北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート5 其四「四蓋波」)
其四 「四蓋波(しかいなみ)」【「四海波」。】。頸城郡(くびきごほり)名立(なだち)の下(しも)、鍋ヶ浦(なべがうら)と云へる所、打寄(うちよす)る波、立(たち)かへりて、四方より四かいに打(うつ)、と云へり。是、磯石(いそいし)、左右に峙(そばだ)ち起(おこ)れる故に、此紋(もん)をなせるなるべし。たとへ五、六かいの波をなすとも、敢て奇とするに足らず。俗徒、「髙砂(たかさご)」の謠ひを聞(きゝ)、「四海波(しかいなみ)」と云へるは、只、目出度ものとのみ心得て、四海(しかい)と四蓋(しかい)の意を知らず。かゝる蒙説を云へ出せること、他邦の人に對して、予竊(ひそか)に面赤(めんせき)す。
[やぶちゃん注:これは最後に崑崙が赤面しているようにトンデモ名数である。「四海波」とは、時代劇でよく耳にする祝儀の場で謡われる、かの世阿弥作の脇能「高砂(たかさご)」の中の、シテの老翁(実は相生の松の精)が松の目出度さを語り詠う冒頭、
〽四海 波 靜かにて 國も治まる時つ風 枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや あひに相生(あひおひ)の 松こそ目出たかりけれ げにや仰ぎても こともおろかや かかる世に 住める民(たみ)とて豐かなる 君の恵惠みぞ有難き 君の惠みぞ有難き
の部分の通称であるが、そもそもが「四海」は「天下」の意で、「波 靜かにて 國も治まる時つ風……」とまさに天下泰平のパノラミックな表現なのであって、これはもともとは「四海波」という三字熟語でさえないのである。「四蓋波」の方は、本文に従えば、打ち寄せた波が、逆に返して、海上の四方(こだわるが、物理的には浦にうち寄せたんだから少なくとも反射波の一度目の行く先は物理的には三方である)に向かって四度、波に波を蓋(ふた)をするように畳み掛けて反射波の波紋を起こすという意味であろう。なお、祝儀で謠われるのは、同謡曲の最後の方の、ワキ・ワキツレ(阿蘇の神主と従者)によって謠われる舞囃子の冒頭の、
〽高砂や この浦舟(うらぶね)に帆をあげて この浦舟に帆をあげて 月もろともにいでしほの 浪の淡路の島影(しまかげ)や 遠くなりをの沖過ぎて 早や住江(すみのえ)に着きにけり 早や住江に着きにけり
の箇所である。
「頸城郡(くびきごほり)名立(なだち)の下(しも)、鍋ヶ浦(なべがうら)」現在の新潟県上越市鍋ケ浦。ここ(グーグル・マップ・データ)。地図内西直近に上越市名立区もある。
「四かい」崑崙先生もこの「四海(しかい)」と「四蓋」(しがい)に困ったものか、原典がこのように平仮名「かい」になっている。「四海」に向かって「四回」、「蓋(かい)」するように「打」つという苦しい赤面しそうな駄洒落あんであろうか(真面目な崑崙先生には洒落はちょっと似合わぬが)。
「是、磯石(いそいし)、左右に峙(そばだ)ち起(おこ)れる」この浦、波で反転するほどの中位の有意な大きさの転石が満ち満ちた礫(れき)性海岸であり(ということはかなりの「浜鳴り」がするはずである)、波がそれらに当たると、反作用の法則で海方向にそれらの石が多量に左右に転がって、それが複雑な磯からの反射波を起こすという崑崙の自然科学的分析である。
そこ鍋ヶ浦近辺をネットで調べて見た。
検索を続けると、B・Y氏の個人サイト「B型人間のアウトドア」の「桑取川河口」というのが目に止まった。ここは鍋ヶ浦の東で現在の漁港らしきものがなければ、ここは「鍋ヶ浦」の東の端と言ってよいと思われるのであるが、そこに添えられた写真の中に!
おう! ゴロタ石の海岸じゃあねえか!
何だか、私は、無性に、嬉しくなってしまったしまったのである。
「五、六かい」この「かい」は、もう、「囘」でいいでしょう? 崑崙センセ?]
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