譚海 卷之二 同國宿運寺古錢土中より掘出せし事幷小金原三度栗の事
○同國宿運寺といふ村の堤をこぼちたる時、古錢七貫文程出たり、皆古代の錢也、是も同じ比の事也。又同國こがねがはらに三たび栗と云(いふ)樹あり、豐年に二三度みのる、實は小き栗なり、風味甚(はなはだ)美也とぞ。
[やぶちゃん注:「同國」前の「下總國利根川水中に住居せし男の事」を受ける。
「宿運寺」不詳。情報が少な過ぎて、比定候補も出せない。但し、後注「こがねはら」を参照のこと。
「七貫文」本書の成立は江戸後期(寛政七(一七九五)年自序)で、当時、例えば少し後に出る万延小判一両は十貫文で、ネットの信頼出来る換算サイトで現在の六万六千円相当でるから、四万六千二百円相当となるが、使用出来そうもない古代銭なので、実換算価値は半分以下か。或いは江戸の好事の蒐集家はもっとずっとずっと高額で買い取ったかも知れぬ。
「是も同じ比の事也」やはり前話を受けるから、安永年間(一七七二年から一七八〇年まで)。第十代将軍徳川家治の治世。
「こがねはら」現在の千葉県松戸市小金原であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。この記事を並置するからには、前の「宿運寺」なるものもこの近くにあると考えてよいであろう。
「三度栗」天津甘栗で知られるブナ目ブナ科クリ属シナグリ Castanea mollissimaの一品種Castanea
mollissima cv.(cultivar:ラテン語:クルティヴァール:品種)らしい。花は五月からずっと咲き続け、新しく伸びた枝先には必ず花を咲かせ、枝が伸びている間はずっと花が見られ、雌花が出れば結実し続ける。通常の栗の木が実を落としてしまった後もずっと栗の実をつけていることなどから、年に三度も実をつけるとされて「三度栗」と呼ばれ、これに関する諸伝説が各地に残る(主に弘法大師伝承絡みが多い)。ウィキの「三度栗」を参照されたい。]