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2017/06/19

「想山著聞奇集」序(二種)+凡例+全目録/「想山著聞奇集」全電子化注完遂

 

想山著聞奇集 序 

日月星辰。晝夜晦明。造次顚沛。天下之人。仰觀而俯察焉。而至其不測之變。則或昧焉。山川草木。鳥獸轟魚。跋渉往還。視聽而畜養焉。而至其不測之化。則或惑焉。神佛感格。善惡報應。華竺經傳。紀述而贊揚焉。而至其不測之應。則或疑焉。蓋疑者。其知識之劣也。惑者。其視聽之狹也。昧者。其問學之淺也。三好想山。篤學而博渉。性敏而善書。夫書之爲道也。摹範天地陰陽。以傳造化不測之祕。乃在自己神腕之間。故至事物休咎。因果報應之迹。無有不寸管一揮。掌握其霸柄者。謂出其優遊漁獵。硯山墨海之餘力。而然者非哉。今方就其所纂述之異聞奇觀。數百千條之中。特抄錄核實著明。而近人情者。爲五十卷。題曰著聞奇集。集成請序余。余告想山曰。佳矣。此篇隨聞隨筆。故不緣飾文之浮華。靡麗之態。倣事實達意之法。而天地之恢宏。萬物之繁衍。報應之微密。莫不細論詮考。纖悉著明矣。莫道俚語猥駁。蕪辭冗長。不足釆觀焉。世人因此。擴充其見聞覺知。則昧者明矣。惑者決矣。疑者信矣。善哉想山。不啻筆鋒入于木。著書亦上梓。自非學識老錬。詎得能然耶。每事輯錄。絲解縷折。似微而著。然則。其題之於著聞。名固不空。或曰。想山腕力有神。此篇總括造化奇機。遊戲書道三昧者。豈不其然哉。豈不其然哉。

  嘉永二年歳次己酉嘉平月

          方外子無黨社主僧允識

         無黨社主〔印〕執中〔印〕

[やぶちゃん注:原典も句点のみが打たれたものである。前半部分は一部、私にはよく訓読出来ない(無論、意味も分らない)箇所があるが、力技で強引に訓読しておく。大方の御叱正を俟つ。想山の文章ではないこの序文に読解の時間を割かれるのは私には徒労であるので殆んど注を附さない。悪しからず。なお、この筆者、方外子無党社主僧允というのは底本の冒頭の解説によれば、尾張藩藩士深田精一かとも思われるものの、詳らかでないとする。柱の下に「精□」(二字目の篆書は私には判読出来ない)落款風のものがあるが、判らぬので示さなかった。

