宿直草卷四 第三 送り狼といふ事
第三 送り狼といふ事
狼の性(しやう)は、道(みち)を送りて人の氣を費(つゐ)やして喰らふ、と。さてこそ「送り狼」といふ事、有(あり)。
また、昔よりの話に、ある男、隣りの里に密婦(かくしつま)有(あり)て遠き通ひ路(ぢ)を行く。もとよりも賤(いや)しきわざを賤(しず)の男(お)の、志津(しづ)が刀(かたな)も帶(おば)ばこそ、戀の重荷に棒を突き、忘れ草ならば刈(かり)てもと、鎌を腰に差し、月明かき夜に忍びしに、道端(みちしば)に、狼、居(お)れり。
かの男、構はずも行くに、此狼、哭(な)くやうには聞ゆれども、さして、聲も出ず。口、開きて、迷惑なる有樣(ありさま)なり。
男、見て、
「此奴(きやつ)は喉(のど)に物立てたり。」
と見て、聞くべきにはあらねども、
「來よ。拔いてやらん。」
と云ふに、斟酌もなく來る。
肩、脱ぎ、手、差し入るに、物あり。取り出し見れば、五、六歳ばかりの兒(ちご)の足の骨なり。
「重ねては、よく嚙みて喰らへ。」
とて、通る。
それよりして、恩を思ひて、此男、通ふごとに、宵に行き、曉(あかつき)歸るに、一夜も缺(か)けず、三年、送(おくり)しと也。
この話ゆへに「送り狼」と云ふか。
畜生とても其恩を知れり。天晴(あつはれ)、このたはれ男(お)には、一疋當千(いつひきたうせん)のよき供(とも)ならずや。
但し、一拍子(しやうし)違(ちが)はゞ、只、一口の不忠もあらんか。
舟、能(よ)く人を遣(や)り、舟、また、人を殺す。至(いたつ)て益(ゑき)あるものは至りて損ある歟(か)。
[やぶちゃん注:「送り狼」ニホンオオカミ(食肉(ネコ)目 Carnivora イヌ科 Canidaeイヌ属タイリクオオカミ亜種ニホンオオカミ Canis lupus hodophilax)の絶滅した今に至っても、「好意を装って害心を抱く悪者や、特に女性に対して欲情目的でそうした行為を働いたり、ストーカー行為を働く男を「送り狼」と呼ぶが、これは「道(みち)を送りて人の氣を費(つゐ)やして喰らふ」(人を執拗に追尾し、その精根を尽き果てさせたところで遂に襲って喰らう)と狼の習性に基づいて措定された山犬・野犬・狼の妖怪的生態行動或いは妖怪そのものを指す。但し、そこでは本話に現われるような、持ちつ持たれつの相互の親和的関係性も見られる、必ずしも禍々しいだけの凶悪な妖怪的存在ではない。ウィキの「送り犬」から引く。『送り犬(おくりいぬ)は、日本の妖怪の一種。東北地方から九州に至るまで』、『各地で送り犬の話は存在するが、地域によっては犬ではなく狼であったり、その行動に若干の違いがある。単に山犬(やまいぬ)、狼(おおかみ)とも呼ばれる』。『夜中に山道を歩くと後ろからぴたりとついてくる犬が送り犬である。もし何かの拍子で転んでしまうとたちまち食い殺されてしまうが、転んでも「どっこいしょ」と座ったように見せかけたり、「しんどいわ」と』、溜め息交じりに言い、完全に座り転んでしまうのではなく、『少し休憩をとる振りをすれば襲いかかってこない。ここまでは各地とも共通だが、犬が体当たりをして突き倒そうとする、転んでしまうと』、『どこからともなく』、『犬の群れが現れ襲いかかってくる等』、『地域によって犬の行動には違いがある』。『また、無事に山道を抜けた後の話がある地域もある。例えば、もし無事に山道を抜けることが出来たら「さよなら」とか「お見送りありがとう」と一言声をかけてやると』、『犬は後を追ってくることがなくなるという話や、家に帰ったらまず足を洗い』、『帰路の無事を感謝して』、『何か一品』を『送り犬に捧げてやると』、『送り犬は帰っていく』、『という話がある』。小山眞夫著「小県郡民譚集」(昭和八(一九三三)年郷土研究社刊)には『以下のような話がある。長野県の塩田(現・上田市)に住む女が、出産のために夫のもとを離れて実家に戻る途中、山道で産気づき、その場で子供を産み落とした。夜になって何匹もの送り犬が集まり、女は恐れつつ「食うなら食ってくれ」と言ったが、送り犬は襲いかかるどころか、山中の狼から母子を守っていた。やがて送り犬の』一『匹が、夫を引っぱって来た。夫は妻と子に再会し、送り犬に赤飯を振舞ったという。長野の南佐久郡小海町では、山犬は送り犬と迎え犬に分けられ、送り犬はこの塩田の事例のように人を守るが、迎え犬は人を襲うといわれる』。『関東地方から近畿地方にかけての地域と高知県には送り狼(おくりおおかみ)が伝わる。送り犬同様、夜の山道や峠道を行く人の後をついてくるとして恐れられる妖怪であり、転んだ人を食い殺すなどといわれるが、正しく対処すると』、『逆に周囲からその人を守ってくれるともいう。