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2017/07/24

宿直草卷四 第十六 智ありても畜生は淺ましき事

 

  第十六 智ありても畜生は淺ましき事

 

 京大佛に牢人あり。ある時、狐を釣り初(そ)めて、數々獲りけり。一の橋、今熊野(いまぐまの)、法性寺(ほつしやうじ)の邊(ほと)り、大方(おほかた)輪繩(わな)かけぬ所なし。

 此(この)邊(あた)りに毛色も變はる老(おひ)の狐あり。輪繩の餌(え)に焦がるれども合點(がてん)して、かゝらず、合點しても、又、寄る。何(いづ)れ堪(こら)へ兼ねたる躰(てい)には見えたり。牢人も、たびたびなれば、此狐を見知りて、

「何時(いつ)ぞは釣らん。」

と思ひ、輪繩、止(や)まずも、かけたり。

 また其比、大佛の在家(ざいけ)に端(はし)少し借りて學問をする台家(たいけ)の僧あり。此人、ある深更に帙(ちつ)を開き、見臺(けんだい)にして博覽するに、

「ぞ。」

と怖くなる。やがて火影(ほかげ)に顧みれば、綿帽子(わたぼし)、被(かぶ)れる婆(ばば)あり。

 不思議に思ひ、

「何者ぞ。」

と云へば、

「我は此邊りに住む狐にてさふらふが、賴みたきいはれさふらひて參りたり。」

と云ふ。僧、聞(きき)て、

「如何なる事ぞ。」

と云へば、狐の云(いはく)、

「御僧の知り給ふ、その牢人有(あり)て、輪繩をかけて、我(わが)眷屬、大方(おほかた)、釣り、我のみ、殘れり。知らず、我もまた、何時(いつ)か釣られん。願はくは、御僧、戒めて、輪繩かけぬやうに聞かせ給へ。然らば、我(わが)覺え候通りの學問、大小乘ともに、御僧に悟(さと)さしめん。此約束せんために參りたり。」

と云ふ。

 僧、聞きて、

「易き事なり。輪繩の事は、我(われ)、切(せち)に止(と)めなん。さて、訝しきは、輪繩にはかゝる物と知らば、如何(いか)で其心にてかゝらぬやうにせざる。我を賴むまでなし。愚かにこそ侍れ。」

と云ふ。狐の云はく、

「我も、今の心にては、さこそは思ひさふらへ。餌(え)を見て堪(こら)へ難く、其時になりて迷ふが、畜生の淺ましき性(しやう)なり。三才(さんさい)の最靈(さいれい)、萬物(ばんぶつ)の最長(さいちやう)たる人の身は、その心、保(たも)ちあり。我に於ゐて、保たれず。」

と云ふ。

 僧の云はく、

「然(しか)らば、汝、大小乘の渉獵(しやうれう)、我、曾て信(しん)なし。鳴呼(おこ)がましく覺ゆれ。」

と云ふ。狐の云はく、

「尤(もつとも)なり。我、昔、僧たりし時、學べり。僻解(へきげ)にして此身を受く。爾(しか)はあれど、智は、これ、萬代(ばんだい)の寶(たから)、八識不忘(はつしきふまう)の田地(でんぢ)に納(おさ)む。師、訝しくは、試みに問へ。」

と云ふ。

 僧、やがて、金胎兩部(こんたいりやうぶ)の極致(ごくち)、三諦圓融(さんたいゑんゆう)の妙理を問ふに、果して台密(たいみつ)の極談(ごくだん)、その辨(べん)、懸河(けんが)なり。

 僧の云はく、

「其智を以つて、などか、その身を受けしや。」

狐の云(いはく)、

「我、法體精修(ほうたいしやうしゆ)の遑(いとま)、智ありて、德なし。故(かゝるゆへ)に此身を受く。今、はた、家家(けけ)の比丘、智、有共(ありとも)、寧(むしろ)、德、無くんば、皆、野狐性(やこしやう)なり。」