   *

○やぶちゃんの書き下し文

日月星辰。晝夜晦明。造次顚沛(ざうじてんぱい)[やぶちゃん注:咄嗟の場合と躓いて倒れる場合で、転じて僅かな時間の譬え。「論語」の「里仁篇」の「君子は食を終ふる間も仁に違(たが)ふこと無し。造次にも必ず是(ここ)に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす」に基づく。]。天下の人、仰ぎ觀(み)、而して俯察す。而れども、其の不測の變、至れり。則り、或いは昧(まい)。山川草木・鳥獸轟魚、跋渉、往還するを、視聽きして畜養す。而れども、其の不測の化、至れり。則ち、或いは惑ふ。神佛の感格、善惡の報應、華竺の經の傳へ、紀述して贊揚す。而れども其不測の應、至れり。則ち、或いは疑ふ。蓋し、疑ふ者は、其知識の劣れるなり。惑ふ者は、其の視聽の狹(せば)きなり。昧なる者は、其の問學の淺きなり。三好想山、篤學にして博渉、性、敏にして善く書す。夫れ、書の爲道たり。天地の陰陽を摹範(もはん)[やぶちゃん注:「摹」は「模」の異体字。]して、以つて造化不測の祕を傳ふ。乃(すなは)ち、自己神腕の間に在り。故に事物の休咎(きうきう)[やぶちゃん注:幸いと禍い。]に至れり。因果報應の迹、寸管の一揮せざる有る無し。其の霸柄を掌握する者は、謂はく、其の漁獵の優遊に出づ。硯山墨海の餘力。而れども、然(しか)る者は非かな。今、方(まさ)に其の所に就きての纂述の異聞奇觀、數百千條の中(うち)、特に抄錄して核實著明たり。而も近人の情(なさけ)ある者、五十卷と爲(な)す。題して曰く、「著聞奇集」。集、成りて序を余に請ふ。余、想山に告げて曰はく、「佳なり。此の篇、隨聞隨筆。故に飾文の浮華は緣せず。靡麗(びれい)の態、事實達意の法に倣(なら)ふ。而して天地の恢宏(かいこう)[やぶちゃん注:大きく広々としていること。]、萬物の繁衍(はんえん)[やぶちゃん注:殖え広がること。]、報應の微密(びみつ)[やぶちゃん注:義は「極めて細かいこと」であるからありとあらゆる小さなことにまでも応報の理(ことわり)が働き、漏れがないことであろう。]。細論詮考せざる莫(な)し。纖悉(せんしつ)[やぶちゃん注:繊細にして周到なこと。]著明たり。」と[やぶちゃん注:もっと後まで直接話法かも知れぬ。]。俚語、猥駁(わいばく)なるは道(い)ふ莫し。蕪辭(ぶじ)[やぶちゃん注:「乱雑で整っていない言葉」。前の「俚語、猥駁なる」と合わせて、自分のここで言っている賞讃の文章を卑下して言っているものと思われる。]は冗長たり。釆觀(べんかん)するに足らず[やぶちゃん注:意味不詳。]。世人、此れに因つて、其の見聞・覺知を擴充し、則ち、昧なる者は明たり、惑ふ者は決たり、疑ふ者は信たり。善(よき)かな、想山。啻(た)だ、筆鋒、木に入らず。著書、亦、上梓す。自ら、學識・老錬に非ず。詎(いづくん)ぞ能く然るを得るや。每事の輯錄、絲解縷折(るせつ)、似るは微にして著す。然らば則ち、其れ、之れに於いて「著聞」と題す。名、固くして空ならず。或いは曰はく、想山、腕力、神(しん)、有り、此の篇、括造化の奇機を總べて、書の道三昧に遊戲する者。豈に、其れ、然らざるや。豈に其れ然らざるや。

  嘉永二年の歳(とし)、己酉嘉平月(かへいげつ)に次(ついで)る

      方外子無黨社主僧允、識(しる)す

          無黨社主〔印〕執中〔印〕

   *

「嘉永二年」一八四九年。想山は翌嘉永三年三月六日に病没する。

「次(ついで)る」この序文を編した。

「嘉平月」旧暦十二月の異称。] 

 

近著勸懲之書者、都鄙不爲少矣、然多靈誕妄説、唯驚一時之耳目耳、今閲想山著聞集、研究其事物、皆記其名實、可謂勤焉、若夫強盜奸賊雖不恐仁義之教訓、亦竊有懼天地妖薛之應報、而克省其身者也、豈於世教不無少補哉、因書此事以塞請序之責云。

  嘉永己酉孟夏  尾張 佐々木庸綱撰

       佐々木庸綱〔印〕鷦鷯〔印〕

○書き下し文

近ころ、勸懲の書を著す者、都鄙、少し〔と〕爲(せ)ず。然れとも、靈誕妄説、多く、唯、一時の耳目を驚かすのみ。今、想山著聞集を閲(けみ)するに、其の事物を研究し、皆、其(その)名實を記(しるし)、勤(つとめ)たりと謂ふべし。若(もし)、夫れ、強盜・奸賊は不仁義の教訓を恐(おそれ)ずと雖(いへども)、亦、竊(ひそ)かに天地妖薛(ようせつ)[やぶちゃん注:意味不詳。]の應報を懼(おそ)るること、有り。克、其(その)身を省(かへりみ)る者なり。豈に世教(せいきやう)に於いて少しき補ひ無にはあらざらん、因て、此(この)事を書(しよし)、以て序(じよの)請(せい)の責(せき)を塞(ふさ)ぐと云(いふ)。

