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2017/07/20

譚海 卷之二 上總國笹栗幷山邊赤人の事

○上總の方言に、古城の跡又は陣屋などをきでと云(いひ)、城出(きで)と云(いふ)也。又山の邊郡といふ所のくりの木は、みな高さ四五尺程にて悉く實(み)のる、[やぶちゃん注:読点はママ。]笹栗と稱してその國の名物也。他邦の栗は喬木にならざれば實とまる事なし。山の邊に限りて栗の大木なし。この山の邊は歌仙赤人の生國なり。大和の國にも同名あれど、上總國正統のよしその處の人いひ傳ふ。萬葉集に赤人の眞間の詠歌あるも、郷國ゆゑ往來して詠ぜしなるべしと云。

[やぶちゃん注:冒頭は前条の方言談と連関している。

「山邊赤人」(やまべのあかひと ?~天平八(七三六)年?)は言わずもがな、柿本人麻呂とともに歌聖と讃えられる万葉歌人。

「きで」「城出」不詳。「日本国語大辞典」には見出しとして「きで」はない。但し、余湖氏の優れた城跡サイトのこちらに千葉県にある「木出城(吉岡城・四街道市吉岡字木出)」(吉岡地区は(グーグル・マップ・データ))の記載があり、その説明の最後に『「木出」の地名は「城出」あるいは「城台」がなまったものではないかと考えられている』とあるから、この「きで」「城出」という語は確かに千葉に存在したことが判る。

「山の邊郡」上総国及び旧千葉県にあった山辺郡(やまべぐん)。位置はウィキの「山辺郡(千葉県)で参照されたい。

「笹栗」ブナ目ブナ科クリ属クリ Castanea crenata の中でも、現在の各栽培品種の原種で山野に自生するものを指す。「シバグリ(柴栗)」「ヤマグリ(山栗)」などとも呼ばれ、栽培品種はこれに比べて果実が大粒である。現在でもこの原種はごく一部で栽培されているとウィキの「クリにある。

「他邦の栗は喬木にならざれば實とまる事なし」意味不詳。栗の木は喬木になるでしょう?! 後の「山の邊に限りて栗の大木なし」とも矛盾した謂いとしか読めぬ。そもそも私の家の裏山にも高木の自生の栗の木がゴマンとあるぞ! 「實とまる事なし」の意味も分らん(実の歩留まりが悪いということ?)! お手上げ! どなたか御教授あれかし!

「この山の邊は歌仙赤人の生國なり」千葉県安房郡鋸南町町役場公式サイト内のきょなんのむかしばなしの「田子の浦」に、「万葉集」の『山部赤人の有名な歌「田子の浦ゆ うち出てみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」にある、田子の浦は、勝山海岸という説があります。江戸時代の神代学者、山口志道が発表した説です。勝山の田子台の下の海が田子の浦と呼ばれていたこと、赤人が上総国山辺郡(東金市)出身であるらしいことなどが根拠です。昔から富士の名所の鋸南』で、『冬の晴れた日などは、対岸の富士山は、すばらしくきれいに見えます』とある。

「大和の國にも同名あれど」かつての大和国にあり、現在も奈良県に山辺郡として残る。旧郡域や位置はウィキの奈良県山辺郡を参照されたい。古代、この山辺郡内であった奈良県宇陀市の額井岳の麓に「赤人の墓」と伝える五輪塔が現存する。中村秀樹氏のブログ「奈良に住んでみました」ので墓の画像が見られる。

「赤人の眞間の詠歌」「万葉集」の「卷第三」の三首の挽歌(四三一から四三三番歌)を指す。

 

  勝鹿(かつしか)の眞間娘子(ままのをとめ)が

  墓を過ぎし時に、山部宿禰(すくね)赤人の作る

  歌一首幷(あは)せて短歌

 

古(いにしへ)に ありけむ人の 倭文幡(しづはた)の 帶解き交(か)へて 臥屋(ふせや)建て 妻問(つまど)ひしけむ 勝鹿の 眞間の手兒名(てこな)が 奥つ城(き)を こことは聞けど 眞木(まき)の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我われは 忘らえなくに

 

   反歌

 

我も見つ人にも告げむ勝鹿の眞間の手兒名が奥つ城處(きどころ)

 

勝鹿の眞間の入江に打ち靡(なび)く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ

 

「勝鹿」は現在の東京都葛飾区や埼玉県北葛飾郡及び千葉県市川市真間などの江戸川流域を指す。「倭文幡(しづはた)」は中国伝来の唐織(からおり)に対して、本邦に古来から伝わる地味で落ち着いた織り物のこと。私は高校時代に「真間の手児名」の話を知り、大学一年の春、市川に住む友人の案内で真間を訪れ、手児名の井戸や霊堂を巡ったことがある。懐かしい思い出である。]

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