譚海 卷之二 藝州嚴島明神の鳥居
○藝州嚴島明神の鳥居は、萩とつゝじの樹とを以て建(たて)たる二柱なりとぞ。安永八年夏雷火にて燒亡せり。五百年來をへて希代のもの也しを、此度(このたび)燒亡せし事誠に惜むべき事也。
[やぶちゃん注:前二項と合わせて萩絡み(仙台は躑躅の名所でもあるからその絡みもある)で、以上の三本は明確な連関性の中で記された本書でも特異点の記載であることがはっきりと判る。しかし、萩と躑躅(ツツジ目ツツジ科ツツジ属 Rhododendron)を鳥居材とするというのはやはり不審である。調べてみると、現在の満潮時には海中にそそり立つ厳島神社の大鳥居(ここもそれを言っているとしか思われない)は楠(クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphora)製で、個人ブログ「樹樹日記」の「厳島神社の鳥居」によれば、通常では神社の鳥居には檜(球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa)が使われるが、この大鳥居は昔から楠と決まっている、とある(ブログによれば仁安三(一一六八)年に平清盛が厳島神社を造営したその翌年にこの大鳥居の初代が造営されたとあるから、現在までは八百四十八年になる)。そこではその理由について『クスノキは昔から造船材料として使われたくらい水に強いので、脚が海に沈んでも大丈夫なようにクスノキを選んだのではない』かと推測されておられる。楠なんだ。やわな萩や躑躅なんぞではないぞ? 何だろう? この不審の萩材連投は?
「安永八年」一七七九年。徳川家治の治世。本書は寛政七(一七九五)年自序であるが、安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の凡そ二十年間に亙る津村の見聞奇譚をとり纏めたものであるから、「此度」は腑に落ちる。厳島神社公式サイトの年譜にも確かに安永五年に大鳥居が落雷により炎上したとある。但し、「五百年來」とするが、初代の鳥居の建立の仁安四年から安永八年までは六百十年もある。]