『本朝食鑑』によれば、送り狼に歯向かわずに命乞いをすれば、山中の獣の害から守ってくれるとある。『和漢三才図会』の「狼」の項には、送り狼は夜道を行く人の頭上を何度も跳び越すもので、やはり恐れずに』、『歯向かわなければ』、『害はないが、恐れて転倒した人間には喰らいつくとある。また、火縄の匂いがすると逃げて行くので、山野を行く者は常に火縄を携行するともある』、『他にも、声をかけたり、落ち着いて煙草をふかしたりすると』、『襲われずに家まで送り届けてくれ、お礼に好物の食べ物や草履の片方などをあげると、満足して帰って行くともいう』。『伊豆半島や埼玉県戸田市には、送り犬の仲間とされる送り鼬(おくりいたち)の伝承がある。同様に夜道を歩く人を追って来る妖怪で、草履を投げつけてやると、それを咥えて帰って行くという』。『なお、ニホンオオカミは人間を監視するため』、『ついて来る習性があったとされる。妖怪探訪家・村上健司も、送り狼は実際にはニホンオオカミそのものを指しており、怪異を起こしたり人を守ったりといった妖怪としての伝承は、ニホンオオカミの行動や習性を人間が都合の良いように解釈したに過ぎないとの仮説をたてている』とある(下線やぶちゃん)。
「もとよりも賤(いや)しきわざを賤(しず)の男(お)の」恐らくは「伊勢物語」の第四十一段の「昔、女はらから二人ありけり」の「さるいやしきわざもならはざりければ」(「ならはざり」=「しず」)の表現を読者に想起させておいて、さらに修辞にちまちまと凝った部分である。
――もとより、賤しい生計(たつき)をせずにいる相応の身分の男(おのこ)というものは、腰には、かの「志津」(同音「賤」の畳み掛けの遊び)の銘刀(志津三郎兼氏:「正宗十哲」の一人とされる鎌倉時代の名刀工。本国は大和で、後に美濃(現岐阜県海津郡南濃町)の志津村に移って美濃伝を学んだ後、相模に移って名匠五郎入道正宗の弟子となった)などを差していてこそ「男」であろうが(「志津(しづ)が刀(かたな)も帶(おば)ばこそ」)、この男は元来が(「もとよりも」)卑賤な男であったがために、差すべき刀も持っておらず、「戀の重荷」の夜の通い路の用心には、ただ「棒を突」いて、恋の苦しみを忘れさせる(ということは恋情に素直でないということである)という「忘れ草」なんぞというものがあったら、それこそそれを「刈」りとってやろうぞと、自衛の刀の代わりに賤(しず)の野夫(やぶ)の持てる農具の「鎌を腰に差し」て行くのである。――
というのである。衒学的で迂遠な言い回しに酔っている風流人を気取った荻田の悪癖のよく現われている部分と言える。因みに「戀の重荷」と出るから、好き者の萩田のこと、世阿弥の執心男の謡曲「戀重荷」の詞章でも洒落て引いてあるかと調べてみたが、それらしい形跡はなく、ちょっと拍子抜け。
「道端(みちしば)」「みちしば」は「道芝」で道端の芝草・路傍の草であるから、敷衍して道端でおかしくはない。しかし、荻田が敢えてこの熟語に「みちしば」とルビしたのは、「みちしば」の別な意味、「道案内」「恋の手引き」を掛けたかったからであると見た。
「迷惑なる有樣(ありさま)なり」如何にも具合が悪そうな、苦しげな様子なのである。
「物立てたり」何かを刺さしてしまったのだ。
「聞くべきにはあらねども」「獣であるから、事実そうかであるどうかを訊いて確認することは出来ないけれども」。或いは、「狼が何か咽喉に刺さって苦しんでいることを認知し、その訴えを理解し、それをまともに受け入れてやったという訳ではないけれども」の謂い。
「斟酌もなく」警戒して躊躇(ためら)う様子もなく。
「取り出し見れば、五、六歳ばかりの兒(ちご)の足の骨なり」と次の台詞は、この掌篇の優れた核心のキモである。これが獣骨だったのではホラーにならぬことは言うまでもない。
「重ねては、よく嚙みて喰らへ」「これから人を喰う時は、いいか? よく嚙んで骨を砕いてから嚥み下せ!」。
「天晴(あつはれ)」清音は原典のママ。
「たはれ男(お)」「戲れ男」。動詞「戲(たは)る」の連用形の名詞化したもの。広義には戯れること・悪戯・遊び」の謂いであるが、特に「異性と遊ぶこと」や広く「遊蕩」の意を持つから、ここは「色男・好き者」の謂い。
「一疋當千(いつひきたうせん)」たった一つの存在の力が、通常のその単位の千倍の力にも匹敵する意で、非常に大きな力や実力・勇気のあることを指す。「一騎当千」の方が一般的で語呂もよいが、敢えてこちらを用いた(実際に「一匹」「一人」などともする)のは相手が「狼」だからで、そうした意味では「疋」の字を選んだ荻田は配慮が利いているとは言える。]