宿直草卷一 第十一 見こし入道を見る事
第十一 見こし入道を見る事
ある侍(さふらひ)の語りしは、
『我、ますらおの若かりしとき、犬をつれて狩(りやう)にいでしが、その夜、仕合(しあはせ)惡(あし)し。一里ばかりの道越えて、はや歸るべきとおもひ、山の頂上にやすらひしに、岩(いは)漏(も)る滴(しづく)、物さびて、篠ふく風もらうがはしく、天漢(てんかん)ほしひまゝに橫(よこたは)りて、昴星(はうせい)うつすべき露なし。落ち葉、道ふさぎては、蛛蜘(ささがに)もまた糸をみだせり。
此(この)山、西、ひがしに嶺つゞけるに、北向きてたちしが、前の谷より、なにとなふ、大きなるもの立ち上がる。そのかたち、彷彿(はふほつ)として見わけがたけれど、れんれんに立(たち)あがるにぞ、化け物とは知りぬ。かくて見守(まも)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]りゐるに、向ふの山のいたゞきより、その背、猶、高し。星の光りにすかして見れば、大きなる坊主なり。
「さては古狸などの化くる、見越し入道といふものにこそ。おそらくは射止めんものを。」
と、弓、取り直し、素引(すび)きして、猪(い)の目透(す)かせる雁俣(かりまた)の矢をとり、かの坊主の面(つら)を、目も離(はな)たず、睨(にら)みゐるに、ひた物、高くなりて、後(のち)には、見あぐる事、結し髮の襟(えり)につくまでせり。
「もはや、時分もよし、一矢、射ん。」
と、弓引きしぼり、ねらへども、あまり大きにして、矢つぼ、定めがたく、案じわづらふ間に、ふつと、消えて、更にそのかたち、なし。
このときに、見えし星の影もなく、にはかに暗ふして、前後、途(と)を失ふ。何の害もなかりしかども、有無(うむ)に、道、見えず。目指すとも知がたし。所詮、歸らんと思ひけるにも、行くべき方を知らず、口惜しく思へども、すべきやうなし。連れし犬に嘯(うそ)かけて呼び、犬の頸綜(くびたま)に鉢卷を結(ゆひ)、わが帶(おび)の端(はし)に是をつけて、行くやら、歸へるやら、其(その)方角もしらず。犬にまかせて歸るに、ひとつの家、みえたり。其とき、心を付(つ)くるに、暗さも止みて、もとの星月夜(ほしづくよ)となり。見つけし家はわが家なり。その後(のち)は、友いざなひて、ひとりは出でず。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:狩人が山巓で体験する怪として前話と繋がるが、全体の結構や巨怪の出現及び挿絵の人と見越入道の配置構成などは、二話前の「第九 攝川本山は魔所なる事」との親和性がすこぶる高い。
「見こし入道」日本の妖怪の一種としては、かなりメジャーな、しかもその巨大さとインパクトから、しばしば妖怪の首魁として登場する一種である。ウィキの「見越し入道」を引く。『江戸時代の怪談本や随筆、及び日本各地の民俗資料に見られる』もので、『夜道や坂道の突き当たりを歩いていると、僧の姿で突然現れ、見上げれば見上げるほど大きくなる』。『見上げるほど大きいことから、見上げ入道の名がついた。そのまま見ていると、死ぬこともあるが、「見こした」と言えば消えるらしい。主に夜道を』一『人で歩いていると現れることが多いといわれるが、四つ辻、石橋、木の上などにも現れるという』。『見越し入道に飛び越されると死ぬ、喉を締め上げられるともいい、入道を見上げたために後ろに倒れると、喉笛』『をかみ殺されるともいう』。『九州の壱岐島では見越し入道が現れる前には「わらわら」と笹を揺らすのような音がするので、すかさず「見越し入道見抜いた」と唱えると入道は消えるが、何も言わずに通り過ぎようとすると』、『竹が倒れてきて死んでしまうという』。『岡山県小田郡では、見越し入道に出遭った際には頭から足元にかけて見下ろさなければならず、逆に足から頭へと見上げると食い殺されてしまうという』。『その他の対処法としては「見越した」「見抜いた」と唱えるほか、度胸を据えて煙草を吸っていたら消えたとか(神奈川県)』、『差金で見越し入道の高さを計ろうとしたら消えた(静岡県)などの例もある』。『岡山県のある地域では、厠で女性がしゃがんでいると、キツネが化けた見越し入道が現れて「尻拭こうか、尻拭こうか」と言って脅かすという』。