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2017/07/17

宿直草卷四 第四 狼に喰はるゝ者ゝ事

 

  第四 狼に喰はるゝ者ゝ事

 

Ookaminikuwarerusyoujyo

 

[やぶちゃん注:底本の挿絵を亡くなった少女のために清拭、前後左右の枠も除去した。]

 

 京より有馬へ通る道に、牧(まき)と云ふ所、芝といふ村あり。

 元和(げんわ)五年の冬、牧の里より、十二になる姉と、九になる妹(いもと)を、芝の紺屋(こんや)へ染物、取りに遣る。

 行きて、かの蘇芳染(すはうぞ)めの木綿の、いとゞ赤きを小桶(こおけ)に入(いれ)、姉が頂(いたゞ)きて歸る。見るから、肉叢(しゝむら)の如し。頃しも、師走の下の弦(ゆみはり)、霙(みぞれ)痛ふ降(ふり)て、風も激しかれば、田長(たをさ)も宿に手を拭(ふ)き、遠方人(をちかたひと)も憩(いこ)ひけるにや。常は櫛の齒挽(ひ)きて人通ふ路(みち)に、其日は途絶えて侍るに、狼、出て、妹には構はず、かの染物持ちたる姉に跳びつきて道を遣らず。泣けど叫べど、助くる者なし。

 其うち、妹、家に歸り、

「姉はべゞがゐて通さぬ。」

といふ【べゞとは牧唱(ぼくしやう)に小牛(こうし)を云ふなり。】。親、聞(きき)て、

「なになに。狼ならん。」

と飛んで行く。

 人々も跡より行きしに、案のごとく、狼、娘を喰らふ。

「やれ。」

とて、走り寄るにぞ、そろそろと狼は逃げぬ。驚きたる躰(てい)もなく、南の山、指して行く。え取(とる)も止(とゞ)めず。

 親は、それにも構はず、娘にとりつき嘆けども、最早、脇の下より、腸(はらわた)引き出(だ)して喰らへり。

 物も云はず、瞬(またゝ)き、暫(しば)しゝて、遂に空しくなる。

 

[やぶちゃん注:これは怪談ではなく、リアルに凄惨な実録物である。――最後の一行、何か、ひどく哀しい。十一の少女の黙ったままに哀しげな末期の瞬きをするその顔の――クロース・アップが――見える――

「京より有馬へ通る道に、牧(まき)と云ふ所、芝といふ村」「京より有馬へ通る道」といういう言い方から考えると、「牧」は現在の大阪府豊能(とよの)郡豊能町(ちょう)牧(まき)附近か((グーグル・マップ・データ))。但し、「芝村」或いは「芝」という地名は同地区周辺には現認出来ない。ここら一帯はグーグル・マップの航空写真で見ても、山間部で確かに狼が出没してもおかしくはない。

「元和五年の冬」「師走の下の弦(ゆみはり)」「元和五年」の「師走」は既に一六二〇年である(旧暦十二月一日がグレゴリオ暦一六二〇年一月五日)。「下の弦」は旧暦二十三日以降で、元和五年師走の二十三日は一六二〇年二月十四日である。当月は大の月であり、話柄中には大晦日直近の描写はないから、元和五年十二月二十三日から二十八日(グレゴリオ暦二月十九日)ぐらいまでの閉区間を本話の時制と比定することが出来る。これだけをとっても非常なリアリティがあるのである。これはなお、当時は徳川秀忠の治世である。

「蘇芳染(すはうぞ)め」マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科ジャケイツイバラ連ジャケツイバラ属スオウ Caesalpinia sappan の心材や莢から赤色染料(ブラジリン)が精製される。本種はインド・マレー原産で本邦には植生しないが、顔料として奈良時代頃には渡来しており、独立した染料として使用されていた。ここで荻田は「見るから」に「肉叢(しゝむら)の如し」と血に塗れた肉の塊りのようであると描出しているが、これは「今昔物語集」の「巻第二十七」の「仁壽殿臺代御灯油取物來語第十」(仁壽殿(じんじうでん)の臺代(たいしろ)の御燈油(おほんとなぶら)を取りに物の來たる語(こと))[やぶちゃん注:「臺代」は「對代」で渡殿(わたどの)のこと。]では、

   *

[やぶちゃん注:前略。]物は南樣(みなみざま)に走り去(い)ぬ。辨[やぶちゃん注:醍醐天皇に物の怪の退治を命ぜられた主人公源公忠(きんただ)の官職名。]は返りて、殿上にて火を燈(とも)して足[やぶちゃん注:自分の足。この前のシーンで公忠は物の怪を蹴り上げている。]を見れば、大指(おほおよび)の爪(つめ)、𡙇(か)けて、血付きたり。夜暛(よあ)けて、蹴(くゑ)つる所を行きて見ければ、朱枋(すはう)色なる血、多く泛(こぼ)れて、南殿(なでん)の塗籠(ぬりごめ)の方樣(かたざま)に、其の血、流れたり。塗籠を開て見ければ、血のみ多く泛れて、他の物は無かりけり。[やぶちゃん注:後略。]

   *

と、毒々しい凝固しかけた物の怪の血の色の形容として現われている。

「頂(いたゞ)きて」頭の上に載せて。頭上運搬は本邦では専ら女子の荷の運搬法として、古墳時代から各地で行われている。

「田長(たをさ)」田の主。田夫(でんぷ)。百姓。

「遠方人(をちかたひと)」この「遠方」は視覚的に有意な距離を持った「向うの」の謂いであろう。少し離れた田畑や行く道の先の方にも全く人影が見えないのである。

「櫛の齒挽(ひ)きて」櫛の歯は一つ一つを細かく丹念に、ごく小さな鋸(のこ)で挽きいて作ったことから、物事や対象が絶え間なく連続することを意味する。

人通ふ路(みち)に、其日は途絶えて侍るに、狼、出て、妹には構はず、かの染物持ちたる姉に跳びつきて道を遣らず。泣けど叫べど助くる者なし。

「姉はべゞがゐて通さぬ」「べゞとは牧唱(ぼくしやう)に小牛(こうし)を云ふなり」「べゞ」「日本国語大辞典」の「べべ」に本意項目の③で『子牛』として雑俳の例文を掲げ、方言の項でも『牛の子。子牛』とし、淡路島・島根・広島・山口・福岡・長崎・五島列島・壱岐・熊本・天草の採集地を挙げる。「牧唱」は牧人(まきびと:牛飼い・牧畜業者)や農夫が普段の会話で使う呼称。妹は満で八つばかりで狼を知らないのである。

「え取(とる)も止(とゞ)めず」その悠然と山へ帰ってゆく狼を捕えることさえも出来なかった。

「それにも構はず」「それ」は襲った狼を手もなく山へ帰してしまったことを指すが、ここは寧ろ襲った狼「どころではなく」のニュアンスである。]

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