僧の云はく、

「智と德と別(べち)なりや。」

狐の云はく、

「亦離亦合(やくりやくがう)、間(ま)に髮(はつ)を入れずして、また更に、呉越を隔つ。これ、我が悞領(ごれう)。あゝ、それ、察せよ。」

と云ふ。

 僧の云(いはく)、

「世に、また、汝が如き人、多きや。」

と云ふ。狐の云(いはく)、

「道、多岐(たぎ)にして、羊を失ふ。誤まる人、それ、雲のごとく、霞に似たり。」

と云ふ。僧、驚きて已(や)む。

「明(あけ)なば、輪繩止(や)めしめ給へ。」

とて、狐は諾(だく)して去りけり。

 僧、翌日、かの牢人の許(がり)行くに、外(ほか)へ出(いづ)る。

 またの日、行かんとするに、僧の旅屋(たびや)に客あり。

 その亞(つぐ)の日、行きて牢人に語る。

 牢人、聞きて、

「それは。昨夜(ゆふべ)、釣りたり。年頃かゝり難(がた)かりしが、さては御袖まで約束し、『輪繩は早や無し』と心緩(こころゆ)りて、かゝりつらん。」

と云ふ。僧、

「さては。我、殺したり。」

と、泪(なみだ)流し、呆れて歸りしなり。近き事とや。

 思ふに、この狐は、隔僧則忘(きやくしやうそくまう)を逃がれり。その上(かみ)、尊(たと)き階位か。

 また、世はもとしのび、此話に付(つけ)、百丈師(ひやくぢやうし)を思へり。

「火影(ほかげ)の夜話(やわ)に、など、此僧、教化せざるや。甲斐なきばかり本意(ほい)なし。」

と云へば、意(こゝろ)、答へて云はく、

「釣られたる時、幻滅ならんか。」

と。我、無訶有(むかゆう)の郷(さと)に高枕(かうしん)す。

 

[やぶちゃん注:妖狐譚連投。狐ではないが、狸の設定で非常に良く似た内容が後半で語られる、私の好きな一篇『「想山著聞奇集 卷の四」「古狸、人に化て來る事 幷、非業の死を知て遁れ避ざる事」』を私は既に電子化注している。未読の方は是非、読まれたい。

「京大佛」「大佛」は京都の地域通称。岩波文庫版の高田氏の注には『東山山麓より鴨川まで』を指し、天正一四(一五八六)年に『秀吉が天台宗方広寺を建立してからの呼称』とある。方広寺大仏の建立経緯と消失については、ウィキの「方広寺」を参照されたい。方広寺と東山(方広寺の東北)、ここで言う「大仏」地区を含むと推定される地域をグーグル・マップ・データで示しておいた。

「牢人」浪人。

「一の橋」現在の東山区の本町通に掛かっていた橋。東山泉小中学校西学舎のグラウンドに移築されて残る。この中央付近か(グーグル・マップ・データ。「一橋宮ノ内町」「一橋野本町」の名が残る。方広寺の南西直近である。示した地図のポイントは東山泉小中学校西学舎)。

「今熊野(いまぐまの)」「一つ橋」の南東直近の現在の新熊野(いまくまの)神社や今熊野(いまくまの)観音寺のある一帯の呼称。現在も町名の頭に「今熊野」を冠する地名が複数残る。ここ(グーグル・マップ・データ)。現行は清音。

「法性寺(ほつしやうじ)現在の東山区本町にある浄土宗大悲山法性寺附近(この寺は後身であって本来の法性寺ではない)。岩波文庫版の高田氏の注には『藤原氏寺。伏見街道から東山山麓の広大な地域を占めていたが応仁の乱で亡び、耕地化した』とある。今熊野の南直近附近。現在の法性寺はここ(グーグル・マップ・データ)。この話柄内時制は方広寺大仏が存在した安土桃山時代まで遡らせる必要はなく、以上の地域に狐が多数棲息していたというのであるから、江戸初期設定で問題はないように思われる。

「輪繩(わな)」(足)くくり罠。狐が餌に誘われて踏み込んだとたんに脚部が輪状の繩で絞められるタイプのもの。

「大佛の在家(ざいけ)」方広寺のある辺りの民屋の意。

「台家(たいけ)」天台宗。なお、天台宗の「台」は「臺」とは別字なので注意されたい。

「見臺(けんだい)にして」書見台に置いて。

「綿帽子(わたぼし)、被(かぶ)れる婆(ばば)あり」何故、こんな恰好に化けて出て来るのであろう。狐の嫁入りの映像的パロディを狙ったものか?

