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« 宿直草卷一 第六 天狗つぶて打つ事 | トップページ | 宿直草卷一 第八 天狗つぶて附心にかゝらぬ怪異はわざはひなき弁の事 »

2017/06/23

宿直草卷一 第七 天狗、いしきる事

 

  第七 天狗、いしきる事

 

 右のはなしの次に、さる侍のいはく、

『我主(わがしう)も日光山の御普請の事承りて、筑紫(つくし)の山にて多く石を切るに、奉行三人云ひ付る内、我も其一人なり。ある夜、つれぐなるまゝに、小屋をいでゝ四方(よも)を見るに、例の山に火ありて、石切る音、高(たか)う聞えり。

「さては相奉行(あいぶぎやう)兩人の談合(だんかう)にて、夜普請を申しつくるにこそ。さてさて心得ぬ事かな。ことに此頃、石工人步(せきこうにんふ)、粉骨のせいを致すに、そのわたくしなし。しかるに夜詰(よつめ)までは情なし。よしまた思ひよるとも、我も奉行なり。したりがほに相談もなく申しつくる段、すこぶる奇怪の事、かつうは、はらぐろなり。意趣をとふて異義に及ばゞ、打ち果すべき。」

と思ひ、小屋にかへりて臥(ふ)す。

 夜あくるを待ちかねて、杖つきの者を使にして、相役(あいやく)兩人のかたへ、

「石の事、日算、用いたし候へば、やがて出來申べきに、いかで、さのみはいそぎ給ふ。夜前、三更まで仰つけられ候こそ、心得がたく侍れ。ことに吾(われ)、不祥なればとて、知らし給はず。隔意(きやくい)さしはさまるゝ段、うらみ入(いり)候。急度(きつと)、返事に聞かさるべく候。」

と云ひつかはしければ、兩人ともに、

「かつて知らず。」

といふ。石切り人步(にんぷ)に問へど、おなじ返事にして、あまさへ、我を胡亂(うろん)に思へり。

 さて、つぎの夜、三人ともに出て見るに、石切る音ありて、火、みえたり。

 あくる日みるに、石の切目(きりめ)は、かはる事なし。

 夜も夜も切る音、十餘日にして、此石、出來ければ、舟につみ、東國へくだせしに、終(つひ)に難風(なんふう)にあふて、遠江灘(とうとうみなだ)にて海底(かいてい)へしづめり。

 さては、此石、用にたつまじき先表(せんひよう)に、かゝる怪異はありけりと、後に思合(おもひあは)せし。』

とかたれり。

 

[やぶちゃん注:前話を採録したのと同じ席で、しかも同じ日光山普請であって、最早、前話の顕在的続話として確信犯で示されている。しかも「天狗礫」を変形した「天狗の石切」という怪異内容でもダイレクトにジョイントしてある。しかも実録怪談としては細部にまで実に気遣いがなされた超弩級にリアルな話であり、この藩を特定出来ないが(後注参照)、或いは、筑紫のある藩史の記載から、日光山普請のための石材の切り出し任務及びそれを運搬した輸送船が遠州灘で沈没した記録が見出され、それをこの話に附帯して示すことが出来たならば、これは恐るべき「本当にあった怪奇事実」として歴史に残る話となるレベルの一章である。こういう強い現実感を持つ怪談は創作性の強い近世の怪奇談物の中では実は珍しく(採録型の著聞奇談集では普通に多くあるが)、歴史的事実や人物に見え見えの齟齬を施す(或いはきたす)ものが殆んどだからである。

「筑紫(つくし)の山」広域としての旧筑紫国は現在の福岡県の東部(豊前国)を除いた大部分に相当するが、七世紀末までには筑前国と筑後国とに分割されている。しかしそれ以降も両国は「筑州(ちくしゅう)」と呼ばれており、筑前国は筑前福岡藩(江戸前期は黒田家)及び支藩として秋月藩と、一時期(本書刊行時と重なる)には東蓮寺藩(直方藩)があり、筑後国は北部が久留米藩、南部の内、現在の柳川市及びみやま市などの大半に当たる地域に柳河藩、大牟田市に相当する地域には柳河藩と親類関係にあった三池藩が置かれていた。この全六藩の内、藩内に石を切り出せるような山があるのが対象藩となるが、山と限定しなければ複数箇所存在する。ぴったり符合する箇所を郷土史研究家の御教授にて俟つものである。