『また、大晦日の夜に厠で「見越し入道、ほととぎす」と唱えると必ず見越し入道が現れるともいう』。『これらの厠に関する伝承は、厠に現れるといわれる妖怪・加牟波理入道』(かんばりにゅうどう:僧形で厠を覗き、口から鳥を吐く妖怪))『と混同したものとの説もある』。『西村白鳥による江戸時代の随筆『煙霞綺談』では見越し入道は人を熱病に侵す疫病神とされており、以下のような話がある』。正徳年間(一七一一年~一七一五年)、『三河国吉田町(現・愛知県豊橋市)の商人・善右衛門が名古屋の伝馬町へ行く途中でつむじ風に遭い、乗っていた馬が脚を痛め、善右衛門も気分を害してうずくまっていたところ、身長』一丈三、四尺(約四メートル)『もの大入道が現れた。その入道はまるで仁王のようで、目を鏡のように光らせつつ善右衛門に近づいてきた。善右衛門が恐れおののいて地に伏していると、入道は彼を踏み越えて去って行った。夜明けの頃に善右衛門が民家に立ち寄り「この辺りに天狗などの怪異はあるか」と尋ねると「それは山都(みこしにゅうどう)と呼ばれるものではないか」との答えだった。後に善右衛門は目的地の名古屋に辿り着いたものの、食欲が失せ、やがて熱病に侵され、医者の手当ても薬も効果がなく』、十三『日目に亡くなってしまったという』。『見越し入道の正体は不明とされることが多いが、変化(へんげ)能力を持つ動物とする地方もある。福島県南会津郡檜枝岐村』(ひのえまたむら)『の伝承ではイタチが化けたものとされ、入道の巨大化につられて上を見上げると、その隙にイタチに喉を噛み切られるという』(ここで、ウィキの筆者は「宿直草」ではタヌキが化けたものとされていると記すが、それは本条で狩人が世間でそう言われているとして口にするものであって、この狩人が遭遇した見越し入道が本当に狸の変化(へんげ)であったかどうかは判らないようになっているので注意されたい)。『キツネが化けているという地方もある。信濃国(現・長野県)ではムジナが化けたものといわれる』。『また前述の檜枝岐では見越し入道は提灯、桶、舵などを手に持っており、その持ち物こそが本体で、持ち物を叩けば入道を退治できるともいう』。「妖怪画」の項。『単に見越し入道といっても、妖怪画では様々な姿として伝えられている』。『江戸時代の妖怪絵巻『百怪図巻』(画像参照)や妖怪双六『百種怪談妖物双六』では、顔や上半身のみが画面に大きく捉えられているのみで、身体的特徴ははっきりとしない構図となっている』。『鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』に「見越」の題で描かれた見越し入道』(リンク先に画像有り)『は大木の陰から覆い被さるように出現した様子を捉えたもので、首が長めになっているが、これは背後から人を見る格好で、ろくろ首のように首の長さを強調しているわけではない』。『このように巨大な妖怪という特徴で描かれた見越し入道が存在する一方で、江戸時代のおもちゃ絵などに描かれた首の長いろくろ首かとさえ思える見越し入道も決して珍しくない』。『ろくろ首との関連を思わせるものも存在し』、『ろくろ首の伝承の多くが女性であることから、男性版のろくろ首とも例えられることもある』。『この首の長さは時代を下るにつれて誇張されており、江戸後期には首がひょろ長く、顔に三つ目を備えているものが定番となっている』。『妖怪をテーマとした江戸時代の多くの草双紙でも同様に首の長い特徴的な姿で描かれており、そのインパクトのある容姿から、妖怪の親玉として登場することがほとんどである』。北尾政美(まさよし)の黄表紙本「夭怪着到牒(ばけものちゃくとうちょう:天明八(一七八八)年刊)では、『尼入道(あまにゅうどう)という毛深くて長い首を持つ女の妖怪が登場しており、これは女性版の見越し入道とされている』(リンク先に画像有り)。『民間伝承における見越し入道に類する妖怪は、』「次第高(しだいだか)」・「高入道(たかにゅうどう)」・「高坊主(たかぼう)」・「伸び上り」・「乗越入道(のりこしにゅうどう)」・「見上入道(みあげにゅうどう)」・「入道坊主」・「ヤンボシ」或いは単なる「見越し」などがある。