給ふ、多聞天のつげにやと、日來(ひごろ)にあらため、これも獵(かり)を止(や)めけるとなり。
[やぶちゃん注:本山寺ロケーションで前話「第九 攝川本山は魔所なる事」と直連関するだけでなく、話柄内容も夜に狸を狩る狩人の殺生への誡めを変怪が示すという点で完全一致しており、しかも筆者は末尾の一節で「これも獵を止めけるとなり」とし、この「これも」は明らかに前話で二人の狩人が夜行をやめたことをダイレクトに受けた続篇として確信犯で記していることが判る。
「天火」一応、「てんくわ(てんか)」と読んでおくが、「てんび」「てんぴ」でもよい。一般名詞としては、落雷によって起こる火災である雷火、或いは、人為でない自然発火による火災一般を指すが、ここは明らかに空中に浮かぶ怪奇現象としての妖火、妖怪としてのそれである。ウィキの「天火」によれば、『天火(てんか、てんび、てんぴ)は、日本各地に伝わる怪火の一種。江戸時代の奇談集『絵本百物語』や、松浦静山の随筆『甲子夜話』などの古典に記述があるほか、各地の民間伝承としても伝わっている』。『愛知県渥美郡では夜道を行く先が昼間のように明るくなるものを天火(てんび)といい』、『岐阜県揖斐郡では夏の夕空を大きな音を立てて飛ぶ怪火を天火(てんぴ)という』。『佐賀県東松浦郡では、天火が現れると天気が良くなるが、天火が入った家では病人が出るので、鉦を叩いて追い出したという』。『熊本県玉名郡では天上から落ちる提灯ほどの大きさの怪火で、これが家の屋根に落ちると火事になるという』。『佐賀県一帯でも火災の前兆と考えて忌まれた』。『かつては天火は怨霊の一種と考えられていたともいい、熊本県天草諸島の民俗資料『天草島民俗誌』には以下のような伝説がある。ある男が鬼池村(現・天草市)へ漁に出かけたが、村人たちによそ者扱いされて虐待され、それがもとで病死した。以来、鬼池には毎晩のように火の玉が飛来するようになり、ある夜に火が藪に燃え移り、村人たちの消火作業の甲斐もなく火が燃え広がり、村の家々は全焼した。村人たちはこれを、あの男の怨霊の仕業といって恐れ、彼を虐待した場所に地蔵尊を建て、毎年冬に霊を弔ったという』。『天火は飛ぶ』際、『奈良県のじゃんじゃん火のように「シャンシャン」と音を出すという説もあり、そのことから「シャンシャン火」ともいう』。『「シャンシャン火」の名は土佐国(現・高知県)に伝っている』(個人的には、この見た者に死を齎すともされる音を伴う不吉な妖火。「ジャンジャン火」は私の妖火の好みの最たるものである)。『『甲子夜話』によれば、佐賀の人々は天火を発見すると、そのまま放置すると家が火事に遭うので、群がって念仏を唱えて追い回すという。そうすると天火は方向転換して逃げ出し、郊外まで追い詰められた末に草木の中に姿を消すのだという』。『また、天火は雪駄で扇ぐことで追い払うことができるともいい、安政時代の奇談集『筆のすさび』では、肥前国で火災で家を失った人が「ほかの家の屋根に火が降り、その家の住人が雪駄で火を追いかけたために自分の家の方へ燃え移ったため、新築の費用はその家の住人に払って欲しい」と代官に取り計らいを願ったという語った奇談がある』。『江戸時代の奇談集『絵本百物語』では「天火(てんか)」として記述されており、これにより家を焼かれた者、焼死した者があちこちにいるとある。同書の奇談によれば、あるところに非情な代官がおり、私利私欲のために目下の者を虐待し、目上の者にまで悪名を負わせるほどだったが、代官の座を降りた翌月、火の気のないはずの場所から火が出て自宅が焼け、自身も焼死し、これまでに蓄えた金銀、財宝、衣類などもあっという間に煙となって消えた。この火災の際には、ひとかたまりの火が空から降りてきた光景が目撃されていたという』とある。但し、ここの「天火」は少なくとも現認した狩人の認識は毘沙門天(多聞天)の示した殺生の誡めとしてのものとして不吉なものではなく、事後に災いを受けた後日談もない。また、やめたのも狩り総てではなく(山家に住まう主人公はそれを主たる生計(たつき)としていた可能性がすこぶる高いから完全にやめることは出来ないはずである)、前の話を受けている点でも、危険な「夜行の狸狩り」のみと読める。なお、科学的な側面から見ると、現象的には激しい地響きを立てて落ちるところ(しかも落雷の光が先行して落ち、後に落雷音が時間差で聴こえる点)などは自然現象としての落雷の印象(放電や接地箇所を探るように延びるその細部をそれなりにスローで観察したもの。夜間に動体視力のある狩人が、ある程度の距離(後注参照)から観察したものとするなら、私はあり得ぬことではないように思われる)が強いようには思う。
「萩谷(はぎたに)」現在の大阪府高槻市萩谷であるが、本山寺より西或いは西南に四~五キロは隔たっている。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「狸の床」「たぬきのとこ」タヌキの寝床。巣。
「いこふ」「憩ふ」。
「烟草(たばこ)なんど烟草喰(た)うべしに」煙草を吸っていたとろ。「たぶ」は「食ぶ」で、本来は「のむ」の謙譲語・丁寧語。
「一町」百九メートル。
「二腕(かい)」実際の腕二本分の太さでは長さと比して細過ぎるから(見かけ上の比喩で述べたのならそれで不信はない)、これを人体スケールの両腕幅(両腕で抱えた大きさ)である「比呂(ひろ)」と採るとすると、一比呂は一メートル五十一・五センチメートルであるから、三メートル強といったところか。ちょっと思ったが、この火の柱は毘沙門天がしばしば持つ宝棒、或いは宝塔の九輪をイメージしているものかも知れぬ。
「四方(よも)」原典は平仮名で「よも」。底本は「四面」を当てるが、ルビがなく、不親切である。「よも」ならば「四方」の方がルビ無しでも「よも」と読めようと思い、変えた。
「五、六町」五百四十六~六百五十五メートル弱。
「三十町」三キロ二百七十三メートル。
ばかりへだてし我がゐる山も地震のごとし。
「帝釋」帝釈天。梵天とともに仏法の守護神で、十二天の一つとして東方を守る。須弥山(しゆみせん)の頂きの忉利天(とうりてん)の主で喜見城に住むとされる。古代インドのベーダ神話のインドラ神が仏教に取り入れられたもの。
「阿修羅」古代インド神話の悪神で、インドラ神(仏教に入って帝釈天となる)と激しく戦ったとされる軍神である。釈迦によって教化されたと見做され、八部衆の一つとして仏教の守護神となった。]