和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 衣魚(シミ)
しみ 白魚 蟬魚
蛃魚 壁魚
衣魚 蠹
【和名之美】
イヽイニイ
本綱此蟲蠹衣帛書畫始則青色老則有白粉觸于手則
落碎之如銀可打紙箋其形稍似魚其尾亦分二岐故得
魚名俗傳衣魚入道經中食神仙字則身有五色人得吞
之可致神仙唐張易之之子乃多書神仙字碎剪置瓶中
取衣魚投之冀其蠹食而不能得遂致心疾書此解俗説
之惑 【拾遺愚草】をのづから打ち置く文の月日へて明くればしみのすみかとぞなる定家
*
しみ 白魚 蟬魚
蛃魚〔(へいぎよ)〕 壁魚
衣魚 蠹〔(と)〕
【和名、之美。】
イイイニイ
「本綱」〔に〕、『此の蟲、衣帛〔(いはく)〕・書畫を蠹〔(むしく)〕ふ。始めは、則ち、青色、老するときは、則ち、白粉有り、手に觸るれば、則ち、落つ。之を碎くに銀のごとく、紙箋に打つべし。其の形、稍〔(すこし)〕く魚に似たり。其の尾、亦、二岐に分つ。故に魚の名を得たり。俗に傳ふ、「衣魚、道經〔(だうきやう)〕中に入りて神仙の字を食へば、則ち、身に五色有り。人、之を吞むことを得〔ば〕、神仙を致すべし。」〔と〕。唐〔の〕張易之が子、乃〔(すなは)〕ち、多き神仙の字を書して、碎剪〔(さいせん)〕して瓶の中に置〔き〕、衣魚を取りて、之れに投ず。其の蠹〔魚を〕食ふを冀(こひねが)ふに、得ること能はず、遂に心疾〔(しんしつ)〕を致す。此れを書して俗説の惑(まど)ひを解す。』〔と〕。
【「拾遺愚草」】
をのづから打ち置く文の月日へて
明くればしみのすみかとぞなる
定家
[やぶちゃん注:節足動物門 Arthropoda 昆虫綱 Insecta シミ目 Thysanura のシミ類で、シミ科 Lepismatidae・ムカシシミ科 Lepidotrichidae・メナシシミ科 Nicoletiidae・Maindroniidae 科に分かれる。ウィキの「シミ目」によれば、本邦で現在よく見かける種は、
シミ科ヤマトシミ属ヤマトシミ Ctenolepisma villosa(やや褐色を呈し、日本在来の室内種)
同属セスジシミ Ctenolepisma
lineata(茶褐色で光沢に乏しく、背に縦線模様を持つ)
及びセイヨウシミ属セイヨウシミ Lepisma saccharina(銀白色を呈する。移入種であるが、近年はこちらの方が優勢)
とある。確かに私の書庫でたまに見かけるものは最後の種ばかりである。シミ類は『卵から孵化した幼虫は成虫とほぼ同じ形で、蛹などの段階を経ずに、そのまま脱皮を繰り返し成虫となる』無変態(これ自体が既にして昆虫類では原始的)で、『脱皮によって変化するのは大きさだけで、形態の変化はほとんど見られない。しかも、成虫になっても絶えず成長し続けるので、一生』、『脱皮し続け』、小さいながら、意想外に昆虫類では寿命は長く、七~八年は生きるとされる。形態は『やや偏平で、細長い涙滴形をしている。頭には長い触角が伸びている。胸部から腹部にかけては、滑らかにつながっている。腹部には各体節に』一対の腹毛があるが、『これは腹部体節の付属肢の痕跡と考えられており』、これも『この類の原始的特徴と見られる。腹部の末端には一対の尾毛と、一本の尾糸という細長い突起がある』。
因みに、古くから書物を有意に食害するとされたが、実際には顕在的な食害は認められないのが事実で、それは冤罪の部類と言ってよく、シミの食い痕とされるものの多くは、木質部や紙にトンネルを掘り、或いは標本類をバラバラになるまで著しく食害するところの、多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科 Anobiidae に属する「死番虫」類が真犯人である。
なお、本訓読では今までは原則してこなかった「本草綱目」の「蟲之三」の「衣魚」の引用としての『 』を附した。但し、最後の箇所は良安によって手が加えられており、正確な引用となっていないので注意されたい(後注参照)。
・「蛃魚〔(へいぎよ)〕」「蛃」は本シミ類を現わすためのみに用いられる。
・「蠹〔(と)〕」「本草綱目」を見ると「蠹魚」で「魚」の脱字であることが判る。既に何度も注してきたように、「蠹」単独では通常、第一義としては現行の昆虫学で言うところの昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目 Cucujiformia 下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae に属する「木喰虫」を指す。但し第二義としてシミ類をも指すが、先行して何度も第一義の「蠹」が出てきていて読者に「キクイムシ」類として刷り込まれてしまっている以上、ここは魚を入れた方がよい。