  嘉永己酉孟夏  尾張 佐々木庸綱撰

       佐々木庸綱〔印〕鷦鷯〔印〕

[やぶちゃん注:まず原典を白文で示し、そこに附された訓点に従って書き下したものを後に附した。句読点は底本にあるものをオリジナルに変更・追加した。〔 〕は訓読上、不全となると思われる箇所に私が入れ込んだものである。難読と思われる箇所に推定で読みを附した。なお、筆者佐々木玩易齋庸綱(やすつな)は、底本の冒頭解説によれば、想山の大師流書道の師で、京の人。九条家に仕えた後、尾張名古屋に移って文化から文保の間(一八〇四年から文政を挟んで一八四四年までの四十年間)、『書を以って聞こえた。尾張の支藩、美濃国高須の松平義建(四谷家)』(よしたつ 寛政一一(一八〇〇)年~文久二(一八六二)年:美濃高須藩(旧石津郡高須(現在の岐阜県海津市))第十代藩主。藩主就任は天保三(一八三二)年)『が、これを江戸に招こうとしたが、庸綱は、老齢を故として固辞し、代わりに高弟の想山を推した』とある。想山には『門人が多く、俸禄三十石程度の下級の士とはいえ、中級の生活を保てたようで、庸綱に対しても、師恩に感じて、長く仕送りを怠らなかったといわれる』とある。]

[やぶちゃん注:以下の「凡例(はんれい)」は原典では全体が一字下げであるが、途中に出る柱の「一」は一字目に配されてある。]

  凡例

、若年より、聞(きく)所、見る所、千態萬躰(ばんたい)、數千箇條(すせんがでう)に及ぶ。然りといへども、年月(ねんげつ)を經るに隨ひ、次第に忘却し、記臆(きおく)[やぶちゃん注:ママ。]、空敷(むなしく)、臟腑に腐爛す。故に鄙陋(ひろう)[やぶちゃん注:見識などが浅はかであること。]を顧ず、如何樣(いかやう)とも筆記なし置(おき)、子孫にも示し、同友にも告(つげ)まほしく思ふ而已(のみ)にて打過(うちすぎ)ぬるも、又、久し。勿ㇾ謂今日不ㇾ學而有來日、勿ㇾ謂今年不ㇾ學而有來年、日月逝矣、歳不我延、嗚呼老矣、是誰之愆と、古人の誡(いましめ)も有(あり)。僅(わづか)に限り有(ある)齡(よはひ)をもて、限りなき緩怠(くわんたい)をなして、其儘に擱(さしをかん)([やぶちゃん注:原典は「閣」底本の補正注で特異的に訂した。]も殘(のこ)り多しと、去(さんぬ)る乙未(きのとひつじ)年[やぶちゃん注:天保六(一八三五)年。]の秋、頻りに思ひ立ち、奇談・雜談(ざつだん)・祕談・深祕談(しんぴだん)の四條(しでう)となして書記(しよき)なし置(おか)んと、筆に任せて草稿なし、漸(やうやう)、五十卷(くわん)に及びたり。同志の人々、右草稿を閲(けみ)して、此書は閑窓の眠(ねむり)を覺(さま)す而已(のみ)に非ず、童蒙(どうもう)、又は愚夫愚婦(ぐふぐふ)を善道へいざなふ教化(けうけ)にも成(なり)ぬれば、校訂して同友に示すべしと、あながちに勸めらるゝにまかせ、寸暇に隨ひ、追々校訂なして、綴り上置(あげおき)ぬ。

[やぶちゃん注:「勿ㇾ謂今日不ㇾ學而有來日、勿ㇾ謂今年不ㇾ學而有來年、日月逝矣、歳不我延、嗚呼老矣、是誰之愆」原典の訓点に従って書き下す。

   *

謂ふ勿(なか)れ、今日(こんにち)、學ばずして、來日、有りと。謂ふ勿れ、今年、學ばずして、來年、有りと。日月(じつがつ)逝(ゆ)く。歳(とし)、我れに延(の)びず、嗚呼(あゝ)、老いたるや、是れ、誰(たれ)が愆(あやまち)ぞ。

   *

これはかの宋の朱熹の名文「勸學文」(學を勸むるの文)である。]

