北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート12 其十三 「八房梅」)
[やぶちゃん注:落款「茂」「世」で橘崑崙自筆の絵であることが判る。左にあるキャプションは、
親鸞上人の
旧跡八ツ房の
梅の図
である。]
其十三 「八房梅(やつぶさのむめ)」。蒲原郡(かんばらごほり)小島村にあり。即(すなはち)、親鸞上人の旧跡【一ニ坐論梅なり。】。今、猶、所々にあり。例へば、いづれの説にもせよ、誠に五百年來の古木にして、老根、如ㇾ虎(とらのごとく)屈し、枝々(しし)、如ㇾ龍(りやうのごとく)蟠(わだかま)りて、一根、八木(はちぼく)に分(わか)れ、天を指し、地を掃(はらつ)て、雅致(がち)、云ふべからず。其花、淡紅(たんこう)八重の大輪(たいりん)、枝々(しし)、坐(ざ)を爭(あらそ)ふて開き、其(その)淸香(せいかう)、芬然(ふんぜん)として數里(すり)に匂(にほ)ふ。予遍(あまね)く諸國の老梅(らうばい)を見ると雖も、其奇勢(きせい)、是に對するもの、なし。其實(み)、塩(しほ)の氣(き)を帶(おぶ)るなど云へるは、敢て論に及ばず。
[やぶちゃん注:親鸞絡みの「越後七不思議」の一つ。現在の阿賀野市小島にある浄土真宗梅護寺(ここ(グーグル・マップ・データ))に現存する梅。天然記念物。親鸞が梅干の種を庭に植えて歌を詠んだところが、翌年、芽が出て、枝葉が茂り、薄紅の八重の花が咲き、一つの花に実が八つずつ実るようになったと伝える。これは梅の一品種で、花は白く、八重咲き。雌蕊(めしべ)が数本(十本という記載もある)あって、事実、一つの花に四個から七個(最初期には十個)の実を結ぶ(但し、ネットで調べてみると、成長途中で落果し、重量の関係からも最終的には概ね一つか二つになることが多いようである)。本文にもあるように、別名を「座論梅(ざろんうめ/ざろんばい」とも呼び、花の見頃は四月中旬、結実の見頃は五月から六月上旬とある。
「今、猶、所々にあり」これは同品種の梅が崑崙の時代に既に、この梅護寺以外に各所に植わっており、それぞれに伝承が付随していたらしいことが、これによって判る。
「五百年來の古木」親鸞が赦免されるのは配流から五年後の建暦元(一二一一)年十一月十七日で、その三年後の建保二(一二一四)年に東国布教のために家族や性信などの門弟とともに越後を出発、信濃の善光寺から上野国佐貫庄を経て、常陸国に向かっている。本「北越奇談」の刊行は文化九(一八一二)年であるから、最短でも「五百年」どころか「五百九十八年」で、ここは「六百年來」とするのが正しい。
「芬然(ふんぜん)」はっきりとよい香りの立つさま。香しい匂いがしきりに漂うさま。
「其實(み)、塩(しほ)の氣(き)を帶(おぶ)るなど云へる」元が芽生えるの筈がない塩漬けの梅干しのその「種」であったからというのであろう。崑崙の言う通り、こげなことは「敢て論に及ばず」じゃて!]
« 北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート11 其十二 「七ツ法師」) | トップページ | 北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート13 其十四 「風穴」) »