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2017/07/06

ブログ「鬼火~日々の迷走」開設十二周年+ブログ970000アクセス突破記念 火野葦平 酒の害について

 

Nakamurajiheikappa

 

[やぶちゃん注:本篇は実際には底本の「河童曼荼羅」では、既に公開した梅林宴」紋」の間にある。これは私のある誤った馬鹿げた認識から電子化を後回しにしていたに過ぎない。

 なお、これまでの本底本では、各小説の前に各方面の火野の知り合いであった作家・画家・文化人の河童の挿絵が挿入されているのであるが、その殆んどがパブリック・ドメインではなかったため、それを画像化していなかったが、今回は中村地平で(挿絵には「地」のサインがあり、絵の下には底本では『中村地平 畫』とキャプションがあるが、編集権侵害をしないように除去した)。彼は著作権満了であるので(以下の没年参照)、今回は添えた。

 中村地平(ちへい 明治四一(一九〇八)年~昭和三八(一九六三)年)は宮崎県出身の小説家で銀行家(宮崎相互銀行(現在の宮崎太陽銀行)社長)。本名、中村治兵衛。台湾総督府立台北高等学校卒業後、東京帝国大学文学部美術史科に入学、入学試験の会場で太宰治と知り合った。学生時代の昭和七(一九三二)年に「熱帯柳の種子」を発表、やがて井伏鱒二に師事して太宰治・小山祐士とともに井伏門下の三羽烏と称せられたが、後に『日本浪曼派』運営の齟齬その他で太宰とは絶交した。大学卒業後は『都新聞』(現在の東京新聞)に入社、昭和一二(一九三七)年に発表した「土竜どんもぽっくり」は芥川賞候補にノミネートされ、翌年にも「南方郵信」で芥川賞候補となり、所謂、南方文学の旗手として注目された。戦後は『日向日日新聞』(現在の宮崎日日新聞社)編集総務や西部図書株式会社の設立に関わり、宮崎県立図書館長を勤めたりもしたが、晩年は父の跡を継いで、宮崎相互銀行社長に就任した。彼には民話集「河童の遠征」(昭和一九(一九四四)年翼賛出版協會「新民話叢書」刊)がある(以上はウィキの「中村地平に拠った)。

 本小説の発表は冒頭のメチル云々から見ても、戦後の作であり、ネット上の書誌データを見る限りでは昭和二一(一九四九)年四月以前の作である。

 本電子化は私のブログ「鬼火~日々の迷走」の開設十二周年記念及び2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログがブログ970000アクセス突破記念(気が付いたら、昨日、一日で5000越えのアクセスをされていた)として公開した。【2017年7月6日 藪野直史】]

 

 酒の害について

 

 かすかな風が芒(すすき)の穗を光らせる。沼からつづいてゐる窪地は土堤(どて)のかげになつてゐて、道路からは見えない。そこで五匹の河童が酒宴をひらいてゐた。もうだいぶん早くからはじめてゐるらしく、酒量によつて差はあるが、ほろ醉ひ、なま醉ひ、微醺(びくん)、べろべろ、くにやくにやとその形がみだれてゐた。このごろの人間世界の酒はうすくなつたり、ひどいのになるとメチルがあつて死におとし入れたりするといふことで、人間の墮落がそんな面にもよくあらはれてゐたが、河童の世界ではそんな心配はなかつた。長年月の醱酵(はつこう)を必要とする猿酒はさうたやすく手に入らぬが、茄子と胡瓜とを原料にし、これに尻子玉(しりこだま)の精分をそそぎこむ草酒は時折は口にすることができるので、河童たちは交歡にこと缺くことはなかつた。尤もいつでも誰でも入手できるといふのではない。やはりその製造の祕訣を知つてゐる者があつて、口傳と手練でこれを傳へてゐるのだから、その專門家のところへは多量の交換物資、主として川魚を必要とした。だから川魚の捕獲の下手な者、不精な者は草酒にありつけない。だから河童たちがのべつに宴會をしてゐるといふわけのものでもなかつた。

 さて、ここにゐる五匹の河童はその飮みぶりといひ、現さといか、仲間でも名だたるもののやうに思はれた。くにやくにやは額に傷をしてゐる大河童、べろべろは大あぐらをかいた肥大(ひだい)河童、後席はひよろ高い瘦せ河童、なま醉ひはちんちくりんの小河童、ほろ醉ひは眼のほそい鼻孔の大きな老河童、それだけ聲色もちがひ、身ぶり手まねには癖があり、どうやらひとかどの者たちのごとく見うけられる。

