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2017/07/25

宿直草卷五 第一 うぶめの事

 

宿直草 卷五

 

 

  第一 うぶめの事

 

 寛永四年の春、予が里の、さるものゝ下女、孕(はらみ)しまゝに死し、産女(うぶめ)となりて來(くる)ると云ひ、里の侲(わらはべ)恐れ合ひて、柴の戸を締め、葭(よし)の簾(すだれ)を下ろす。予はその頃、他所(たしよ)にありて、歸りければ、この話、せり。

「さらば、そのもの、通らば、聞かせ給へ。」

と云ふ。

 夜の八つの頃、我が母、慌たゞしく起こす。

「何事ぞ。」

と云へば、

「例の者、通るぞ、泣く聲、聞け。」

と云ふ。

「さらば。」

とて聞くに、その聲、呂(りよ)にして、

「わあゝひ。」

と泣く。二聲までなり。平調(ひようでう)にして、頭(かしら)は高く、後(あと)は下(さが)れり。引く事、長(なが)ふして、一聲のうち、二間(けん)ばかりは步むべし。其聲の哀れさは、今も身に沁みてこそ侍れ。

 この亡靈(まうれい)の夫(をとこ)、名さへおかしき與七といふ者なり。夜な夜な、産女(うぶめ)、與七が寢屋(ねや)へゆく。與七、寢る事なし。あまり腹立ちければ、己(をの)が寢屋の柱に、この産女を繩にて縛りつけ置けり。

「姿やある。」

と翌日(あくるひ)見るに、血の付きたる繼ぎ切(きれ)なり。

 やがては放(ほふ)らかすにも、絶えず、來たる。

 餘所(よそ)へゆけば、跡慕(した)ふて行く。

 臍繰り錢(ぜに)にて經讀み貰へども、更に驗(しるし)もなし。

 いとゞ與七も空(うつ)け侍りしが、さる者の云ふやう、

「其男の𢌞(まは)しを、かの産女(うぶめ)の來るところに置けば、その後、來ぬと云ふぞ、さもせよかし。」

と云ふ。

「さらば。」

とて、下帶を窓に掛け置けり。其夜、來て、去りぬ。

 翌日(あくるひ)見れば、窓に𢌞しなし。又、二度來たらずとなり。

 是もまた故實か。

 

[やぶちゃん注:「うぶめ」「標題はこの通りの平仮名。本文のでは「産女」で「うぶめ」とルビする。さて「産女(うぶめ)」は古狸が産女に化けたという入子妖怪の偽物ながら、既に「宿直草卷三 第二 古狸を射る事」で出ている。但し、

このそれは、真正の産女であるからダブりではないし、その上、荻田自身の実際に鳴き声を聴き、親しく身近で著聞した実話として記している点で特異点である

しかも、

本来の妖怪化する以前の亡くなった直後の産婦の亡霊と認知出来る様態で出現している点で、実は本家本元というか、妖怪でない真正の「うぶめ」という霊現象であることに着目しなければならない

こうした死亡直後の妊婦の霊を妖怪「うぶめ」(冒頭の「産女となりて」に着目)として語るケースは必ずしも多いとは言えないからである。

 何故、彼らは即座に妖怪化されねばならなかったのか、という疑問が私には永くあった。それは、恐らくは多量の〈異常出血の苦悶による死の惨たらしさ〉という視覚的事実以上に、

その〈恐るべき血の穢れ〉

さらに、

母体の中の胎児という〈一人の体に魂が二つあるという異常な事態〉(古く出産以前の妊婦が隔離されるのはそうした非日常的異常性が何らかの邪悪なものを逆に招くとして恐れたからである)の中での、さらに〈二つの生命のシンクロした死というまがまがしい事態〉が、ことさらに強く忌避された結果

として、

彼らは幽霊という過程を経ずに、瞬時にして妖怪化するものと信じられたのかも知れないと私は考えている

 妖怪としての産女(「うぶめ」は「姑獲鳥」とも書く)は私の『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(3) 産女(うぶめ)』の私の注を参照されたい。

「寛永四年」一六二七年。家光の治世。荻田安静は生年が不詳で没年は寛文九(一六六九)年である。没年との差が四十二年もあり、以下の産女を見たい(実際には声のみを聴いた)という好奇心の発起などの叙述から見ると、荻田の十代末か二十代の雰囲気が漂うように私には思われる。

「予が里」荻田の出生地は不詳であるが、本書の版元が京のかの西村九郎右衛門であり、本書の各篇のロケーションから見ても、京阪かそのごく周縁と考えてよいと思われる。

「侲(わらはべ)」見かけぬ漢字であるが、大修館書店の「廣漢和辭典」によれば、この解字は「よく動きまわる元気な子ども」の意で、そこから「善い」「童」「馬飼い」の意味を持つ。

