譚海 卷之二 豐後國川太郎の事
○川太郎といふ水族(すいぞく)婦人に淫する事を好む、九州にてその害を蒙る事時々絶(たえ)ず。中川家の領地は豐後國岡といふ所也、その地の川太郎處女に淫する事時々也。その家の娘いつとなく煩ひつゝ健忘のやうになり臥床(ふしど)につく。是は川太郎に付(つか)れたり、力(ちから)なしとて親族かへりみず。川太郎に付るゝ時は誠に醫療術なし、死に至る事なりといへり。川太郎時々女の所へ來る、人の目には見へざれども、病人言語嘻笑(げんごきせう)する體(てい)にてしらるゝ也。親子列席にては甚だ尾籠(びらう)いふべからざるもの也といへり。加樣(かやう)なる事家ごとに有(ある)時は、川太郎を驅(か)る事あり。其法蚯蚓(みみづ)を日にほしかためて燈心(たうしん)になし、油をそゝぎ燈(ひ)を點じ、その下に婦人を坐しめ置(おか)ば、川太郎極めてかたちをあらはし出來(いでく)る也。夫(それ)を伺ひ數人あつまり川太郎を打殺(うちころ)し驅る、如ㇾ斯(かくのごとく)してその害少(すくな)しと云。川太郎など夜陰水邊(みづべ)にて相撲とる事は常の事也といへり。
[やぶちゃん注:「中川家の領地は豐後國岡といふ所也」これは豊後国(現在の大分県の一部)岡藩(おかはん:竹田藩とも呼ばれる)で、藩庁は岡城(現在の大分県竹田市)にあったそれであろう。当時の領地は豊後国大野郡・直入郡・大分郡に跨っており、小藩が分立した豊後国内では最大石高の藩であった。代々の藩主は「中川」氏で参照したウィキの「岡藩」を見ると、「譚海」の内容時制(安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の凡そ二十年間に亙る見聞奇譚)からは、第八代藩主中川久貞か、第九第中川久持であろう。
「その家」の「その」は、川太郎に魅入られた家の、という意味。
「言語嘻笑する」誰もいないのに誰かと物語するように話をしては喜び笑うこと。処女であることから、河童淫猥伝承がある地で発生した、思春期性の心因性精神病の幻覚症状の一種である可能性が高いようには思われる。
「親子列席にては甚だ尾籠(びらう)いふべからざるもの也といへり」所謂、極めて性的な言葉を殊更に発したり、そうした行為を実際にして見せるのであろう。
「驅(か)る」と一応、訓じておいた。所謂、「駆除」「駆逐」で「追い払う」の意である。
「燈心」灯芯。この見えない河童を出現させる呪法は実に面白い。河童関連書ではあまり目にしたことがない。]
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