一、人の話を聞に、正説(しやうせつ)也と云(いふ)も、十に七、八迄は、話傳(はなしづた)えの違ひ、又は聞取違ひの誤謬(ごべう)と思はるゝも多く、或は定(さだ)か成(なる)話にても、首尾連續せずして、筆記なし難きなども多く、其外、奇なる事を好めるは世俗の常なれば、珍異を語るに、辯舌を以て面白く語りなし、甚敷(はなはだしき)に至りては、虛(きよ)を添(そへ)て、有(あり)し事の樣に言傳(いひつたふ)る族(やから)も有(あれ)ば、實(まこと)に取捨(しゆしや)六ケ敷(むつかしく)、纔(わづか)に實事に相違なきと思ひて記錄せしは、十が一(いつ)なり。其纔の一にも、首尾不決(ふけつ)の事、又は十分に貫き兼(かぬ)る事もあるまゝ、猶、實事と相違の事も多かるべし。古人も夫(それ)を厭ふて、記し置(おか)ずして、勸善懲惡とも成(なる)べき譚(はなし)の、其場限りに滅却せしも多かるべし。又、急度(きつと)、教誡(けうかい)の龜鑑(きかん)とも成べき事にても、傳聞の誤り有(あら)ん事を恐れて、其記(き)なくして、後世へ傳らざるも多からん。倩(つらつら)、此事を思慮するに、眞實のことなれども、疑は敷(しき)を恐れて記(しる)さずして、後世(こうせい)へ傳えざるがよきか、疑は敷(しき)ながらも、記し置(おき)て傳ふるがよきかと、兩端(りやうたん)を考ふるに、記し殘し置(おき)なば、用捨(ようしや)は見る人の心にあり。或は又、後年にも其通りの事の出來(でき)て、漸(やうやう)と後(のち)の證(しよう)と成(なる)も有(ある)べければ、記し置(おく)かたや、勝(まさ)るらんとて、斯(かく)は記し得(え)たり。

[やぶちゃん注:「龜鑑」「龜(亀)」はカメの甲を焼いて占った亀卜を、「鑑」は実相を映し出す「鏡」の意。行動や判断の基準となるもの。手本。模範。]

一、抑(そもそも)、古來變異を語らざるは、一つの心得有(ある)事と聞置たり。靈應(れいおう)奇怪は自然の儀(ぎ)にして、再びせよ迚(とて)、出來(でき)ることならず。故を以、變怪を見て狐疑(こぎ)する人多く、更に容(いれ)ざる人も有。又、不思儀[やぶちゃん注:ママ。]を見て能(よく)感伏(かんぷく)なし、幽明三世(いうめいさんぜ)の理(ことわり)迄、悟る人もあり。左(さ)すれば、怪異も又、道を開く事、擧(あげ)て計(かぞ)へ難く、其身(み)を陷(おとしいれ)しも、またまた多かるべし。愼むべき事歟(か)。人、是を眞(まこと)とせば其通り、虛(うそ)とせば其通り、強(しい)て論ずるに非ず、見る人の意(こゝろ)に任(まか)するのみ。呉々(くれぐれ)も、唯(たゞ)此篇は、聞きく)所見る所の違はざらん事を恐れて、文飾なくしるせし而已(のみ)。

[やぶちゃん注:「狐疑」狐(きつね)は疑い深い性質であるとするところから、相手のことを疑うことの意。]

一、此書は思ひ出るまゝ、又は人の語るを聞(きく)まゝ、或は古人の筆記を見るまゝに、記し置(おく)も多く、因(よつ)て時代前後をわかず、混亂にして、殊に十餘年來、書置(かきおき)たるを、前後不次第に綴り上(あげ)、其儘、册子(さうし)となしたる也。元來、此書は、勸善懲惡の爲、子孫に而已(のみ)、示さんと思ひおこして、筆記なしたるなり。去(さ)るに仍(よつ)て、此書の文躰(ぶんてい)は、古今著聞集(ここんちよもんしふ)を擬(ぎ)して書(かき)たるにも非ず、又、新著聞集に似せて書(かき)たるにも非ず、素(もと)より文勢をみがきて筆(ひつ)せしにも非ず、唯、俗通(ぞくつう)而已(のみ)を思ひて深く意を加へず、時に隨ひ筆に任せて寄集置(よせあつめおき)たる迄の事にて、敢(あへ)て著述せしと云(いふ)書に非ず。故を以、勿論、博識の君子に示すべき書に非ざれば、文面等の拙(つたな)きを笑ひ玉ふ事なかれ。

[やぶちゃん注:「古今著聞集」鎌倉中期の説話集。全二十巻。橘成季編で建長六(一二五四)年成立。平安中期から鎌倉初期までの主に日本の説話約七百話を神祇・釈教・政道など三十編に分けて収めてある。