「夜の八つ」午前一時半から二時頃。

「呂(りよ)」「律」とともに雅楽の音階名。邦楽では声や楽器の「低音域」或いは「ある音に対して一オクターブ低い音」を指す。「乙(おつ)」とも呼ぶ。

「二聲」「ふたこゑ」と訓じておく。

「平調(ひようでう)」邦楽の十二律の一つで、基音である壱越(いちこつ)の音から三律目の音。洋楽のホ音(ミ)とほぼ同じ高さの音。但し、この音は雅楽の唐楽に於ける六調子の一つとしては「律呂(りつりよ)」の「律」(この場合は十二律の各音の中で陽(奇数番目)に当る六音を指す)に属するとされている。

「二間(けん)」三メートル六十四センチ弱。

「其聲の哀れさは、今も身に沁みてこそ侍れ」鳴き声が聴こえたのが、深夜であること、鳴き声及びその鳴き方に有意なインターバルがあること、哀れな荒涼とした感じを覚えたと荻田がはっきりと記していることなどを総合すると、これは梟(鳥綱フクロウ目フクロウ科フクロウ属 Strix)の鳴き声を誤認したものと考えてよいようには思われる。

「亡靈(まうれい)」原典の「靈」は、実はここ以外でもそうだが、異体略字の「㚑」に近い字を多く用いている。しかしこの字は私が生理的に非常に嫌いな字であるので正字で示してあることをこの場を借りて注しておく。

「名さへおかしき與七といふ者」与七という名は面白いのだろうか? 面白くない。普通である。或いは、以下の何となくどこか滑稽味を含ませた怪談話のネタ元は、実はこの「名さへおかしき」という不審な言葉にこそ隠されているのではあるまいか? 識者の御教授を乞う。

「血の付きたる繼ぎ切(きれ)」べっとりと血のついた継ぎ剝ぎした粗末な布の切れ端。与七のここでの前夜の経験は幻覚と片付け得ても、その凄惨な血糊の白布の布切れは、先の荻田が実際に聴いた産女の泣く声とともに異界が積極的物理的に現実を鮮やかに侵犯して来るキモの部分と言える。

「やがては放(ほふ)らかすにも、絶えず、來たる」「餘所(よそ)へゆけば、跡慕(した)ふて行く」血だらけになった亡き妻の恐るべき毎夜の来訪という〈非日常〉がどこにでもついてくるようになってしまい、夜の生活が靈とともにあることが〈日常化〉してしまった時、登場人物の与七自体が既にして怖がるどころか、霊との付き合いに飽きてしまって疲れ果てる時、怪奇談は怪奇でなくなり、読者の面白さを狙うだけの作り話となる。荻田は明らかにそれを確信犯でやっているのであるが、全体を自身の体験した怪奇実録という額縁にしている以上、これは怪奇筆録者として越えてはならない一線を越えてしまったものようにも見えてしまう(但し、最後の注を必ず参照)。これは現代の多くの都市伝説や心霊話でも同様で、私は霊が見えると称する霊能力者を全く馬鹿にするのは、彼らがまさに、しみじみとした素朴な怪奇現象を、カストリ雑誌の安物の退屈な喜劇的怪談へと変貌させてしまうだけの、徹底的に無能な戯作者に過ぎないからである。

「臍繰り錢(ぜに)にて經讀み貰へども、更に驗(しるし)もなし」もはやここまでいってしまっては後の落語みたようなものであることが明々白々である。荻田の確信犯である。

「空(うつ)け」気が抜けたようになってぼんやりする。

「𢌞(まは)し」「下帶」褌(ふんどし)。私はこれをただのお笑いネタとして笑って読み過ごすことが出来ない。或いは産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなった(或いは子も一緒に)妻の霊が迷わぬようにするための呪具として、夫の性器を包んでいる褌が用いられることが古えにはあったのではないかという可能性を私は否定出来ないからである。いや、一見、下ネタの笑い話の古層には神代の豊饒に満ちた男女の交合のシンボルが隠されており、そこに大真面目に検証すべき意味があると私は考えているからである。私は柳田國男と折口信夫との間には民俗学研究の中では具体な性的要素は核心に至ることが明確でない物以外なるべく出さない、抑制しようという密約が出来ていたのではないかと実はずっと昔から疑っている。そのことに真っ先に気づいて柳田に痛烈に文句を言ったのが、かの南方熊楠であったのだ。

「故實」古くより言い伝えて来たお定まりのこと。それは用意には起原を探り得ないものも多い。或いは、好意的に考えるなら、鋭い荻田はこの一見、笑い話にしか見えない後半の近場の巷間に流行っていたあり得ない話の基底にこそ、そうした民俗習慣の古形の儀式の匂いを嗅ぎ分けていたのかも知れない。]

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