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2017/07/06

宿直草卷三 第七 蛇の分食といふ人の事

 

    第七 蛇(じや)の分食(わけ)といふ人の事

 

 ある人の語るは、

「元和(げんわ)八年の秋、紀陽(きのくに)和歌山へ行(ゆき)て、著(しる)き人の許(もと)に話しゐるに、齡(よはひ)五、八斗(ばかり)の男、己(をの)が業(わざ)に、簀子(あじか)に魚(うを)入れて荷ひ賣りする者、有(あり)。また、頭(かうべ)、滑乎(くはつこ)として髮一筋も生(おひ)ず、たゞ藥鑵(やくはん)のごとし。異名(いみやう)を呼んで、

『「蛇(じや)のわけ」の來たりたり。』

と云ふ。さて、商ひして彼の者は去る。

 其(その)跡(あと)にて、

『子細こそあらめ。』

と云へば、亭主、ほくそ笑(ゑみ)て語る。

『彼(かれ)は、もと古郷(ふるさと)は山家(さんか)の者也。年、六(むつ)になる長月の比、伯父、寵愛して、

「山雀(やまがら)取(とり)やらんぞ。」

とて、囮(おとり)を持ちて山に率(ゐ)て行(ゆく)に、果して、數多く取(とる)。伯父、彼に云ふやう、

「此(この)小鳥籠を持(も)て、あの池に行き、餌器(ゑげ)に、水、入れよ。」

とて遣(や)る。やゝ待てども、歸らず。聲して呼ぶに、更に答へず。不審に思ひ、汀(みぎは)に行きてこれを尋(たづぬ)る。籠と草履(ざうり)はありながら、主(ぬし)は、更に見えず。彼方此方(かなたこなた)見るに、向ふの湫(いけ)の澤水(さはみづ)、溶々(ようよう)として、草(くさ)、茸々(じやうじやう)たるに、松の木一本、添ふてあり。彼(か)の面(も)を見れば、太さ、四、五尺ばかりの蟒蛇(もうじや)、口舐(くちな)めずりして、居たり。

「扨は。彼奴(きやつ)こそ仇(かたき)なれ。」

と、急ぎ、我屋に返り、弓矢取るも遲しと、また、かの所へ行くに、蛇(じや)は、そのまゝあり。

 やがて弓引き絞り放つに、誤(あや)またずして、しかも當たり所よくして、さらに働きもせず有ければ、脇差を拔き、腹の膨(ふく)れしところ、堅(たて)さま、三尺斗(ばかり)裂きてみるに、わが甥、ゐたり。さて、氣つけ飮まして率て歸る。

 後、何の障(さは)りもなく息災になれり。

 かの者に問へば、

「呑まれし時は闇(くらがり)に居るやうにて、何の苦もなし。其後(のち)、頭(かうべ)へ、滴(しづく)、二、三度かゝると覺(おぼえ)しが、熱ふして、遍身(へんしん)、碎(くだ)くるかと苦しかりし。」

と云ふ。

 それ故にこそ髮も生へず、すべりとなりてあるらめ。』

 げに、この人よ、初元結(はつもとゆひ)もそゝけなく、小櫛(をぐし)の齒の恨みもなからん。猶、法師にも手まさぐらるゝ毛垂(けた)れも、此(この)袖には捨てらるゝありさま、なれも先折れたる心地こそせめ。かの天王寺山は名にこそ負へれ、ものに似ておかしきは此頭(あたま)にぞ侍る。」。

 

[やぶちゃん注:「蛇(じや)の分食(わけ)」大蛇の食い扶持となりかかった者の謂いか。

「元和(げんわ)八年」一六二二年。ここまで、元和年間の出来事とするものがかなり多い。

「五、八斗(ばかり)」四十歳前後。但し、これは彼がつんつるてんの金柑頭である印象からなのであって、語りが全部事実であるとするならば、実際にはもっと若いのかも知れぬ。

「簀子(あじか)」竹・藁・葦などを編んで作った籠・笊の類い。

「滑乎(くはつこ)として」完全につるんとして。

「山雀(やまがら)」スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ Parus varius本種の飼育は古く平安時代から行われており、学習能力も高いことから、江戸時代には芸を仕込ませることが流行り、盛んに愛玩された。私も幼い頃(昭和三六(一九六一)年前後)、当時、住んでいた練馬の、近くの神社の境内の縁日で御神籤(おみくじ)を引くそれを実際に見た記憶があるが、ウィキの「ヤマガラ」によれば、あの『おみくじ芸自体は戦後になってから流行し発展してきた』とあるが、『鳥獣保護法制定による捕獲の禁止、自然保護運動の高まり、別の愛玩鳥の流通などにより、これらの芸は次第に姿を消してゆき』、一九九〇『年頃には完全に姿を消した。このような芸をさせるために種が特定され飼育されてきた歴史は日本のヤマガラ以外、世界に類例を見ない』とある。

「湫(いけ)」狭義には、湿気が多く、水草などが生えている低湿地帯。浅い池や沼や溝。国字としては同義で、古くは「くて」と読んだ。但し、次で「溶々(ようよう)」、即ち、「水が豊かに流れるさま」で形容されているから、普通の相応の規模の水の流れのある池と考えてよい。

