宿直草卷四 第十 痘する子を化物と思ひし事
第十 痘(いも)する子を化物と思ひし事
闇に燭(しよく)秉(と)らで雪隱(せつちん)へ行く人あり。
かの開き戸あけて歸るに、長(たけ)三尺ばかりに得知れぬ物立ちゐたり。化物と思ひ、彼奴(きやつ)が手を握り、やがて脇差拔き、斬らんとせしかども、此もの、敢へて驚かず。うはがれたる聲に、
「餠買いに行(い)きました。」
と云ふ。
其聲、童(わら)べにして、また、化け物とも定(さだめ)がたし。
しかれども、握りし手の内(うち)、竹の子の根・蛸の手のごとし。
いかさま、珍しき物と思ひ、
「火を持て、來よ、かゝる事あり。」
と云ふ。人々、
「何事ぞ。」
とて來る。
さて、火影(ほかげ)に見るに、庖瘡(はうさう)して山上(あ)げたる、五つばかりの女子、頭巾(づきん)の被(かぶ)り樣(やう)おかしく、袖なき衣に帶もせず居(ゐ)たり。内の下女出て、
「隣りの娘にて候。」
とて抱きて行く。
其の姿と云ひ、聲と云ひ、握りたる手の内まで、異樣(ことやう)にぞ見えし。熱氣に冒(おか)されて來たりしなり。そのまゝ討ち捨(すて)なば、疎忽(そこつ)ならまし。火を待しはいみじくこそ侍れ。
[やぶちゃん注:病気の子供の朦朧状態で夢遊病のようにさ迷い出でたのに遭遇してお化けと勘違いした疑似怪談で前話と直連関。
「痘(いも)」「庖瘡(はうさう)」天然痘。私の「耳囊 卷之三 高利を借すもの殘忍なる事」の「疱瘡」の注を参照されたい。なお、底本は表題の原典の平仮名「いも」を「疸」とするが、これはおかしく、かく変えた。
「雪隱(せつちん)」底本は『雲隠』となっており、ルビもなく、ママ注記さえ、ない。不審に思って原典画像を確認したところ、はっきりと以上のように書かれてある。訂した。
「うはがれたる」嗄(しゃがれ)た。
「餠買いに行(い)きました」口語表現はママ。この台詞が超弩級によい。
「竹の子の根・蛸の手のごとし」或いは天然痘の合併症による皮膚の二次感染や敗血症によって手首に変形が生じていたのかも知れぬが、最後でわざわざ「握りたる手の内まで、異樣(ことやう)にぞ見え」たのであったと言い添えてある以上、単にか細い病んだ女児の手をそのように感じただけととるのがよい。
「火影(ほかげ)」燭の光り。
「山上(あ)げたる」天然痘の症状が最も危険な状態を過ぎることを「山上げ」と称した。
「討ち捨て」「討ち」は原典では「うち」であるが、高田氏の漢字化は正当。ここは斬り捨てて誤って女児を殺害してしまうことを指すからである。
「疎忽(そこつ)ならまし」軽挙妄動の謗りを免れなかったであろう。]