宿直草卷五 第八 道行僧、山賊に遭ふ事
第八 道行(みちゆく)僧、山賊に遭ふ事
安藝廣島の縣(けん)、さる寺の伴僧、三、四里ある山家(やまが)へ行き、歸(かへ)さ、暮(くれ)かけて步む。馬蹄跡(あと)舊(ふ)り、人迹(じんせき)絶えたる棧道(かけぢ)に、哀れなる聲、幽かに聞えり。
「如何なる事ぞ。」
と步みゆくに、山賊、旅人(りよにん)を殺し、衣裳、皆、※(はぎ)取りて、其處(そこら)立退(たちの)かんとするに行遭(ゆきあ)ふ。[やぶちゃん字注:「※」=(上)「牧」+(下){「匚」の中に「力」}。]
跡へ歸るべうもなし。
恐ろしながら、躊躇(ためら)ひゐるに、山賊、見て、
「御坊、何處(いづく)へお通りぞ。」
と云ふ。
「廣島へ參る。」
と答ふ。
「よし。廣嶋へは重ねて行き給へ。今日は、我、雇ひ申さん。此荷を持ち給はれ。」
と云ふ。
「近頃、易しと申べけれど、幼少より此身になり、其覺えもなくさふらふ。殊に用あり。お許しあれ。」
と云ふ。
「出家にて賴むに、賴まれじとは聞えず。持ても持たでも、是非に持たせん。」
と、刀引き拔くにぞ。
力なく、
「さらば。」
とて荷ひ行く。
黃昏時(たそがれどき)の道狹きに、
「行くべき廣島の方(かた)はあれなるに。」
と、誰(たれ)問はぬ淚に步む。
はや、夜にもなりけり。心の中に、
「最早、我をも、やがて、殺し、褐(つゞれ)なりとも取りぬべき爲、こゝまで連れ來(き)ぬらん。」
と思へば、いとゞ便(びん)なかりける。
「迯られやはせん。」
と、岸(きし)高き頂(いたゞき)に下し、小用とゝのへけるに、盜人も同じ並みに小用す。この時逃げずは命なしと思ひ、盜人の後に𢌞(まは)り、
「ゑい。」
と押しければ、うかと立ちし事、なじかはたまるべき、雲に近き頂より千尋(ちひろ)の谷へ突(つき)落しけり。
虎口を免(まぬ)かる心地して、足にまかせて行くに、小家ありて灯影(ほかげ)見えたり。
「一先(ひとまづ)。」
と思ひ、戶を訪づれて見れば、
「おつ。」
と云ひて、心得顏の返事なり。さて、若き女房出(いで)て、僧を見て、そでない有樣(ありさま)せり。僧、
「いや、行き侘びたる者なり。宿(やど)貸し給へ。」
と云ふ。
女、思ひ寄らぬ振りに、聊(いさゝ)め返事もせざりしが、やうやうに、
「貸し申さん。」
と云ふ。嬉しくて内に入(いる)に、亭主は見えず。
僧は、袖片敷きて臥(ふし)たるに、女房は、もの待つ躰(てい)にして、火を焚きて寢もやらずありけり。
僧も目は閉ぢでありしに、八(やつ)の比か、また、戶、敲(たゝ)く。
女、出(いで)て、
「これは如何に。」
と云ふ。聲するに、
「さればとよ、隨分、仕合(しあはせ)よかりしに、ある坊主めに騙され、高き所より落ちて、手、折れ、足、違(ちが)ひ、遍身、痛みしかども、やうやう歸りしなり。」
と云ふ。女の聲に、
「默れ、默れ。」
と云ふを聞けば、かの盜人(ぬすびと)の家なり。
「さてさて、隱るゝと思ふに、今また、ここに來たる。靈龜(れいき)、猶、尾を引くわざか。更(さり)とて如何(いかゞ)すべきやうなし。」
と案じわづらふに、傍(かたへ)を見れば、隔子(かうし)も入れざる窓に、切戶(きりと)を立てしあり。幸(さいはひ)と思ひ、ひそかに迯(のが)れて廣島へ歸り、甦(よみがへ)りたる思ひをなせりとなり。
[やぶちゃん注:僧と盗賊団(ここは夫婦)で前話と親和性が高いが、これも湯浅佳子氏の論文『「曾呂里物語」の類話』によれば、先行する「曾呂里物語」の巻五の五「因果さんげの事」の冒頭の話柄との類似性が強過ぎ、二匹目の泥鰌の体(てい)見え見えである。同一書籍内で一度読んだぞという既視感(デジャ・ヴュ)を起させてしまう点で、怪談としては失敗である。
「伴僧」用僧・役僧。葬儀や法事などに於いて導師について従う僧。
「馬蹄跡(あと)舊(ふ)り、人迹(じんせき)絶えたる」底本は「馬蹄あとふり人迹たえたる」で原典に概ね従っているが、これでは私には意味がよく判らぬ。原典を子細に見てみると、実は「あとふり」の後に区切り(句読点のようなもの)の「。」が右に打たれているのが判った。そこで「あとふり」は確実に一単語であり、「人迹絶え」は「馬蹄あとふり」と対句であると読めると判断、さすれば、「人跡絶えた」の意に対となるのは「僻地の山中のこととて、馬が通ったのもずっと以前のことらしく、道には馬の蹄鉄の跡があるものの、それがもうすっかり古びている」の謂いであると私は読んだ。さればかく、漢字を当てた。大方の御叱正を俟つ。
「棧道(かけぢ)」切り立った山腹や崖などに沿った形で木材で棚のように張り出しを設け、そこを道としたもの。
「※(はぎ)取りて」(「※」=(上)「牧」+(下){「匚」の中に「力」})引剝(ひは)ぎをして。
「廣嶋へは重ねて行き給へ」広島へはそのままお行きなされい。
「近頃、易しと申べけれど」普通の民百姓ならば、簡単なことだ、と言って請け合って申し上げようが。
