江藤淳に
貴様は「先生」の自死を『自我の暴威』を主因とする行為だったと断じたことを忘れるな。
貴様は自死して死んだ。
貴様の自死の動機が何だったか――直前の妻の死や脳梗塞の後遺症なんど言われる時、およそ、貴様は下らぬ物言いとしてそれを拒否するに違いない――そんなことは、問題ではないし、興味もない。
私は貴様の、あの「こゝろ」論の、あの糞のような、忌まわしい似非日本主義の凡庸な結構に括られた
――さればこそ大衆に受け入れられ易いところの二項対立の――
自死論が大々大嫌いである。
貴様が自分の晩年を形骸に過ぎないなどと宣うていたとしても、それを「先生」は断固としてせせら笑う。
貴様は貴様の自死も――否――貴様のそれをこそ――素直に鮮やかに『自我の暴威』と断ずるべきだったのではないか?
さすればこそ――「先生」は――貴様の墓前に――花を手向けたであろうに…………
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