 秋の陽ざしはやはらかくこのたのしげな酒宴のうへにそそぎ、蜻蛉(とんぼ)がときどき芒の穗にとまる以外に、この場をみだすものもない。しかしながらこの酒宴の一見たのしげな外見のなかに、どこかただならぬ空氣、なにやらただよふ殺氣、陰險さ、警戒心、さういふものが感じられて、飛んで來る蜻蛉はあわてて逃げてゆく模樣だつた。何故なら河童の喧嘩の飛ばちりを食つて非業の最後をとげた者が少くないからである。半分にわられた瓢の盃がぐるぐるまはる。かたはらのまんまんと幾つかの石桶のなかにたたへられてゐる綠色の酒は時間とともに減つてゆく。山盛りにされた魚がかたはしから骨になる。

「なんとも大した御馳走で恐縮です」

 ちんちくりんの小河童が舌鼓をうちながら、石の上へ腰をおろしてゐる老河童に聲をかける。

「いやこんなに存分にいだいたことは初めてです。盆と正月とが一緒に來たやうです」

 瘦せ河童がさういへば、

「わたしはとんと川魚取りが下手で、このところ好きな草酒にも緣が切れてゐたのに、こんな大盤ふるまひにあづかるとは、これで百年も長生きした氣がします」

「人間のやうに惡辣な奴は河童には居らんから、いくら飮んでも命に別條はない。ああ、ええ氣持ぢや。河童音頭でも歌はうかい」

「いや、そんなに皆さんがよろこんでくれれば、わたしもおよびした甲斐がある。さあさあ、今日はとことんまでやつて下さい。まだまだこれくらゐのことでは飮んだうちには入らない。……さあ、注がう」

 どうやら今日の宴會は鼻孔の大きな老河童の招待のやうだつた。老河童はしきりにもてなしながら、ときどきぢろりと四匹の河童たらの顏色をうかがび、なにやら陰險な目つきで妙なうなづきかたをしてゐた。

 河童たちはぐにやぐにやしたり、ゆらゆらしたりするが、頭だけはいつもまつすぐにしてゐた。頭を斜にして皿をかたむけては大切な水が流れ出る。皿の水は河童の生命であるから、うつかり流すことはできない。ちやうど首だけが垂直に天からつりさげられてゐるやうに、身輕がどんなにくづれみだれても、傾斜しないのである。

 老河童はすこしあせつて來た。

「さあ、どんどんおあがり」

 立ちあがつて、酒をついでまはる。

「遠慮なしにいただきます」

「あなたもどうぞ」

「やい、盛りが惡いぞ」

「もつたいない。こぼすな」

 それぞれに醉態がはげしくなり、言葉づかひも亂暴になつて來た。

 老河童はもつともちんちくりんの小河童に注目してゐた。身體は小さいが、この小河童が仲間のあひだで尊敬され、この小河童のいふことなら、厄介なつむじ曲りである他の三匹もきくことを知つてゐるからである。小河童の醉ひかげんをはかることが老河童の目的で、つねに小河童への注意をおこたらなかつた。

 陽ざしが芒の影をすこしづつ西から東へ移動させる。頃あひよしと觀察した。

 老河童は石のうへに立つと、

「さて皆さん」とあらたまつた聲をかけた。

 八つの醉眼が彼の方にむけられた。

「ところで、酒の味はいかがですか」

「たいへん結構」

「世界一です」

「いまごろなにいふか。わかりきつたこといふな」

「話はやめて歌へ」

「皆さんがさういつて下さるので、わたしも安堵しました。實はこれだけの酒をあつめるのは容易なことではなかつた。部下の者を總動員して川魚狩りをし、沼の酒屋には大車輪で製造をさせた。胡瓜や茄子はいくらでも手にはいるが、當節尻子玉の精分はなかなか拂底して居る。これも金に糸目をつけず取りよせさせた。幸ひ大洪水で土左衞門が大量にできた。天われに惠みをたれ給うたのです。他の證文はみんなことわつて、本日の宴會のための草酒をこしらへたのですよ。どうです、すばらしいでせう」