「いはれ」「謂れ」。理由。わけ。

「大小乘」大乗仏教及び小乗仏教の全教学の奥義。

「三才(さい)」天・地・人(三極(さんきょく)・三儀)で宇宙の万物の意。

「最靈(さいれい)」最も優れた霊魂を持つ存在である。

「渉獵(しやうれう)」ここは広汎の智を捜し求めて無数の経典を漁(あさ)り読むことによって得た仏法の奥義。

「我、曾て信(しん)なし」その謂いを受けては、いっかな、拙者にはそなたの申すことに信を持つことが出来ぬ。

「鳴呼(おこ)がましく覺ゆれ」差し出がましいだけでなく、全く以って馬鹿げた申しようとしか感じられぬ。

「僻解(へきげ)」岩波文庫版の高田氏の注には『自分勝手で偏った理解』とある。「びゃくげ」とも読む。似た熟語に「僻見」(公平でない偏った見解・偏見)がある。

「八識不忘(はつしきふまう)の田地(でんぢ)に納(おさ)む」岩波文庫版の高田氏の注に、『唯識大乗の見地から、小乗仏教を合せて、人間の持つ八種の悟性をいう。「田地」はそれを納める心』の意、とある。八識(「識」は純粋な精神作用を指す)は四世紀のインドで興った瑜伽行唯識学派によって立てられたもので、眼識(げんしき)・耳(に)識・鼻(び)識・舌(ぜつ)識・身(しん)識(皮膚感覚認識)・意識(以上の生理的外界認知器官による五感の前五識と区別される第六番目の「識」。「心」或いは所謂「第六感」と捉えて問題はあるまい)・末那識(まなしき:意識の深層で働く自我執著の意識・心)・阿頼耶識(あらやしき:宇宙万有の展開(生成と消滅)の根源とされる心の最奥にある真理主体。万有を保って失わないところから「無没(むもつ)識」、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子(しゅじ)を蔵するところから「種子識」とも称する)を指す。

「訝しくは」「訝(いぶか)しくば」。

「金胎兩部(こんたいりやうぶ)」真言密教の教主である、宇宙の実相を仏格化した根本仏である大日如来の真実相を二つの側面から表わしたもの(もともと一切の現実の経験世界の現象はこの如来そのものであるとされる)。金剛界(大日如来を智慧の面から表わした世界観。如来の智徳は如何なるものよりも堅固で、総ての煩悩を打ち砕くことに由来する名とされる)と胎蔵界(大日如来を本来的な悟りである理性(りしょう)の面から表わした世界観。理性が胎児の如く慈悲に包まれて育まれてあることからの名とされる)。

「三諦圓融(さんたいゑんゆう)」岩波文庫版の高田氏の注には『天台に説く』思想で、『「諦」は真理の意で空・仮・中三諦に解釈されるが、本来』、『真実としては区別がなく絶対的同一であること』を言う語とある。「三諦」の空諦・仮諦・中諦はこちらで既注。

「極談(ごくだん)」極意。

「辨(べん)」論説・主張。

「懸河(けんが)なり」「懸河」は傾斜が急で流れが速い川の意であるが、「懸河の弁」(「晋書」の「郭象傳」が典拠とされる)で「奔流のように澱みなく話し語ること・雄弁」に譬える。岩波文庫版の高田氏の注には『とどこおることなく、すらすらと語った』とある。

「その身」輪廻転生で受けた狐という畜生の身。

「法體精修(ほうたいしやうしゆ)」僧侶として修行と教学の習得に精勤すること。

「遑(いとま)」ほっと気を抜いた折り、ぐらいの意味であろう。その時に「僻解」や慢心が、完成された「仁」を持たない、即ち、あるべき人徳がなかった彼の意識を致命的に侵犯してしまったというのである。

「野狐性(やこしやう)」禅で言うところの「野狐禅(やこぜん)」と同義。ウィキの「野狐禅」によれば、『「仏法は無我にて候」として真実の仏陀は自我を空じた無我のところに自覚体認されるはずのものなのに、徒(いたずら)に未証已証』(みしょういしょう:未だ証していないのに既に証覚を得た認識してしまうこと)という『独り善がりの』誤った理解を正統と誤認することを指す。なお、後で注する中でリンクした淵藪野狐禪師訳注「無門關 二 百丈野狐」も参照のこと。「野狐禅」の出典はそれであるからである。

「亦離亦合(やくりやくがう)」岩波文庫版の高田氏の注には『つかずはなれず、の意』とある。教学でしばしば用いられる語である。

「間(ま)に髮(はつ)を入れず」「間(かん)、髪(はつ)を容(い)れず」。「説苑 (ぜいえん)」の「正諫(せいかん)」が典拠。間に髪の毛一本も入れる余地がない意で、少しの時間も挟まぬさま。「かんぱつ」と続けるのも破裂音にするのも孰れも誤りであるので注意されたい。

「呉越を隔つ」岩波文庫版の高田氏の注に、『極めて相容れ難いこと』とある。

「悞領(ごれう)」致命的に誤まっての了解すること。「悞」は「誤」と同義。

「道、多岐(たぎ)にして、羊を失ふ」「亡羊(ぼうよう)の歎(たん)」。学問の道はあまりに広汎にして多岐に亙っているために、容易に真理を捉えることが出来ないことの譬え。「列子」の「説符」の「第八 二十四」に基づく。頭の当該事実部分のみを引いておく。

