宿直草卷四 第七 七人の子の中も女に心許すまじき事
第七 七人の子の中も女に心許すまじき事
耳馴れたる話に、ある人、娘を持つ。家に白犬あり。
娘に小便(せうべん)やる度(たび)に、かの白犬を呼びて、
「掃除せよ。此娘は己(をのれ)が妻ぞ。」
など戲(たは)れければ、犬も尾を振りて來たる。
かくて、娘、長(ひとゝな)りて、言立(ことた)つべき比(ころ)、媒酌(なかだち)すべき人、一間所(ひとまところ)にて、緣(よすが)定むべき談合などすれば、此犬、見て、其人の歸るを待ちて、咬(か)みつく。
餘(よ)の人とても、緣(えん)の事、言ふをば、かくの如く、咬みければ、
「由無(よしな)し。」
とてうち捨て、娘の嫁(か)すべきやうなし。
殊に起き臥しともに、娘を思ひ入(いれ)たる體(てい)、凄(すさ)まじくぞ見えし。
親、悲しく思ひ、相人(さうにん)を呼び、卜(うら)を賴みければ、
「此犬、思ひ入れしなり。殺すとも、又、執心、止む事なし。はかなきは、母、あひたてなくも、『汝が妻ぞ』など云ひしを、畜生ながら、聞止(ききとゞ)めけるにや。一度(たび)は語らはせでは叶(かな)ふまじ。方見(うたてく)こそ。」
と云ふ。
親、聞き、涕(なみだ)流し、
「さては。力無し。」
と娘に語れば、敢へて歎く色もなし。
「我に似たる畜生にこそ。」
と、途離(とばな)れたる山に家を作り、犬、諸共(もろとも)に遣(つか)はしけり。
しかるべき因果なめれ、さぞな、添ひ臥(ぶ)しも異(い)な物にあらなん、あたら、よすがの狹筵(さむしろ)も、私語(さゝめごと)もあるべきか、聞くも氣の毒、如何にことふたならであるべきや、橫行(わうぎやう)の者と竪行(しゆぎやう)の袖の語らひ、これなん、耳に鼻かみ、竹に木を接(つ)ぐ例(ためし)ならまし。
かゝる馴染みも薄からで、狐・狸・雉子・兎樣(やう)の物、獲(と)り歸れば、女(をんな)は市(いち)に持(も)て出(いで)、代(しろ)なしつゝも日を送れり。宿世(すぐせ)の約束、淺ましく侍る。
ある時、山伏有(あり)て、此山を過(よぎ)る。並べし軒(のき)も見えなくに、その姿優しき女、もの待つ風情(ふぜい)に見えたり。猶、過(すぎ)がてに立寄(たちよ)り、
「如何におことは誰が問ふてこの山には住(すみ)給ふ。」
と云ふ。女、
「我にも夫(をつと)の候(さふら)ひて。」
と云ふ。
山伏、つくづく聞(きき)て、
『花ならば手折(たをり)、雪ならば捏(つく)ねんに。』
と、一二(ひとふた)云ふ言葉(ことのは)の露も、我(わが)戀草(こひぐさ)に置き餘り、搔き亂したる浮き草の、心の水に誘ひ行(ゆく)、情(なさけ)の渕(ふち)も淺からで、深き契りも結(むす)びたく思ひければ、
「さて。其(その)語らひ給ふは、何處(いづこ)にて、如何なる人ぞ。」
と尋(たづぬ)れば、云はでもと思ふ顏(がほ)に、
「恥づかしながら、犬に契りて侍る。」
と云ふ。
「さては。さうか。」
と、さらぬ體(てい)にて立ち出(いで)、
『この女、犬に添はすべきやうこそ、なけれ。』
と、ある所に待ち居(ゐ)しに、例の犬、見えたり。
『さらばこれなるべし、殺さん。』
と思ひ、峒(ほら)に隱れて待居(まちゐ)る。
犬、更に知らず。
謀(はか)りすまして、たゞ一刀(ひとかたな)に打ち殺し、骸(から)は土に埋(うづ)め、日を經て、彼處(かしこ)に又、訪(とふ)らふ。
女、例(れい)ならず欺く。
空(そら)知らずして、
「何を悲しび給ふぞ。」
と云ふ。
「さればとよ、これこれなり。たゞ假初(かりそめ)に立ち出(いで)て、今日(けふ)、七日になり侍り。行衞(ゆくゑ)思はれ候ぞや。」