また、『静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しともいって、道端にいる人に小坊主の姿で話しかけ、話している途中に次第に背が高くなり、その様子を見続けていると気絶してしまうが、「見越したぞ」と言うと消えるという。道端に優しい人の姿で現れ、通りかかった人が話しかけると、話の内容によっては大きくなってみせるともいう』。『熊本県天草郡一町田村(現・天草市)では』漢字表記の異なる「御輿(みこし)入道」として『伝承されている。下田の釜という地の一本道に現れるという身長』五丈(約十五メートル)『の妖怪で、出遭った人を今にも嘗めるかのように舌なめずりをするという。ある者がこれに出遭い、一心に神を念じたところ、入道は恐れをなし、御輿のようなものに乗り、布を長く引いて山のほうへと飛び去ったという』とある。
「ますらおの若かりしとき」「ますらお」は「益良男・丈夫・大夫」などと漢字表記するが、歴史的仮名遣としては「ますらを」が正しい。若く、且つ、雄々しく強い男であった頃。採話した折りの話者は既に老齢に入っていると読める。
「仕合(しあはせ)惡(あし)し」猟の仕儀が頗る悪い。猟果が全くない。
「物さびて」何ともいえず、古めかしい感じで寂れており。
「もらうがはしく」騒がしく、耳について五月蠅い。
「天漢(てんかん)」銀漢。銀河。天の川のことであるが、ここは狭義のそれというよりも、星が密集している感じを与えるという謂いでとってよいと思う。
「ほしひまゝに」その光を夜空にそのままずらりと鏤め敷いたままに横たわって夜空を異様に明るくしてしまい、その結果として露に「昴星(はうせい)」(おうし座の散開星団であるプレアデス星団(Pleiades)。和名は「すばる」。通常、肉眼でも輝く五~七個の星の集まりを見ることが可能なほどよく光って集合して見える)の光りが見えないのである。ここは、その昴(すばる)の星の光りを映すはずの夜露が全くないという意味ではなく、あまりに満天の星空が冴えきって、総ての星が孰れも光り輝いているために、却って普段なら目立って小さな露にさえ映るはず昴の星の光りが、露の中に「つゆも」見えないというニュアンスで言っているものと私は採る。ここがそのように異様に降るような満天の星空であることは、「蛛蜘(ささがに)もまた糸をみだせり」と、細い細い蜘蛛の糸にさえ、それらの星々の光りが輝いていることからも判るのである。そしてまた、この異様な綺羅星こそが、最後のシーンの暗転の恐怖へと転ずるための伏線なのである。
「彷彿(はふほつ)として」ここは、姿・形がぼんやりとしか見えないさま。
「れんれんに」形容動詞。その対象物がずっと続いていて絶えないさま。
「おそらくは」「きっと・必ずや」或いは「憚りながら」の意。
「素引(すび)き」弓に矢をつがえずに弦だけを引くこと。これは矢を射る準備行動ではなく、所謂、「弦打ち」で、妖魔を避けるための呪的防禦行動と思われる。
「猪(い)の目透(す)かせる雁俣(かりまた)の矢」岩波文庫版の高田氏の注に、『心臓形の猪の目の透かし彫りを施し、鏃の先を二股に作って内側に刃を付けたものを取りつけた矢。狩猟用』とある(挿絵がただの征矢なのは残念)。刀鍛冶福留房幸氏のブログ「一閑人 刀鍛冶 福留房幸の日々」の「ひらねかりまた」の画像を見られたい。素晴らしい!
「ひた物」副詞。無暗と。ひたすら。
高くなりて、後(のち)には、見あぐる事、結し髮の襟(えり)につくまでせり。
「矢つぼ」「矢壺・矢坪」で矢を射る際に狙いを定める所。矢所(やどころ)。
「有無(うむ)に」副詞。すっかり。全く。
「目指すとも知がたし」完全な暗黒で、今歩いてはいても、自分が一体どこを目指しているものやら判り得ない為体(ていたらく)であることをいう。後の「行くやら、歸へるやら、其(その)方角もしらず」も同じい。
「所詮」副詞。結局のところは。
「嘯(うそ)かけて犬を呼び」唇をすぼめて口笛を発し、犬を呼び。
「頸綜(くびたま)」犬の頸部に附けた索状か。それとも「首っ玉」という単に首の謂いか。識者の御教授を乞う。ただ、「鉢卷」一本を犬の首に結いつけてその端を腰帯に結び付けるというのはその鉢巻の長さが相当にないと無理と思われる。]