「火」夜作業用の灯火(としか見えぬもの)。

「人步(にんふ)」人夫。

「そのわたくしなし」その粉骨砕身の日々の努力には、工賃目当てなどという私心などは、これ、微塵もない。あくまで御領主様への御奉公という思いでのみ精を出しているのだ。

「夜詰(よつめ)までは情なし」そんな風に昼間、身を粉にして働いている彼らに、残業の、しかも徹夜仕事をさせるなどというのは、あまりにも人として非情極まりない暴挙ではないか。

「思ひよるとも」そうした過剰労働を自分以外の二人或いは一人の奉行人(監督者)が思いついてやらせているとしても。

「かつうは」「且つうは」。副詞で「一つには・一方では」の意。「且つは」の音変化。

「はらぐろ」「腹黑」。

「杖つきの者」山案内の者の謂いであろう。

を使にして、相役(あいやく)兩人のかたへ、

「日算、用いたし候へば、」予定通りの日程で普通に作業をやって御座れば。

「三更」子の刻相当。現在の午後十一時又は午前零時からの二時間を指す。

「ことに吾(われ)、不祥なればとて」主人公は他の二人の奉行とはこの石切作業の奉行人となる以前には殆んど面識がなかったということ。

「隔意(きやくい)」対人間に於いて内心に有意な隔たりがあること。まるで打ち解けないこと。要らぬ遠慮。

「急度(きつと)」即刻、きっちりと、必ず。

「石切り人步(にんぷ)に問へど」業を煮やした主人公は恐らく、翌日、昨夜、音のしたところの石切り現場に実際に行き、その人夫に直接、徹夜した事実を糺したのである。でなければ、彼らが主人公を胡乱(うろん)に思うこと、「何、訳わかんないこと、言ってんだ? 徹夜仕事なんぞしてねえのに。」と逆に疑わしく怪しむことはないからで、この辺りこそ、映像的で優れたリアルな描写であると言えるのである。

「三人ともに出て見るに」主人公の体験を猜疑していた他の二奉行を主人公は自分の小屋に招き、実地にその不審を晴らしたのである。それぐらいのことを相奉行らに要求するぐらい、主人公は頭に血が上っていた、怒り心頭に発していたのである。よろしいか? でなければ、彼らを「はらぐろなり」と断じ、「意趣をとふて異義に及ばゞ、打ち果すべき」とまでは思わぬ

「あくる日みるに、石の切目(きりめ)は、かはる事なし」ところが、三人して前夜に火と石切り音を皆で確認した場所に行ってみると、前日の夜になる前に終了した折りの石の切り跡は、全く変化していなかったのである。書かれてはいないが、複数の人夫に直接、その一帯総てを検分確認させたのであろう。

「夜も夜も」それ以降も毎夜毎夜。

「十餘日にして」そんなことが十日余り続いたちょうど、その頃。

「此石、出來ければ」実際の人夫らによる切り出し作業が終わったので。但し、予定の作業日程通りではなく、藩主の怒りを買わない程度には遅れたものと推定する。何故なら、この深夜の石切り音と灯火という怪異は誰よりも実地作業をする人夫らが知って、「山怪」として恐怖し、作業の遅滞や混乱がなかったはずはないからである。

「難風(なんふう)」船の航行を困難たらしめる暴風。海上の疾風(はやて)。

「遠江灘(とうとうみなだ)」所謂「遠州灘」であるが、これは広義には東海地方の太平洋岸沖合の東西の広い海域、伊豆半島先端の石廊崎から現在の三重県大王崎に至る約百八十キロメートルの海域を呼称し、狭義にはその中でも駿河湾の西に突き出る御前崎から渥美半島西側の伊良湖水道までを限定し、現行では「遠州灘」というと後者で認識されているが、ここは怪異のスケールを大きく採るために是非、前者で採りたく思う。

「先表(せんひよう)」歴史的仮名遣としては「せんへう」が正しい。「せんべう」「せんぺう」とも読み、「前表」とも書く。ある物事の起こる前触れ。前兆。]

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