「茸々(じやうじやう)」草が盛んに茂っているさま。

「太さ、四、五尺」これは直径だろうから(胴回りでは蟒蛇とするにはちょっとしょぼ過ぎる)、現存の本邦種(アオダイショウなど)の同じ体躯比から見ると全長は十八メートルから二十二メートルを越えるほどになり、恐るべき蟒蛇クラスではある。あり得ない長さではあっても、六歳の子をゆうゆうと丸吞みするにはこの大きさでないと、寧ろ、おかしいと言える。例えば「想山著聞奇集 卷の參 大蛇の事」と比較されるとよかろう。そこでも「頭(かうべ)へ、滴(しづく)、二、三度かゝると覺(おぼえ)しが、熱ふして、遍身(へんしん)、碎(くだ)くるかと苦しかりし」と本話で語られるような、その蛇毒或いはその強力な胃の酸性消化液を総身に浴びたことによって、頭髪が抜けて禿となったとか、全身が赤剝けになったといった相似的現象が語られている。

「すべりと」岩波文庫版の高田氏の注には『すべすべに』とある。

「げに、この人よ」「いや! なんともはや! この人は!」。

「初元結(はつもとゆひ)」元服の際に初めて髪を結ぶこと。江戸時代の児童の頭は、庶民の場合には調髪の手間を省くために、丸坊主か、芥子坊主などように髪のごく一部を残したものが多かった。江戸前期の庶民の男子の元服は十五歳ぐらいか。

「そゝけなく」動詞「そそく」は「髪や纏まっている草など、揃っていたものが乱れる・ほつれる」の意であるから、ここは、元服の儀で髪を結ぶことも叶わず、いや、髪が乱れたり、ほつれたりするのを気にかける必要もなく、であって、これは次の「小櫛(をぐし)の齒の恨みもなからん」(髪がないから、櫛も使う場面が生涯無く、櫛の歯が傷んだり、欠けたりすることを気に病むこともなくてよいであろうよ)や、「法師にも手まさぐらるゝ毛垂(けた)れも、此(この)袖には捨てらるゝありさま」(坊主頭の僧侶でさえ生えてきてしまう短い毛を剃るためには必需品とせねばならぬところの「毛垂れ」(小さな剃刀。但し、この「けたれ」という語は女房詞であって、特に女性が眉毛を剃るのに用いる小型のそれを指し、徹底して〈この無毛の男を絶対的に現実の人間集団全体から差別している〉ことが判る)でさえもこの「袖」=人には何の使い道もないことから、永遠に捨て去られてしまうという有様なのだ、という謂いと合わせ、如何にもダメ押しの「禿」に対する嘲笑的畳みかけなのである。そうでなくても、最近起った、豊田真由子とかいうオゾましい女性衆議院議員のあの忌まわしくエゲツない罵詈雑言の生の声を思い出したりしてしまい、特異的に「宿直草」の中で生理的に如何にも〈イヤな感じ〉のする場面なのである。

「なれも先折れたる心地こそせめ」意味がとりにくい部分であるが、これは聴き手である「ある人」に対して以上を語っている「亭主」が総纏めとして言っている言葉として考えられるから、「なれ」は対等(或いはそれ以下)に相手に対する二人称で、聴き手である目の前の彼に「あんた」「お前さん」と呼びかけたものと考えてよい。さすれば、このいやらしい永遠禿への皮肉のダメ押しのどんジリであるからには、「髪の毛が仰山あっていろいろと悩まねばならぬお前さんも流石に、この髪のない果報者には既にして完敗(「先折れ」)であろうよ」とまたしてもトンデモない皮肉を言っているのではなかろうか? 或いは、髪の毛の毛先が枝毛となる「先折れ」という語と掛けているのかも知れないなどとも考えた。しかし全く以って自信はない。大方の御叱正を俟つ。

「天王寺山」岩波文庫版の高田氏の注に、『ことわざ。天王寺山鉾の祭りの日に、田舎者が薬缶と間違えて、奉行のキンカ頭(禿頭)にかぶりついた笑話(『浮世物語』二―五)があった』とある。「浮世物語」は寛文四(一六六四)年頃に刊行された浅井了意作の仮名草子(本「宿直草」は延宝五(一六七七)年刊)。平凡社「世界大百科事典」によれば、飄太郎という道楽息子が、博奕・傾城狂いをして無一文となり、徒(かち)若党・浪人となるも、遂には出家し、浮世房と名乗り、京・大坂を見物、数々の失敗を繰り返した後、ある大名に「咄(はなし)の衆」として仕え、世を諷誡したり、滑稽に託して諫めたりし、最後には仙人になろうと天に昇ろうとして軒から落ち、何処に行ったか判らなくなってしまったという筋であるとある。このシークエンスは同作の「卷二 五 天王寺まうでの事 附(つけたり) 山椒み噎(むせ)たる事」で、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のから視認出来る、短い笑い話である。

「名にこそ負へれ」「こそ」已然形の逆接用法で、面白おかしいあり得ない笑い話としての「天王寺山」は「禿」譚の真骨頂の作り物語として名にし負うものではあるけれども。

「ものに似ておかしきは此頭(あたま)にぞ侍る」「その『天王寺詣で』の作り物の話に似ていながら、確かな現実の話として面白く、しかもつるんつるんの本物の金柑頭が事実あるという、こ『「蛇(じや)の分食(わけ)』男の存在こそが、本命中の本命のお笑いの真骨頂というもので御座ろうぞ!」と言いたいのではなかろうか? 最後の最後までシツコい〈実にイヤな感じ〉の話である。そもそもがこの亭主、語りの冒頭で「ほくそ笑(ゑみ)て語」り始めた時から、なんとなく僕にはイヤーな予感がしてたんだわ……

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