「すばらしいことです」

「そんなにまでとは思ひませんでした」

「恩に着せるな」

「講釋はやめとけ」

「恩に着せるといふわけでもないのぢやが、まづ大體わたしの苦心も買つてはもらひたいですな。これだけわたしが熱意を傾けて、皆さんに奉仕した氣持を知つてもらへればいいのです」

「わかりました」

「御厚意は忘れませんよ」

「てへ、苦心がきいてあきれら」

「それでどうぢやちゆうのか」

「日ごろ皆さんがそれぞれ立派な意見を持つて居ること、力を持つて居ること、仕事のできること、大いに尊敬してゐます。皆さんはこの口無沼(くちなしぬま)の誇りといつてもいいくらゐです」

「そんなことはありませんよ」

「それは買ひかぶりです」

「おだてるねえ」

「皮肉をぬかしやがる」

「けつしておだてでも皮肉でもない。わたしは事實を申すだけです。皆さんが立派であるやうに、この沼全體が立派であるとうれしいのぢやが、さうでないのがいきさか殘念です。長老として非才のわたしを、皆さんが立てて下さることが、わたしは心苦しいくらゐです。それはいくらか皆さんと意見の相違もあり、そのことを心外にも存じて居りましたが、かうして打ちとけて酒をくみかはす日の來ましたことを、なによりうれしく存じて居る。前に何度もおまねきしたのに來てくれなかつたので、わたしもいささか氣に入らなかつたが、いや昔のことはもうどうでもよい。今日こんなにして來て下さつたのだから、もう皆さんはわたしの友達です。すつかり十年の知己(ちき)になりました。かうしてわたしの獻立(こんだて)に皆さんが滿足して下さつた以上は、わたしと深いつながりができました。そして皆さんがわたしの招待に感謝してくれる氣持がよくわかりました。つまり皆さんがわたしのいふことをきいて下さることがわかつたのです」

「どういふことですか」

「いふことをきく? 例のことですか」

「變てこなこといふな」

「なんでもいつてみやがれ」

「わたしはこの口無沼の發展のために、皆さんがわたしの意見に賛成して下さることを望むのです。われわれの故郷である口無沼の發展を、皆さんが反對だと思ひません。否、人いちばいこの沼の發展を望んでゐるにちがひないと思つてゐます」

「それは望んでゐます」

「わかりきつたことですよ」

「へん、また初めやがつたな」

「陰謀屋」

                                                   

「陰謀とは心外です。この口無沼の發展のために、橫暴、傲慢、惡逆、出たらめ、けちんぼ、鼻無沼の奴原(やつばら)を征伐することが絶對に必要です。でなかつたら、あべこべに鼻無沼の方からやられる。奴等は虎視耽々(こしたんたん)として、われわれの沼を狙つて居る。わたしは常にこのことを主張し、未然にこれを防ぎたいと皆さんにはかるが、皆さんは賛成されない。他の連中はいつでもわたしの號令ひとつで動くといふのに、皆さんだけが反對された。わたしには皆さんの考へがわからない。皆さんには愛沼心がない。なるほど、皆さんのいふやうに爭ひを強ひておこすことはまちがひです。しかし默つて居れば相手からやられるとわかつてゐるのに、沈默してゐるのに、それは思慮といふものではない。怯儒(けふだ)、卑怯、腰拔け、さうではありませんか」

「すこし意見がちがひます」

「もうあなたの持論はききあきました」

「なに、腰拔け? もう一ぺんいつてみろ」

「ぬかしやがつたな。たたき殺すぞ」

「今日はわたしの苦心の御馳走で、皆さんは大いに滿腹された。わたしの饗應は氣まぐれではない。皆さんと胸襟をひらき、友だちとなり、共同の目的のために共同の行動をやりたいと思つたのです。まだ飮み足りないのですか。さあ、どんどん飮んで下さい。皆さんの酒豪はわかつてゐますから、そのつもりで用意してあります。大いに飮み、胸襟をひらいて下さい。きつとわたしの意見の正しさがわかり、賛成するやうになりませう。……さ、どんどんあけなさつて……」