と、淚とともに語る。
「さては。さやうに候か。猶、行く身より、殘りし御身の、如何(いかゞ)なり給はん。愛(いと)をしくこそ。」
と云ふ。
「さてしも、悔(くや)む甲斐もなし。我、未だ定まりし妻もなし。來たり給はゞ、誘ひ行かん。」
と云ふ。
女も賴りなき身なれば、その心にまかせて、長く添ひ侍り。
年の矢も數(かず)經(た)ち行けば、子を七人まで儲(まふ)けたり。
山伏、ある夜、語らく、
「御身が添ひし白犬は、かく語らひたきまゝに、我、殺し侍る。」
と語る。
心の下紐(したひも)うち解(と)けしは、はかなくぞ、侍る。
女、つらつら、これを恨み、遂に山伏を殺せり、となり。
故にこそ、女には心許さぬと語れり。
振り分髮(わけがみ)を比べ來(こ)し、幼な馴染みを忘れぬは、殊勝(すせう)にこそ侍れ。「三瀨(みつせ)の川に瀨蹈(せぶ)みして、手を取りて渡すは、初めて逢ふ男(おのこ)なり」と世話(せわ)にも云ひ習(なら)はせり。
また、咲く花はうつろひて、昔に及ぶばぬ色香なれば、散り失せしを惜しむ業(わざ)、いとあらまほし。まさなき枝を手折(たをり)つゝ、色に鳴海(なるみ)の秋風までも、心多(おほ)ふ插(かざ)ず人は、袖時雨(しぐ)るゝ業(わざ)なりけらし。
さればとて、後に添ふを、かくの如く殺す、良きにはあらず。添ふからは、傅(かしづ)くべきなり。世の尻輕(しりがる)なる女に聞かせてしがな。由無き方(かた)に心通(こころかよ)ふ。稀に知れずして、たまたま命あるも、猶、古めかしの調度(でうど)なんど、あち荷(に)なひ、こち運び、いとゞ卯月(うつき)の一日に、恥に近江(あふみ)の筑摩祭(つくままつ)りに、被(かづ)ける鍋(なべ)の、數(かず)、幾つならん。
[やぶちゃん注:前話とは犬で連関している。私は前の大鐘に閉じ込められる中に犬のいたのが妙にリアルで印象的であったから、本篇のこのアイテムの連関性は私にとっては決して軽いものではなかった。また、私にはこの山伏は殺されて当然、真相を七人の子を得た後に聴かされて恨み骨髄となって夫の山伏を殺した女には激しく同情し、何より、この白犬こそ哀れと感ずる人種であるから、例の通り、見当違いの辛気臭い説教を故実をべたべた貼り付けてぐだぐだと記す筆者に対しては、何時ものこと乍ら、やはり強い不快感を感ずる。
「耳馴れたる話」話者(筆者)が、この一種異様な〈異類婚姻譚を主調にした山伏による殺生譚プラス謀略による略奪婚姻譚プラス前夫白犬殺しの仇討(あだうち)譚〉を巷間の噂としてはよく知られた話として提示している点に注意したい。こうした一見異様としか思われない異類婚姻譚が、近世初期に於いては既に一定のステイタスと人気を持ち、必ずしも忌まわしく異常な話とは認識されておらず、ある程度、心情的には許容された綺譚性を持っていたことを示す証左と考えられる。
「娘に小便(せうべん)やる度(たび)に、かの白犬を呼びて」「掃除せよ。此娘は己(をのれ)が妻ぞ」「など戲(たは)れければ、犬も尾を振りて來たる」ここには女性器を露わにして排尿させられる幼女の映像とそれに「尾を振」って駈けて来(き)、その娘の尿(すばり)の後を嗅いで砂をかける牡の子犬という映像に、ある種の猟奇的な仄めかしを含んだ性的象徴関係が感じられる。
「長(ひとゝな)りて」成人して。
「言立(ことた)つ」これは「言葉に出して誓う」(或いは「事立つ」で「平常とは全く異なった行為、今までやったことのないことをする」の意)という、神仏への生涯の一大事としての祈誓の原義から派生したものであろう、「女が添うべき夫を定める」ことを指す。
