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2017/07/03

宿直草卷三 第四 狸の腹つゞみも僞りならぬ事

 

  第四 狸の腹つゞみも僞りならぬ事

 

Tanukiharatudumi

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のもの。]

 

 筑前の人の語りしは、

「我國に深き山あり。獵のみして世を渡る者あり。彼(かれ)が山入(やまいり)するには、先(まづ)、背中に大きなる板連尺(いたれんじやく)つけて負ひ、板の裏に、小さき鍋、葛(くづ)・蕨(わらび)の粉(こな)、鹽、杓子(ひしやく)、小杓(こひさご)などを取り揃へ、鐵砲持ちて山へ入(いり)、稼ぎ、科長鳥(しながとり)なんど射殺しては、皮を剝ぎ、背の板に張り、自然と干して行く。

 又、獲れば、初めのを收め、今の皮を張り着(つ)く。夜は木の陰、巖(いはほ)の洞(ほら)にふし、谷水・瀧の流れを汲み、鍋に入れ、木々の枯枝を折(おり)くべつゝ、葛・蕨の粉なんど練りて、己(をの)が餉(かれいひ)に調(とゝの)へ、鹽を舐めて、嘉肴(かこう)とし、寄邊(よるべ)定めず、日をそへて、三日、四日に歸るもあり、皮、あくまで求めざれば、山、又、山に巡(めぐ)りつゝ、十日ばかりも過(すぐ)すもありて、年々、罪もますらおのわざ、宿世(すくせ)思はれ、あさましき事なり。

 此者の語りしは、

『ある時、人跡(じんせき)絶えたる山にして、苔を敷き、寢(ね)の莚(むしろ)の上、木の根枕の寢覺(ねざめ)せし夜、音よき太鼓、かすかに聞ゆ。

「珍しきかな。此あしびきの山中に、かゝる事こそ不思議なれ。」

と、耳澄まして聞くに、いよいよ近(ちか)ふして、我(わが)臥したりし麓(ふもと)にて、打つ。殊更、上手の手がれの、五(いつ)から程あはせ、曲(きよく)ばちなど打つが如し。面白き事、云ふに堪(た)へたり。つらつら聞くに、一時(いつとき)ばかり打(うち)て元の方(かた)へ去る。名殘惜(なごりお)しき技(わざ)なりけり。』

となん。

 世に狸の腹鼓(はらつゞみ)と云ひ觸(ふ)れり。これもそれか。」。

 

[やぶちゃん注:「板連尺(いたれんじやく)」「いた」は推定の読み。「連尺」は「連索」とも書き、籠・箱・荷などを背負う際に肩に当たる部分を幅広く編んでつくった荷縄繩や、さらに背負う量を増やしたり、全体の二を安定させるためにそれに附けた、板及び棒を組み合わせた「背負子(しょいこ)」のことで、この場合は挿絵で一目瞭然、畳の非常に大きなものであるが、鳥獣の皮を剝いでそれを張りつけて干すには確かにこれぐらい広くないとだめだろうと私は妙に納得した。

「小杓(こひさご)」通常、この熟語も「ひしゃく」と読むが、前に出てしまっているいるのでここは「小」さな「瓢(ひさご)」で小さな瓢簞で作った水や酒を入れるそれを指していよう。

「科長鳥(しながとり)」「息長鳥」とも書き、この場合は主人公の生業(なりわい)や鉄砲の所持、皮を剝いで干すというそれから、「鳥」ではなく(鷄(にわとり)・水鳥の「かいつぶり」の別称・水鳥全体の総称・「みさご」の古名・尾の長い鳥の総称など(「日本国語大辞典」に拠る)としてもあるが)、まずはここは猪の異名である。この語源ははっきりはしないものの、万葉以来、「しながとり」が枕詞として地名としての「名(いな)」(古墳時代の大和王権の時代に現在の大阪府吹田市から兵庫県尼崎市までの北摂地方に県(あがた)名としてあった)に掛かったこと、仏教伝来以来、獣肉食やその殺生を強く嫌ったことから猪を「鳥」として呼んで誤魔化したものではないかと私は推測する

「罪もますらおのわざ」「ますらお」(歴史的仮名遣は「ますらを」が正しい)は勇猛果敢な「丈夫・益荒男」に生計(たつき)として殺生を重ねるが故に「罪も增す」「業(わざ)」に掛ける。

「宿世(すくせ)」前世からの因縁。それゆえに、かくも殺生をせずんば現世では生きられぬと定まっているこの猟師。これは仏教の因果思想の根本的絶対不変の宿命観である。

「あしびきの」「山」の枕詞。

「手がれ」「手足(てだ)り」「手足(てだ)れ」の訛りであろう。ある仕儀に於ける腕利き・熟練の者の意。

「五(いつ)から程あはせ」五拍子を基本とした打ち方をし、ということか。或いは近世の邦楽に多く用いられる五音音階の都節(みやこぶし)音階(洋楽のミ・ファ・ラ・シ・ドの五つの音から成るもので「陰旋法」とほぼ同義である)の調べを持っているということか。

「曲(きよく)ばち」「曲撥(きよくばち)」。ここは太鼓の撥を巧みに使った曲芸的演奏を指す。]

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