「此身」出家。
「其覺えもなくさふらふ」「そうした担い仕事はやったこともなく、どうして背負うてよいものかも分かりませぬ」の意であるが、苦しい。「殊に用あり」も嘘で(山家での用は終わっている)、僧は、ついさっき、男が旅人を殺(あや)め、担うべきものがその遺体から引剝ぎしたものであることを承知しているという点で殺生や略奪という禁忌を犯す穢(え)としてその物(を得るに至った人非人行為)を忌避するための言い訳である。
「出家にて賴むに、賴まれじとは聞えず。持ても持たでも、是非に持たせん。」「坊主にこうして慇懃に頼んでいるのに、請け負えないという断わるってえのは、坊主の風上にも置けねえ生臭さじゃ! 持つとは持たないかどうでもほざきやがれ! 是が非でも担わせずにおくものかッ!」。
「行くべき廣島の方(かた)はあれなるに」行くべき広島の方向はあっちなのに。明らかに違った道に僧を強制的に連れ行こうとしていることが判り、それが僧が自分も旅人と同じように殺される運命なのだと認知する契機となっている台詞である。さりげないが、上手い手法だ。
「誰(たれ)問はぬ」盗賊は勿論、人気なき山家道故に誰もその呟きに答えてくれない、というのである。あざとい修飾である。
「褐(つゞれ)」「褐」(カツ・カチ)の原義は「荒い毛で織った衣服又はその黒ずんだ茶色」で、「身分の賤しい人」の意もある。また、当て訓の「つづれ」は襤褸(ぼろ)の意であるから、僧の着ている粗末な墨染めの衣を指す。
「いとゞ便(びん)なかりける」なんとももまあけしからぬことなのであった。
「迯られやはせん。」逃げることは出来ないだろうか?
「岸(きし)高き」切り岸(ぎし)。断崖絶壁。
「小用とゝのへけるに」小便をさせてもらったところが。
「同じ並みに」一緒に並んで。
「うかと立ちし事、なじかはたまるべき」弱そうな僧侶だからと、うっかりと気を許して連れ立ち小便(しょんべん)してしまった結果は、たまったもんじゃない、の意。自分も小便が溜まって思わず一緒にすばりしてしまったことを掛けるか。今までの過剰修辞からはそんなことも言い掛けたくなるのである。
「おつ。」感動詞。応答。「はい。」。
「心得顏」待ってましたという表情。盗賊夫の御帰還と勘違いしたのである。ところがそうでない、辛気臭い坊主であったから「そでない有樣(ありさま)せり」(「そでない」は近世口語で「そうでない」の意から、「冷淡な」の意。
「振り」話の振り方・内容。
「聊(いさゝ)め」聊か。
「貸し申さん」何故、女房はこの僧に宿を貸したのかを考えてみる必要がある。この女房は亭主とともに同じ穴の貉、根っからの極悪盗賊カップルなのである。妻は妻で気の弱そうなこの僧を見て、渡りに舟、亭主が戻ったら、一緒に縊り殺して、持ち物を奪おうと画策したのである。そう考えてこそ、後の「今また、ここに來たる」という絶望的感懐の「また」がより強く響くとも言える。
「八(やつ)」午前二時前後。
「仕合(しあはせ)」旅人襲撃・殺害・金品強奪の顛末。
「足、違(ちが)ひ」「手、折れ」と対句ならば、この「違ひ」は正常な状態とは違うの謂いで折れると同義となるが、完全に折れていては一人で歩いて帰ってくるのはちょっと無理があるから、捻った、捻挫した、ぐらいに解釈しておく。
「隱るゝと思ふに」うまいこと、かの盗人から身を隠すことが出来たと思っていたのに、何ということか。
「靈龜(れいき)、猶、尾を引くわざか」特に臨済宗で尊重される公案集「碧巖錄」(宋代(一一二五年)に圜悟克勤によって編された)の第二十四則「劉鐡磨臺山」の冒頭部分にある。
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垂示に云く、高高たる峰頂に立てば、魔外(まげ)も能く知ること莫(な)し。深深たる海底に行けば、佛眼も覰(み)れども見えず。直饒(たとひ)眼は流星の似(ごと)く、機(き)は掣電せいでん)の如くなるも、未だ免れず、靈龜、尾を曳くことを。這裏(ここ)に到つて、合(まさ)に作麼生(そもさん)なるべき。試みに擧(こ)し看(み)ん。
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伝説で霊験を現わすとされる神聖な亀も、泥に残したその尾のぞろ曳(び)いてしまった痕跡から人に居場所を悟られてしまい、捕えられて、亀占用として焼かれてしまうの意。岩波文庫の訳注本(一九九二年・入矢他)の注によれば、『達人の現行も、その痕跡がふっ切れていないと、こういうハメになる』と注する。因みに、この頭の部分の「高高たる峰頂に立てば」は本話柄のロケーションと不思議に一致するのは偶然とは思われない。荻田の博識は恐るべきものがある。
「隔子(かうし)」格子。
「切戶(きりと)」小さな戸。]
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