「相人(さうにん)」人相を見る占い師。観相家。
「はかなきは」何の甲斐にもならぬ、無益なこと(この場合は逆に悪しきことを生み出すこと)には。或いは、思慮分別が不全で、如何にも愚かであったことには。前者は事態そのものの持つカタストロフへの評言であるが、後者で採る場合には、軽率な戯れ言を繰り返して犬に刷り込みをしてしまった母への批判が強く滲むことになる。前振りから見ても後者のニュアンスである。
「あひたてなくも」岩波文庫版で高田氏は『無分別にも』と注しておられる。
「方見(うたてく)こそ」「いや、もう、忌まわしいことじゃ!」。畜生に魅入られたことへの忌避感情が示されてある。「方見」及びルビは原典のママであるが、何故、この文字列で「うたてし」と読むのか、そのような意味になるのかは探り得なかったが、或いは「方見」は「かたみ」で「片身」、不完全であることから、不満・不快であるの意となったものか、或いは「奸(かだ)み」の当て字で「心が致命的にねじけていること」から尋常でない状況を批判的に示すのかも知れぬなどと思いはした。識者の御教授を乞うものである。
「我に似たる畜生にこそ」と娘が「敢へて歎く色もな」く、ぽつりと言ったところが、妙に心に残る。何故、彼女はこの犬のことを「如何にもまさしく私にそっくりな獣だわ」と述懐したのであろう? 寧ろ、この謎めいた台詞こそが、エンディングで七人の子をもうけた後の夫の山伏を殺害するに至る彼女の持つ「因果」に基づく「執心」或いは「怨恨」の伏線なのではあるまいか? 孰れにせよ、本怪談のキモは実はこの娘の奇怪な台詞にこそあると私は思う。
「途離(とばな)れたる」人里離れた。
「さぞな、添ひ臥(ぶ)しも異(い)な物にあらなん、あたら、よすがの狹筵(さむしろ)も、私語(さゝめごと)もあるべきか、聞くも氣の毒」バレ句を読むような荻田の厭らしさを感じさせるイヤな箇所で、真面目に注する気にもなれない。「よすが」は「縁・因・便」で「寄す處(か)」が元で古くはかく清音。第一義は「生きるためのに頼りとなることや対象」で、そこから「夫・妻・子」など意があるので、ここは「生きるよすが」と「夫」を掛ける。「私語(さゝめごと)」閨(ねや:「狹筵(さむしろ)」は寝床)での夫婦の秘かな睦言(むつごと)。
「如何にことふたならであるべきや」反語。「ことふたならであるべきや」については岩波文庫版で高田氏は注で『こんな事が二度とあるであろうか』と訳しておられる。
「橫行(わうぎやう)の者」四足で横になって歩く獣。
「竪行(しゆぎやう)の袖」直立二足歩行をする人間。
「語らひ」夫婦としての関係を持つこと。以下の後の山伏の問いの「語らひ給ふ」や、彼の真相告白の「かく語らひたき」の「語らふ」はその動詞。
「耳に鼻かみ」「耳で鼻をかむ」は出来ない。「竹に木を接(つ)ぐ」と同じく、全く機能や性質の異なるものを繫ぎ合わせることが出来ないことの譬え。
「宿世(すぐせ)の約束」前世の因縁。異類との異様な婚姻生活とその異常な形態も総て仏教的には輪廻に於ける因果応報の思想に吸収されてしまい、何でも閉じられたそのけったいな思想の系の中では腑に落ちるものとして説明され、腑に落ちてしまうのである。逆に言えば、腑に落ちるはずであるところに「淺ましく侍る」と思わず感懐を述べてしまうところにこそ、真の人間性は表われるとも言えるのである。
「並べし軒(のき)も見えなくに」まさに山深いところにぽつんと建つ、あり得ない場所に不思議に現われる異様な一軒屋なのである。修験の山伏なればこそここを通ったのである。しかもそこに「その姿優しき女、もの待つ風情(ふぜい)に見えたり」とあれば、「猶、過(すぎ)がてに立寄」ってしまうのは泉鏡花の「高野聖」を待つまでもなかったのである。
