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2017/06/11

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(5) 五 自然界の平均 /第六章~了

 

    五 自然界の平均

 

 動植物ともに若し生れた子が悉く生存し繁殖したならば、忽ち驚くべく增加すべきこと、及び實際に驚くべく增加した例の少からざることは以上述べた通りであるが、總べての動植物が斯く增加しつゝあるかといふに、之は無論出來ないことで、大體に於ては昨年も今年も來年も同一處に於ける動植物の數には甚しい相違はない。雀は年々十疋づつ子を生んでも格別に殖える樣子もなく、夏、肉類に附く蠅は一度に二百萬も卵を生み、卵は直に孵化して僅に十四五目で生長し終るから、二週間每に百萬倍に增加すべき筈であるが、少しも目立つ程には殖えぬ。然らば如何なる動植物が實際驚くべき增加をしたかといふに、前に擧げた例は皆偶然或は故意に人間が移殖したものばかりで、何十萬種もある動植物の中から見れば、實に極めて僅少な例外の場合に過ぎぬ。且それも何時までも限りなく同じ割合で繁殖する譯ではない。或る度に達すれば必ず自然に增加も止んでしまふもので、かの評判の高いオーストラリヤの兎でさへも、今は或る地方では最早增加の極に達した模樣があり、初めは只でも貰ひ人の無かつた兎の、冷藏して輸出するやうになつてからは、之を取扱ふ商人も殖え、互に競爭するので、原料も追々高くなり、今では昔のやうに儲からぬといふが、之は兎が最早盛に增加せぬ證據である。南アメリカの牛馬も略々之と同樣な有樣に達して居る。

[やぶちゃん注:「度」「ど」。レベル。]

 

 かやうに繁殖の極に達してしまふと、最早增加の餘地がないのであるから、一對の動物からは平均二疋だけの子が生存し、一本の木からは平均一粒だけの種が生存して、たゞ親の跡を繼ぐだけとなるより外に仕方はないが、若し同一地方に産する動植物が悉くこの有樣となつたならば、その地方は年々歳々動植物の數に少しの變化も起らず、鳥の減ることもなく、雀の殖えることもなく、去年百疋居たものは、今年もやはり百疋居る割合で、何年過ぎても自然界の有樣が依然として變ぜぬ理窟である。實際この通りの有樣が長く續くことは世界中どこへ行つてもないが、動植物相互の關係を考へて見ると、複雜極まるもので、到底他の種類と全く無關係に或る一種だけが獨立に增加することは出來ぬ。例へばこゝに一種の草を食ふ昆蟲があると想像し、この蟲が盛に繁殖增加すると假に定めたならば、その結果は如何。忽ち今まであつた或る草を食ひ盡して、自分も食物の無くなつたために共に倒れなければならぬやうになる。また一方には今までこの蟲を食物として居た或る鳥は餌の急に增したのに力を得て忽ち繁殖し、遂にはこの蟲を食ひ盡すまでに殖えるであらうが、蟲を食ひ盡してしまへば、この鳥も亦餓死せざるを得ぬ。若しこの時にかの草の種が幾粒か殘つて居て、生え出したとしたらば、之を食ふ蟲が居ぬこと故、忽ち增加してその邊一杯に蔓延る。また若しこの時にかの蟲の卵が幾つか殘つて居て孵化したとしたらば、食物は幾らでもあり、敵は全く居ぬから、忽ち繁殖して盛にかの草を食ふやうになる。これらの關係に就いては更に後の章で詳しく述べるが、兎に角、生物相互の間には非常に複雜な關係のあるもので、或る一種が增加しようとすれば、之を食ふものも殖えて之を抑へ、なかなか勘定通りに速に繁殖することは出來ぬ。恰も少しでも高く賣らうとする賣人(うりて)と、少しでも安く買はうとする買人(かひて)との間に、幾らならば賣らう買はうといふ物の相場が定まるのと同じやうに、長く一箇所に住する動植物の間には、食はれる動物何疋に對し、之を食ふ動物が何疋の割合ならば、一方で食はれて減るだけを、他方で繁殖して補うて行けるといふやうな具合に、動植物各種の數の割合の相場が自然に定まるものであるが、この通りに行つて居れば、動植物各種の數は年々同じことで、自然界に急劇な變動は決して起らぬ。この有樣を自然界の平均と名づける。尤も物の相場に日々多少の變動のある如く、自然界の平均を保つべき動植物の數の割合も、寒暖の相違、風雨の多少などの如き、その時々の事情で常に多少の變動をなすことは無論である。

[やぶちゃん注:「速に」「すみやかに」。]

 

 この章に擧げた動植物の劇しく增加した例は、敦れも自然界の平均を人工的に破つた場合である。人間が牛馬を輸入せぬ前にはアメリカではアメリカ産の動植物だけで自然界の平均が保たれ、年々著しい變動も無かつた。そこへ突然牛馬が入つて來たが、その增加を制限すべき敵動物が無かつたと見えて、忽ち斯くの如く繁殖したのである。オーストラリヤの兎なども之と同樣で、元來オーストラリヤ産の動植物だけで、自然の平均を保つて居た所へ、突然兎を輸入した故、前述の如き結果に達したのである。水面の高さの異なつた二個の池も、その間に連絡のない間は兩方ともに水も動かず、水量に增減もないが、堀を造つて二個の池を續けると、忽ち一方から水が流れ込み、一方の水が增す。倂し何時までも增すのではなく、兩方の池の水面が平均すれば流れは止んで、水は再び靜になる。自然界の平均を破つたときも、恰も之と同樣で、殖えるべきものは速に殖え、減るべきものは速に減り、何年か何十年かを經て再び自然界の平均が取れるやうになれば、捨て置いても自然に止むものである。アメリカの牛馬、オーストラリヤの兎も、今日は既に殆どこの境遇に達して居る。自然界の平均といふことは、動植物の生存上自然の結果として生ずるもの故、この平均を破る場合でなければ、動植物の或る種類が突然急に增加するやうなことは決してない。たとひ一時急に增加した如くに見えるものがあつても、忽ち平均までに減じてしまふ。

 

 我々の常に目の前に見る自然界は、略々平均を保つた有樣で、年々歳々動植物各種の數に著しい變化がない。我々は常にこの有樣を見慣れて居る故に、動植物の增加力の劇しいことには平生少しも氣が附かず、計算して見て初めて驚く位である。倂しこの章に擧げた例でも解る通り、動植物の增加力の實際極めて劇しいことは確で、毫も疑ふべきものでない。之から考へて見ると、自然界の平均といふものは、一種每に無限に增加しようとする動植物が、數百種も數千種も相接して生活し、增加力を以て互に相壓し合ひ、その壓し合ふ力の平均によつて、暫時急劇な變動を現さぬ狀態をいふものである。その有樣は全く世界中にある國々が皆戰爭の準備に莫大な入費を掛け、軍艦を造り、砲臺を築くので、僅に暫時世の中が平和を保つのと異ならぬ。この事は生物界の現象を論ずるに當つては重大な事項で、然も常に人が忘れ易い點であるから、特にこゝに述べたのである。

[やぶちゃん注:「壓し」「おし」と読んでいるようである。]

 

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