「新著聞集」寛延二(一七四九)年に板行された説話集。日本各地の奇談・珍談・旧事・遺聞を集めた八冊十八篇で全三百七十七話から成る。

「俗通」ごく通俗の談話。]

一、此書は、元來、一つとして虛談と思ふは書載(かきのせ)ずといへども、猶、其所(そのところ)に、噓(いつはり)を云(いふ)人にあらず、或は慥成(たしかなる)事、又は實事也などゝ云置(いひおく)は、猶更、其事の妄(もう)ならざるを示さん爲なり。且、又、話の義理、筋道の外、情態等に至るまで、煩雜を厭はず、其儘に書記(かきしる)せしは、其實(じつ)の貫通(くわんつう)を希(こひねが)ふ老婆心也。よつて鄙俚(ひり)重複(ちようふく)を省く事なし。

[やぶちゃん注:「鄙俚」表現や・内容などが田舎染みていて、賤しいこと。「野鄙」に同じい。]

一、今は昔語(むかしがた)りと成居(なりゐ)たる事、或は古人の筆記成置(なしおき)たるはなし、又は聞傳え置たる話等は、今、是を、再應(さいおう)、訂正せんと欲すれども、如何(いかゞ)とも力の及ばざる事は、捨(すて)て誌(しる)さゞる方(かた)、まさるべけれども、其事を厭ひて、よき話の夫(それ)なりに消失(せうしつ)せんも殘り多くて、書記したるもまゝ有(あり)。見る人、其(その)心し給へ。

一、此書、纔の一事といへども、意(こゝろ)の及ぶ丈(だけ)は訂正して、事實に齟齬(そご)せざる樣に記(すり)し置(おく)なり。然(しか)れども、事、多端(たたん)にして、理(り)も又、極(きはま)りなければ、其事實と違ひ居(ゐ)る事も有べし。是等の分(ぶん)を、自餘(じよ)の條に及ぼし、悉く取(とる)にたらぬと咎むまじ。

一、土俗の口碑は、惣(すべ)て證(しよう)とするに足(たら)ずとも云難(いひがた)きか。朝(てう)にすたれて野(や)に求むともいへば、農夫(のうふ)等の茶呑話(ちやのみばなし)といへる中(うち)に、採用すべき事、少(すくな)からざれば、夫等(それら)の事をも、其儘に記し置ぬ。兎角、此書は自意(じい)を加へず、人の咄(はなし)に任せて、有(あり)の儘(まま)に記すを第一とす。仍(よつ)て田夫野人(でんぷやじん)の鄙辭(ひじ)をも、違はぬ樣に書取(かきとる)を、却(かへつ)て主意とす。

一、人名地名等を記すに、髣髴(ほうふつ)として分り兼(かぬ)る分、又は、其人其名の正敷(まさしく)しれ居(ゐ)たるをも、或人、又は何某(なにがし)、或は其の村などゝ記し置たるもあり。且、文字のしれ兼(かぬ)るは、かな文字(もんじ)にて記(しる)し置(おく)もあり。是、闇推(あんすゐ)のたがひを恐るればなり。

[やぶちゃん注:「闇推」根拠のない問題を生ずるかも知れぬような憶測邪推。]

一、は尾陽(びやう)の産(さん)故、册中(さつちう)に、我(わが)云々(うんぬんん)と書置たるはみな本國の事なり。中年已後(いご)、東都に住(ぢゆう)する事、又、久し。故を以、江戸の事も、又、多し。仍て國を名乘(なのら)ずして、直(ぢき)に地名を云(いふ)ものは、皆、江戸の事なり。

一、は無畢管見(わんけん)、博(ひろ)く書を見されば、先人の論説等(とう)、有(ある)事を辨(わきま)へず、又、古來同樣の談有(ある)事等(とう)も知兼(しりかね)たり。然共(しかれども)、適(たまたま)、見及べるをは、其似類(じるゐ)を擧(あげ)て、後鑑(こうかん)に備(そなふ)るもあり。且、東遊記・西遊記、又は著聞集の類(るゐ)は、人々の座右に有(あり)て知居(しりゐ)る書なれども、童蒙の分り安き爲に、引書(いんしよ)なし置(おく)も有(あり)。強(しい)て意を加(くはふ)るにあらず。