「おこと」相手を敬っていう二人称代名詞。貴女(あなた)。
「誰が問ふて」誰を待って。
「捏(つく)ねん」「つくぬ」は「手で捏(こ)ねて丸める」の意。女を言葉巧みに丸め込んで我が物にするというような厭なニュアンスであり、それが確信犯であることは以下の「一二(ひとふた)云ふ言葉(ことのは)の露も、我(わが)戀草(こひぐさ)に置き餘り、搔き亂したる浮き草の、心の水に誘ひ行(ゆく)、情(なさけ)の渕(ふち)も淺からで、深き契りも結(むす)びたく思」ふという、荻田によって粉飾された(故に厭らしくも)おぞましい表現によく示されてある。こうした荻田の表現過飾がますます山伏に対する生理的嫌悪感を読者に惹起させるのであるが、ここまで過剰になると、或いはそれはそれこそ荻田の確信犯(読者に対して山伏へのシンパシーを絶対無化する)なのかも知れぬとも実は思われてくるほどに五月蠅いのである。
「云はでもと思ふ顏(がほ)」如何にも言いにくそうな困りきった顏、の謂いでとる。
「峒(ほら)」山の斜面にある洞穴。
「例(れい)ならず」尋常でないほどに取り乱して。
「空(そら)知らずして」そしらぬ風をして。
「假初(かりそめ)に」ちょっと。
「心の下紐(したひも)うち解(と)けしは」「下紐」は実際の女の下帯を掛けて、夫白犬を殺害した男に身を許したことをも示す、厭なバレ句の掛詞である。
「故にこそ、女には心許さぬと語れり」「語れり」は「(世間では)言うのである」の意。おいおい!? 急にそこに行くカイ?! 荻田!
「振り分髮(わけがみ)を比べ來(こ)し、幼な馴染みを忘れぬは、殊勝(すせう)にこそ侍れ」「伊勢物語」第二十三段のかの「筒井筒」及びそこに出る、
比べこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずして誰(た)れか上(あ)ぐべき
の和歌に基づく。
「三瀨(みつせ)の川」三途の川。既出既注。
「瀨蹈(せぶ)み」三途の川の深さを測ったり,先に死んだ者が後から来る亡者のために三途の川で渡り易いところへと導くことを「三途の瀬踏み」と称した。
「世話(せわ)」諺。「三瀨の川に瀨蹈みして、手を取りて渡すは、初めて逢ふ男(おのこ)なり」は「女性が亡くなって三途の川を越える際には、初めて契った男性に背負われて行く」という俗信があったが、これは中世以降に成立した諺であるようだ。それを考証した田村正彦氏の論文「渡す男と待つ女――古代における三途の川の信仰について――」(PDF)を参照されたい。
にも云ひ習(なら)はせり。
「まさなき枝を手折(たをり)つゝ、色に鳴海(なるみ)の秋風までも、心多(おほ)ふ插(かざ)ず人は、袖時雨(しぐ)るゝ業(わざ)なりけらし」修辞粉飾によって私にはよく意味がとれない。「まさなき」はすでに見苦しくなってしまった枝(老いた女)で、「色に鳴海(なるみ)の秋風」は秋風にすっかり褪せた色になる(「鳴海」はそれを尾張国歌枕の鳴海潟で掛けた)、変じてしまった病葉(わくらば:同前の象徴)を未練たらたらに(「までも」)、髪に挿し続けようというような過剰な「色」好みの男は、それを聴いた或いは知った人(袖)の限りない絶望の涙を誘うこととなり、それがその人(女)の袖をすっかり濡らしてしまう(「時雨るゝ」)という浅ましい結果(「業」)を招くこととなるもののようである、の謂いか。大方の御叱正を俟つ。