   *

楊子之鄰人亡羊、既率其黨、又請楊子之豎追之、楊子曰、嘻亡一羊、何追者之衆、鄰人曰、多岐路、既反、問獲羊乎、曰亡之矣、曰奚亡之、曰岐路之中又有岐焉、吾不知所之、所以反也。

   *

 楊子[やぶちゃん注:楊朱。春秋戦国時代の思想家で個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張した。老子の弟子と伝える。]の鄰人、羊を亡ふ。既に其の黨(なkま)を率(ひき)ゐ、又た楊子の豎(じゆ)[やぶちゃん注:小僧。若い下僕。]を請ひて之を追ふ。楊子曰く、

「嘻(あゝ)、一羊を亡へるに、何ぞ追ふ者の衆(おお)きや。」

と。鄰人曰く、

「岐路多し。」

と。既に反(かへ)る。問ふ、

「羊を獲たるか。」

と。曰く、

「之を亡ふ。」

と。曰く、

「奚(なん)ぞ之を亡へる。」

と。曰く、

「岐路の中に、又、岐(き)有り。吾(われ)、之(ゆ)く所を知らず、反る所以なり。」

と。

   *

「隔僧則忘(きやくしやうそくまう)」「隔生則忘」の誤り。「隔生即忘」とも書く。人が輪廻転生して、再びこの世に生まれ変わる際には、前世のことはその一切を忘れ去っていることを指す。

「世はもとしのび」意味不明。「予は本偲び」で、「私は(この話を聞いて、その)本(質的な部分から)偲ばれるところ(の話があった)」として以下に続くか? 識者の御教授を乞う。

「百丈師(ひやくぢやうし)」唐代の優れた禅僧百丈懐海(ひゃくじょうえかい 七四九年~八一四年)。西山慧照の下で出家、南嶽の法朝律師より具足戒を受けて広く仏教を学び、馬祖大師に参じてその法嗣となった。江西省の大雄山(「百丈山」とも呼ぶ)に大智寿聖寺(だいちじゅしょうじ:「百丈寺」とも呼ぶ)を建立、禅風を鼓吹し、かの黄檗希運など多くの弟子を育てた。ここはしかし、百丈和尚に纏わる最も有名な公案の一つで私の大好きな「百丈野狐」のことを指している。幸い、私の古い仕儀、淵藪野狐禪師訳注「無門關 二 百丈野狐」で電子化しているので、是非、参照されたい。なお、淵藪野狐禪師訳注「無門關」はその全篇をサイトでも公開している

「火影(ほかげ)の夜話(やわ)に、など、此僧、教化せざるや。甲斐なきばかり本意(ほい)なし。」筆者は、妖狐がやって来た際に、その燈明の光りの射す永い夜話し(狐は大乗小乗の奥義を語ったのだから相当に時を尽くしたはずである)の中で、どうしてこの僧はその妖狐を教化(きょうげ)してやり、その場で直ちに救ってやらなかったのか?! と僧の方を強く純理性的に批判しているのである。翌日、浪人の所へ行こうとしたが、何故か外の所へ行ってしまったこと(用があったかなかったさえも述べていない)、次の日は客があったから行かなかったこと(遅くなっても、或いは、中座しても行くことは出来た。そもそもがだ! 彼の住まいと浪人の居所は方広寺のそばでごく近いのである!)など、どうみても、この坊主、ダメでしょう! 「さては。我、殺したり。」と慚愧の念に襲われて当たり前田のクラッカーやん!!!

「意(こゝろ)」先の「識」ではないが、かくも筆者の「智」の意識の表層では批判していたのだが、より心の深層に於いては、の意であろう。但し、これは公案の答え方や書法に似ているように思われ、先の「無門關」に見るような公案への答え或いは「頌」に当たるようなものとも考え得る。

「釣られたる時、幻滅ならんか。」「浪人に捕えられたその瞬間に、煩悩も執着の何もかも消滅したのではあるまいか。」。

「無訶有(むかゆう)の郷(さと)」一般には「無何有(むかう)の郷」と表記してかく読む。読みは「むかゆう」でも誤りではない。「荘子」の「應帝王篇」に由来する語で、「自然のままであって何の人為も加わらない理想郷(ユートピア)のこと。ここはただ楽しい夢を見る安眠の譬えでしかない。

「高枕(かうしん)す」岩波文庫版の高田氏の注に『熟睡した』とある。]

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