・「白粉」シミ類は体表面に鱗粉が一面に並んでいるが、これは鱗翅目の蛾や蝶の鱗粉と同じものである。但し、シミ類は昆虫類でも数少ない翅を持たない無翅類で(旧無翅亜綱)、これは翅が進化する以前の形態を留めている証左と考えられ、シミは原始的な種群と言ってよい。
・「之を碎くに銀のごとく、紙箋に打つべし」かつて、月に一度は神田の古書店巡りをしたものだが、そこでは、しばしば、この銀斑の痕にお目にかかったものである。
・「道經〔(だうきやう)〕」老荘の思想書や、それと関わりを持つ道教の経典類。
・「五色」シミ類は一般に負の走光性を持つが、実際に銀白色を呈するセイヨウシミなどは光りが当ると、虹に似たグラデーションを示すことがある。なお、道家思想の根本にある陰陽五行思想では「五色」は緑(東)・赤(南)・黄(中央)・白(西)・黒(北)が五色として配される。
・「張易之」(六七五年頃~七〇五年)唐の則天武后の寵臣であったが、武后が死の床にあった頃、武后を退位させて中宗を復位させる反武后派の張柬之(かんし)らのクーデターが発生、殺されてその首は洛陽の天津橋で晒された。東洋文庫版の注には『美少年で音技に詳し』かったとするから、その子も美少年であったに違いない。
・「碎剪〔(さいせん)〕」切り砕いて細片にすること。
・「心疾〔(しんしつ)〕」心臓疾患。父の張易之は三〇歳で亡くなっている。クーデターではこの子も殺されている可能性がすこぶる高いから、だとすると、この子は十代前半としか考えられず、そんな若年で仙人になろうと思ったこともさることながら(但し、仙人修行は稚児クラスから始めないと到達は難しかろうとは思うから変とは言えぬ)、えらい若死にしたということになり、先天性の心疾患か心臓畸形が疑われるか? しかし、以下に示す通り、この「張易之の子」話は良安が別なところから引いてきたもの(次注参照)を挿入した疑いが濃厚である。
・『俗に傳ふ、「衣魚、道經〔(だうきやう)〕中に入りて神仙の字を食へば、則ち、身に五色有り。人、之を吞むことを得〔ば〕、神仙を致すべし。」〔と〕。唐〔の〕張易之が子、乃〔(すなは)〕ち、多き神仙の字を書して、碎剪〔(さいせん)〕して瓶の中に置〔き〕、衣魚を取りて、之れに投ず。其の蠹〔魚を〕食ふを冀(こひねが)ふに、得ること能はず、遂に心疾〔(しんしつ)〕を致す。此れを書して俗説の惑(まど)ひを解す』の部分に該当すると思われる「本草綱目」のそれは、「衣魚」の「集解」の、
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頌曰、今處處有之、衣中乃少、而書卷中甚多。身白有濃粉、以手觸之則落。段成式云、補闕張周封見壁上瓜子化爲壁魚、因知「列子」『朽瓜化魚』之言不虛也。俗傳壁魚入道經中瓶中、取壁魚投之、冀其蠹食而不能得、遂致心疾。書此以解俗説之惑。
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であるが、この内容を見ると、「張易之の子」の話は出てこない。そこで調べてみると、この「張易之の子」は「太平廣記」の「嗤鄙四」にある「北夢瑣言」を出典とする「張氏子」と同一の話(しかも前段の「五色」のシミの話もきっちり載る形で)であることが判明した。以下に示す。
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唐張禓有五子。文蔚、彝。憲、濟美、仁龜、皆有名第、至宰輔丞郎。一子忘其名。少年聞説、壁魚入道經函中、因蠹蝕神仙字、身有五色、人能取壁魚吞之、以致神仙而上昇。張子感之、乃書神仙字、碎剪寘於瓶中、捉壁魚以投之、冀其蠹蝕、亦欲吞之、遂成心疾。每一發、竟月不食、言詞麤穢、都無所避。其家扃閉而守之、候其愈、既如常。而倍食一月食料、須品味而飫之。歲久方卒、是知心靈物也、一傷神氣、善猶不可、況爲惡乎。卽劉闢吞人、張子吞神仙、善惡不同、其傷一也。
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・「拾遺愚草」藤原定家自撰の私家集で正編三巻と続編「拾遺愚草員外」一巻からなり、約 三千八百三十首を載せる。建保四(一二一六)年に草案が成り、後に数回に亙って増補された。定家の代表作の殆んどを収録してあり、「新古今和歌集」時代の私家集中、最も注目されるものである(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
・「をのづから打ち置く文の月日へて明くればしみのすみかとぞなる」「拾遺愚草」の「卷上 十題百首」中の一首であるが、表記だけでなく、誤りが二箇所、認められる(異同を太字下線で示した)。
自(おのづか)ら 打ち置く文(ふみ)も 月日(つきひ)經(へ)て
明(あ)くれば紙魚(しみ)の 棲家(すみか)とぞ見(み)る
漢字変換は私が恣意的に行った。]