「酒は頂戴します。しかし意見に賛成はいたしません。何度おつしやつても同じです。あなたのいふことは表面はたいへん立派です。しかしあなたの本心がどこにあるかは、つとにわれわれの看破するところです。あなたはこの沼の幸福と發展などにはなにも興味はないのです。仲間のことなどなにも考へてゐない。自分一個の利慾、エゴイズム、陰謀です。あなたが自分の商賣のことで、鼻無沼といきさつのできてゐること、そんなことはわたしたちはすべて存じてゐるのです。あなたは自分一個の利益のために、沼全體の仲間を不幸におとし入れようとたくらんでゐるのです。あなたのその惡心をわれわれが知つてゐるので、あなたはわたしたちが煙たくてならなかつた。わたしたちが反對したら、仲間もあなたのいふことをきかない。そこであなたはわたしたちを籠絡(ろうらく)しようと考へた。酒好きのわたしたちに鱈腹酒をのませて、それを恩に着せてわたしたらを説伏しようとなさつた。わたしたちはよばれたときから、あなたの下心を知つてゐました。いくら酒をのましても、わたしたちの意見はらつとも變りません。饗應で手なづけようとしても駄目です」

 老河童は眼をほそめ、不機嫌さうに大きな鼻孔を鳴らした。相當に醉つてゐる癖に、はつきりと自分の意見をいふ小河童をいまいましげに見た。が俄に相好をくづし、わざとらしい作り笑かをたたへて、瓢の盃をとりあげた。

「いや、むつかしい話はやめにしませう。酒の席に鹿爪らしい強談義はふさはしくない。さあ、どんどん飮みませう。わたしとしたことが座興をこはしてしまつて。……わたしも酩酊(めいてい)したとみえますな。どうも酒といふ奴はものごとを狂はせます。さ、注ぎませう。やつぱり噂にきいた飮み手ばかり、いやはや見事なものですな」

「頂戴いたします」

「徹底するまでやります」

「ふん、ざま見やがれ」

「なんぼでも持つて來い」

 失敗した老河童の心に新な惡心がわいた。憎惡に燃えた老河童はこの四匹の河童たちの命を奪はうと決心した。もう仲間につけようといふ意圖は完全に抛棄(はうき)したのである。命を奪ふといつても直に手を下すのはまづい。またそれは到底できない相談である。そこでどんどん酒をすすめ醉ひつぶさうと考へた。酒をすすめることに疑念の生ずる餘地はない。いかに酒豪とはいへ、體力には限度がある。いつかはつぶれるにちがひない。さすれば自然に身體が橫になり、頭の皿の水が流れ出して、無意識のうちに命を失つてしまふ。それは自業自得で、自分に罪はかぶせられない。こんな巧妙な殺人法はない。にたりとほくそ笑んだ老河童は、まるで口のなかにおしこむやうにして、酒をすすめだした。河童たちは何の警戒心もなくがぶがぶと飮み、ぐにやぐにや、でれでれ、ふらふらと身體を振りはじめた。老河童はぎらりと眼を光らせ、その效果をたしかめるやうに、陰險なまなざしで、不愉快な河童たちの醉態に注目してゐた。

 空にわたる風がたそがれの色をさそひだし、陽(ひ)のかげはしだいに長く土堤のうへにたなびいた。にもかかはらず、河童の饗宴ははてもない。老河童はすこし焦(じ)れて來た。小首をひねつた。こんなことがあるだらうか。期待はまつたくはづれたのである。小河童、大河童、瘦せ河童、肥え河童、醉ひぷりはそれぞれちがひながら、共通してゐることが一つあつた。それはどんなに身體をくづしても、けつして頭の位置を變へないことである。皿の水の流れ出ないやうに頭をまつすぐにしたまま、あたかも中天から首だけを吊り下げてゐるに異らない。酒のために精神を錯亂させようと考へてゐたのに、かへつていよいよその精神はみがかれて、その智慧が河童を支へてゐるもののやうだつた。瘦せ河童が眠りはじめた。しめたと老河童は思はず片唾をのんだ。しかし眠つた河童は木の幹にもたれ、頭の皿はまつすぐだつた。早く醉はせようとつとめた老河童は返酬(へんしう)の酒に、思はず自分も度をすごしてゐた。そして眠氣をもよほし、いつか、窪地に長く橫たはつてゐた。傾いた頭の皿から、水が流れ出た。なほも酒豪河童の饗宴は芒のかげの消えるのも知らずつづけられた。

 

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