「添ふからは、傅(かしづ)くべきなり。世の尻輕(しりがる)なる女に聞かせてしがな」この後の謂いを見ても、或いは筆者荻田安静は良縁に恵まれなかったのか、女性関係で痛い目に遇っていたのも知れないなどと私は思うのである。本「宿直草」には、ある種の、筆者の根の深い女性嫌悪感情(上田秋成の複数の怪談でも同じものを私は強く覚えるのだが)を私は感ずることがある。
「由無き方(かた)に心通(こころかよ)ふ」夫がありながら、無益なチャラ男に惹かれて不倫をなしてしまう。
「稀に知れずして、たまたま命あるも」不倫が知られることもなく、命存えて、不倫を続ける者もあるが(そうした尻軽女は頭に乗って)と後に続くか。
「猶、古めかしの調度(でうど)なんど、あち荷(に)なひ、こち運び」間男と駆け落ちする様か。
「いとゞ」以上の叙述と以下の続きから考えると、「ただでさえそのようなけしからんおぞましい不倫なのにさらに、そうでなくてさえのニュアンスか。何となく、修辞粉飾以前に、荻田が感情的になってうまく表現が落ち着いていないように見えるのは、私の偏見か?
「卯月(うつき)の一日に、恥に近江(あふみ)の筑摩祭(つくままつ)りに、被(かづ)ける鍋(なべ)の、數(かず)、幾つならん」現在の滋賀県米原市朝妻筑摩(あさづまつくま)にある筑摩神社(ここ(グーグル・マップ・データ))で行われる奇祭で、通称「鍋冠祭(なべかぶりまつり)」と呼ばれる例祭に基づく謂い。古くは陰暦四月一日に行われた祭で、ウィキの「筑摩神社」によれば、『社伝によれば、桓武天皇の時代』(八世紀)以来、実に千二百年の『伝統がある』とされる。『当社の祭神が全て食物に関係のある神』(穀物神で女神とされる御食津神(みけつのかみ:後に稲荷神と同一化する)を主祭神に大歳神(おおとしのかみ:稲の稔りの神で女神)・倉稲魂神(うかのみたまのかみ:恐らくは御食津神と同一神か同族神)・大市姫神(おおいちひめのかみ:農耕神))の三柱を配祀する)『であり、神前に供物とともに近江鍋と呼ばれる土鍋を贖物したことから、このような祭が生まれたと考えられている』。『過去には鍋冠りは少女ではなく』、『妙齢の女性の役目だった。鍋冠りの女性はそれまでに付き合った男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があり』(「大辞泉」には御輿(みこし)に従う女性が秘かに関係を持った男性の数だけ鍋を被ったとある)「伊勢物語」の第百二十段にも、
*
むかし、男、女のまだ世經ずとおぼえたるが、人の御もとに忍びてもの聞こえてのち、ほど經て、
近江(あふみ)なる筑摩(つくま)の祭(まつり)とくせなむ
つれなき人の鍋(なべ)の數(かず)見む
*
と記されるほど、『有名なルールだった。江戸時代中期に、わざと少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ』て『笑いものにされ、お宮の池に飛び込み自殺してしまうという事件が起きた。事件の顛末を聞いた藩主の井伊氏が鍋冠りを禁止したが、嘆願の結果』、七~八歳の『幼児による行列ならば、と許可され』たという。現行の五月八日に行われている『春の大祭では、御旅所から神社までの』約一キロメートルを総勢二百人が『ねり歩く。その行列の中に狩衣姿の数え年』八歳前後の少女八人が作り物の『鍋を被って加わることから「鍋冠祭」とも呼ばれ、日本三大奇祭の一つとされることがある』とある(下線やぶちゃん)。]
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