[やぶちゃん注:「東遊記・西遊記」既に本文で示した橘南谿のそれ。]

一、猶、胸中に記臆する奇談雜談等(とう)、少(すくな)からず。且、日々夜々(にちにちやや)、聞(きく)所の珍異も量(はか)りなければ、已後も屢(しばしば)書記(しよき)なすべしと思へども、勤務の餘暇多からざるうへ、自己の俗事、又、多忙。しかのみならず、外(ほか)に志す道も有(あり)て、此册の毛擧(まうきよ)は更に遑(いとまあら)ずといへども、是も又、が癖(へき)にして、思ひとゞめ難し。嗚呼(あゝ)、勞を己(おのれ)に求(もとむ)るも、所謂、因緣にや侍らん。

  嘉永二年【己酉(つちのととり)】夏

  想山齋主人(しやうざんさいしゆじん)誌(しるす)

[やぶちゃん注:今までも何度も述べてきたが、三好六左衛門想山(しょうざん)は尾張藩右筆(ゆうひつ)であった。「外に志す道」というのは個人としての大師流の書家としての精進のことと思われる。最後の書名は原典ではクレジットの下にある。

「嘉永二年」前にも注したが、これが本当の最後の最後の注なので記しておくこととする。一八四九年。想山は翌嘉永三年三月六日に病没する。] 

 

抑(そもそも)靈驗神異の第一は恐多(おそれおほ)くも太神宮(だいじんぐう)の御蔭參(おかげまゐ)りの一條にて、御幣御祓[やぶちゃん注:原本は「拔」。底本の訂正注で特異的に訂した。]の諸國へ降らせ給ふ事、初(はじめ)、種々(しゆじゆ)の奇瑞は申迄もなく、且、國々の人民擧(こぞつ)て參詣なし、惣(すべ)て人氣(じんき)の勇み立(たち)て、攝待施行(せぎやう)等(とう)をなせし奇珍(きちん)等(とう)を、聞及ぶ丈(だけ)、悉く集錄し給ひて、是を奇談の卷首として、五卷となし置給ひつれども、思ふ子細有(あり)て、右の五卷は續ひて上木(じやうぼく)なさばやと暫(しばし)擱(さしを)[やぶちゃん注:以前と同様に原典は「内閣」。やはり底本の訂正注に従って訂した。]き、こたびは、其次册(じさつ)の方(かた)より、斯(かく)上木なし畢(おはんぬ)。

  庚戊(かのえいぬ)孟春

       靑山直意(あをやまなほもと)

[やぶちゃん注:最後の想山の弟子で本書刊行の実質的な功労者であった青山直意の署名は原典ではクレジットの下にある。

「太神宮の御蔭參りの一條」に始まる原形の部分初巻パート五巻が存在したというのである。何度も言うように、我々は、かく本文でも語れらる、六巻目以下の膨大な幻を最早、見ることは出来ないのである。 
 以下、目録を示す。本来ならば、全電子化注を終わっているので、総てにリンクを張ればよいのであるが、気持ちの上でそんなことをする気になれぬほど、この電子化が終わったことに残念さを抱いている。済まないが、ブログ・カテゴリ「怪談集」を開いて当該表題の記事を探してお読み戴きたい。悪しからず。]
 

 

想山著聞寄集卷の壹

   目錄

一出雲大赦遷宮の時、雲出る事

一天狗の怪妙幷(ならびに)狗賓餠(ぐひんもち)の事

一鏡魚(かゞみうを)と名付たる異魚の事

一蛸藥師靈驗の事

一頽馬(だいば)の事

一菖蒲(あやめ)の根、魚と化(け)する事

一毛(け)の降(ふり)たる事

一白蛇(じや)靈異を顯したる事

一狐の行列讎(あだ)をなしたる事

  附 火を燈(とも)す事

一人の金を掠取(かすめとり)たる報ひ、螢にせめ殺さるゝ事

  附 虫ぎらひの事

一吉夢(きちむ)、應(おう)を顯す事 

 

想山著聞寄集卷の貮

   目錄

一品川千體荒神尊、靈驗の事

一猫のもの云(いひ)たる事

一海獺(かいだつ)昇天するを打留(うちとむ)る事

一山𤢖(やまをとこ)の事

一風に倒れし大木、自然と起たる事

一剜拔舟(くりぬきぶね)掘出(ほりいだ)したる事

一鎌鼬(かまいたち)の事

一馬の幽魂殘りて嘶(いなゝ)く事

一辨才天、契りを叶へ給ふ事

 附 夜這(よばひ)地藏の事

一麁朶(そだ)に髮の毛の生(はえ)たる事

一神佛の靈驗にて車に曳(ひか)れて怪我なかりし事 

 

想山著聞寄集卷の參

   目錄

一元三大師(ぐわんざんだいし)誕生水、籾(もみ)の不思議の事

一蟇(ひき)の怪虫なる事

一戲(たはむれ)に大陰囊(おほぎんたま)を賣(うり)て其病氣の移り替りたる事

 附 大陰囊の事

一狩人(かりうど)、異女に逢(あひ)たる事

一七足(しちそく)の蛸、死人を掘取(ごりとる)事

一天色(てんしよく)、火の如く成(なり)たる事

一油を嘗(なめ)る女の事

一金を溜たる執念、死て後(のち)、去來(さりかね)たる事

 幷、陰盜(いんたう)、現罸(げんばつ)を蒙りたる事

一いはな、坊主に化(ばけ)たる事

 幷、鰻(うなぎ)同斷の事

一雹(ひよう)の降(ふり)たる事 

 

想山著聞寄集卷の四

   目錄

一日光山籠り堂不思議の事

 幷、氷岩(こほりいは)の事

一大名の眞似をして卽(そく)罰の當りたる事

一大い成(なる)蛇の尾を裁(きり)て祟られたる事

 幷、強勇(がうゆう)を以、右(みぎ)祟(たゝり)を靜(しづめ)たる事

一美濃國にて熊を捕(とる)事

一死に神の付たるといふは噓とも云難(いひがた)き事

一信州にて、くだと云(いふ)怪獸を刺殺(さしころし)たる事

一雁(がん)の首(くび)に金を懸(かけ)て逃行(にげゆき)たる事

 幷、愚民の質直(しちちよく)、褒美に預りたる事

一耳の大い成(なる)人の事

一龍(りよう)の卵、幷、雷(らい)の玉(たま)の事

一古狸(ふるだぬき)、人に化(ばけ)て來(きた)る事

 幷、非業(ひごふ)の死を知(しり)て遁(のが)れ避(さけ)ざる事

一西應房(さいおうばう)、彌陀如來の來迎(らいがう)を拜して徃生(わうじやう)をなす事

一美濃國須原神社祭事不思議、幷、靈驗の事 

 

想山著聞寄集卷の五

   目錄

一柳谷(やなぎだに)觀音利益(りやく)の事

一蛇の執念、小蛇を吐出(はきいだ)す事

一天狗に連行(つれゆか)れて鐡砲の妙を得來(えきた)りし者の事

一にち蜂(ばち)の酒、幷、へぼ蜂(ばち)の飯(めし)の事

 附 蜂起(ほうき)の事

一馬の言云(ものいひ)たる事

一狸の人と化(ばけ)て相對死(あひたいし)をなしたる事

一磬石(けいせき)の事

一蚫貝(あはびかひ)に觀世音菩薩現(げん)し居(ゐ)給ふ事

一※蚯蚓(はねみゝず)、蜈蚣(むかで)と變ずる事、幷、蜊(あさり)、蟹(かに)と化(け)する事

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「發」。本文のそれも同じ。]

一縣道玄(あがただうげん)、猪を截(きり)たる事

一鮟鱇(あんかう)の如き異魚を捕(とらへ)たる事

一猫俣(ねこまた)、老婆に化居(ばけゐ)たる事

一萬木(ばんぼく)、柊(ひゝらぎ)と化(け)する神社の事

 
[やぶちゃん注:以上を以って「想山著聞奇集」の電子化注を総て終わるが、ヘルン文庫版の原典画像の存在の発見と入手が遅れたため、全体の3分の2近くの読みが私の推定になっていて、原典と異なる(特に「居」を想山は殆ど総てを「ゐる」と読んでいるのを、私は前後の状況から「をる」と推定読みしていること、想山は「有て」を「ありて」「あつて」と二様に読んでいることが後半の読み確認で判明している)。これらの原典未検証部分は後日、必ず行って修正する予定である。]

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